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投網漁@ジョホール水道

シンガポール陥落は1942年2月15日。翌2月16日、宣伝班員として徴用されていた井伏鱒二たちは遅れてシンガポールへ入城しましたが、それまでの数日間はジョホールバルにて待機をしていたそうです。

英国病院の院長宅を接収して住んでいた、と「徴用中のこと」には書いてあるので、サルタナアミナ病院(戦中は南方第三陸軍病院として接収)かな。使用人棟に真新しい投網が干してあるのを見つけた井伏鱒二は、ジョホール水道にて物資補給(投網漁)を試みたのでした。

錘は日本の投網のやうに鉛の玉でなくて、みんな揃って耳環のやうな環の錘になっていた。試しに私はその投網を芝生の上に打ってみた。

投網漁には経験と自信があり、ボラやスズキなど獲りたかったようですが、網にかかったのは小さなアジの子とイナの子だけ。炊事兵からは雑魚と問題にもされず、夕飯の献立にも出てこなかったそうです。


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