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法華津さんのこと

「ジジの星」こと法華津寛氏。お祖父さまの法華津孝治氏は、たいそうジョホールに所縁のある方でいらっしゃいます。ちょっとググれば、南亜公司の社長であったことくらいは出てきます。トロ・スンガイにゴム園があった南亜公司は現在の昭和ゴム。森村市左衛門系の会社でした。

虎刈りの殿様(=徳川義親侯爵)の「じゃがたら紀行」の中には、じゃがたら(ジャワ)はもちろん、大正10年と昭和4年のジョホールご訪問についても書かれているのですが、そこにはシンガポール行きの船中からすでに法華津氏と吉井大尉のお名前が登場しています。

侯爵がトロ・スンガイを訪問される章では、ジョホール政庁勤務の野村氏と法華津氏が婆婆組と称されて川へ魚を獲りに行き、山へ出かけた爺爺組は殿様と吉井園@スンガイ・ティラムの吉井信照大尉。この方は大正天皇のご学友だったと言われていらっしゃいますね。当時はジョホール河岸には日本人経営のゴム園が並んでいて、お隣さんも河の反対側もみんな顔見知りの楽しそうな様子が書かれています。

さて。「兵どもが夢の後」ではございませんが。20年前くらいまでは、デサルー周辺のゴム園跡には、日本人が建立した忠魂碑や招魂碑、亡くなった方の墓石や神社などの痕跡などが残されていました。

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(ジョホール日本人会HPより拝借)

こちらは私にとっては懐かしい方々が1995年にトロ・スンガイを大探検されたときの写真です。左からスパイス博士(S&B社)の尾久さん、竹下事務局長、初代会長だった木村さん。右端の方は生憎存じ上げておりません。ごめんなさい。

この招魂碑はジョホールの日本人墓地へ移管され、現在も大切にされています。なんでも森村氏が大正6年に揮毫されたんだそうです。当時のジョホール河岸は瘴癘の地。マラリアなどで多くの方が亡くなったんでしょうね。

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