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決意。

わたしは
これから
誰にも言えない悩みを抱えているひとを
支えるひとになろうと決めました。

ひとに会って
話せないようなこと
途方にくれるような
くるしみ
かなしみ
ひとは抱えていきている

私なりのやり方で
助けたい!助けたい!と
ずっとおもい、願い、
実践しては失敗し、生きてきました。

今度こそ。とまた、別の方法でやってみようとおもます。

そのひとのいのちが
最も輝くための
お手伝いができるように
ほんのすこしの手助けになるような
ほんのささいな光かもしれませんが・・・

あなたが

誰にも言えず、苦しんでいる悩みを、
そっと
SNSで発信してください。

お会いすることはできませんが
何かの形で還しお役にたてるように
一生懸命考え表現します。

わたしが、ずっと小さなころから願っていた夢は
周りのひとのすべてが、笑って生きていること。

それをしたいと思っていたけれど
どうやったらいいのかわらなくて
とにかく右往左往し続けていました。

人を幸せにしたいのに
結果が全く出ない
とんちんかんで
それどころか人の迷惑になってばかりだ。
と打ちひしがれていました。

わたしががんばろうとすればするほど
相手の方からはありがた迷惑がられることが多く

いつだって空回り

考えて考えて、それは、自分の心身がととのっていないからだ、と思っていました。

けれど、このブログを書きながら感じたことは

わたしは自分の内側に目を向ければ向けるほど
自分のためには全然頑張れない。
自分のために何かを頑張ろうとすれば
ひとりぼっちで生きているような 
そんな空っぽの状態になるのでした。

わたしは、これまで、誰かのためになりたいと、
請われるがまま、ただ闇雲に
様々な方々に会ってきました。

この十余年、積極的にたくさんのひとと会い、エネルギーを交換しました。
素晴らしい出会いもたくさんありました。
でも結局「助けたい」という気持ちからのエネルギーが枯れてしまうほどに
疲れ果てて結果自分を見失い、体力も資源も限界がやってきて、
「わたしの本来の仕事」ができない。という状態になりました。
結果がでない。人を助けてない。

ほんとうにエネルギーを消耗してしまうようでした。相手のエネルギーも、私のエネルギーも。
これではいけない。
感受性が高いせいで、ほんの些細な人の行動など小さなことからもダメージを喰らうので
回復して人を助けるというところまで行き着くのに本当にエネルギーが足りない。
じゃあ、直接に会わずしてどうやって人助けをしたらいいのか。
けれどもう無理なんだ、自分の生活をしていくので精一杯だととあきらめていました。

けれど、森の仲間たちは。
自分たち以外のいのちのために
全力で生きていて
自分たち以外のいのちを助けるために

仲間を増やさなくちゃ。と、わたしに手を差し伸べ回復させてくれていたのでした。

それをみないようにして、くたびれ果てていた私は、
仲間からもらった命を私はのうのうと、自分だけが幸せになればいい、
という考えに切り替えて、逃げようとしていました。

だってもう、くたびれた。
助けたい、地球を幸せにしたいと思っていても私なんて本当に無力で
何も役に立つことなんて、ない。

けれどこれでは、仲間から回復させていただき、再びいただいたいのちを、
ここで循環させずに、ただ自分のためだけに生きることになる。
ものすごい違和感と不自然さと、わたしらしくない。という想いに駆られました。

そして、考えて考えて
一大決心をしたのですが

本来私がすべてのひとたちに笑って
幸せでいてほしいと思っていた願いは
別の形で実現してみよう、そう思いました。

あなたは世界からこんなに祝福されているのだ
だから、どうか、笑って。
そのために、私はあなたのために、あなたの光で作品をつくる。

世界がこんなにも美しく
こんなにも幸せであるということを
共に地球にいきるひとと、
「心の底から」共有しあって、本当の笑顔で、軽い身体で
その感覚を共感したい、そう思ったからです。

もう大丈夫だと
もう抜けたと
もう手放したと
心の根っこに残った問題を抱えたまま
笑顔ごっこをするのではなく。

子どもの頃から
わたしは、ずっと、みんなが笑っているのが、いい。そう思って生きていました。
身の回りにいる、大好きな人が、笑って暮らしているのが私の願いでした。
だから、誰かが悲しそうな顔をしていたり、怒っていたりしているととても悲しいので
どうか、全ての人が、幸せに笑っていて欲しいと、ずっとずっと願っていました。

闇があるから、光がある。といいます。
闇は光であり、光は闇である。とも聞いたことがあります。
心のメタファーとして、そう表現する場合のことです。
いま、私が心の問題として捉え他場合に感じるのは、
それでも闇は闇であり、光は光であり、別のものである、ということです。

光を希うが故に、闇を深めたのは私。

心の中の闇はあくまで闇でしかなく、どこまでいっても
闇と光が「一体である」とは私は思わないのです。

闇、は闇です。

私の足を引っ張る、私の中に存在する悪魔、鬼、邪なモノ。
いつの間にか、私が握りしめて、私が自分で育て上げた、私を生きにくくさせる厄介なモノ。

「どうせできない」
「だってわたしばっかりしんどい」
「怖い」
「わたしばかりが責められる」

これは、闇。
黒い気配、黒い存在、黒いエネルギー。
それを無闇に闇雲に消そうと、なかったことにしようとすると、
増幅していく。

世界中のひとを愛している。

そう思っているのに私は果たして。今こんなにも大きく暗く重たく冷たい闇を抱えている。
でもそれがあるからこそ。光由来で生まれてきた私は、しんどくて、苦しくて、前に進めなくて、困っていました。苦しみました。その闇が光で生きる私の足を、ぐんぐん引っ張ります。

闇を抱え込み、抱きしめ、見つめ、共存することが、私にとっての光への道だと思っていました。(光と闇は一体だという解釈をしていました)
しかし、振り返ってみると、それは過ちだったのではないかと思うのです。

どうせどうせ、わたしなんて。と、うずくまる自分が
自分の行動の前面に登場し、自分の思考のおおよそを占めて生きてきたために、
私は「みんなが笑っている世界」をつくるために自分を生きるということをやり遂げることができなかったのです。危ない、怖い、身を守らなくては。常にその危機感で生きていた。

でももうそれをやめないと。

在る森に出会い、ひとみちゃんに依存して、自分の姿を無くして生きるのは、
これまでの形と同じで同じ轍を踏んでいるだけだ。
私が神様のようなひと、ひとみちゃんから教えてもらったのは、
自分なりのやり方で、
尊敬する人からの教えと共にあゆみ進むこと。地球のすべてのいきもののために。
彼女の愛は、「ほんとうの愛」。

本当の愛とは、
無意識に自分を守るために・自分の正義のために掲げている愛ではなくて
ただ目の前の人が心の底から笑ってくれる、
それを実現するために自分を使うこと。

ただのうわべのことじゃない。
本当にこころが浄化されて
本当のその人で心の底から笑える状態をつくること。

自分が愛されたい
自分が心地よくなりたい
自分が救われたい。
自分が。自分が。自分が。自分が。が無くなった時にあるものそれが「ほんとうの愛」。
目の前の困っている人を「ほんとうに幸せにする」。

この一年半無償の愛を浴びたからわかること。
ひとみちゃんは毎瞬、自分のことを顧みずに、
私を回復させようと自分の時間、資源を私に投入し続けた。
それを、もっとほしい、もっと浴びていたいとしていたら
私はただの、彼女に寄生するだけの生き物になるだけだった。

「地球を守るために」生きている彼女が私にしてきたことをすべて反故にすることになる。

本当の愛をどうやって地球に還元していくのか。
それは、
私は思い込んだ自分保身のための愛を
無償の愛に書き換えていくこと。

愛で生きる。を、先にやってくれているから
その姿をお手本にしながら、わたしなりのやり方で、還元していくこと。

具体的には。
ひとの、誰にも言えずに、なやんでいることを受け取って、私なりの解決策をこうやってnoteなどに記したり、自分の中で自分の経験を元に、「こうすればよかった」と今にして思うことなどを考え、悩んでいらっしゃる方が、幸せに笑えるように、共に考えて言葉を紡いだり、私ができることとして、写真作品などにして世の中に提示していきます。

わたしはいままで、人に愛されるために、いつもにこにこして
相手が喜ぶことを計算高く口から吐いて、ガハガハ笑って、女をすてて、自分のここちよさをすてて、目の前の人が笑ってくれるように、面白いことをいって、自分を投げ捨てて、生きてきたけれど。

もうそれをやめます。
わたしを生かすためにそれをやめます。
助けたい人のために、それをやめます。

地球を守るために生きている仲間と、どうやったら自分の命を燃やしてそれができるのかを
一生懸命模索して、
自分なりのやりかたで、やって生きていきます。

私は、その人がどんな姿だったらきっともっと輝くのかをみるのが好きで、得意だと
まわりのひとたちからよくいわれています。
だから、あなたはこっちだよ、って、示すことができるとおもいます。

返すかたちは

写真なのか

文章なのか

他のなにかなのか

お約束はできませんが

わたしなりに、しっかり向き合い、答えをお返しさせていただきたいと考えています。

相手のかたのいのちを、笑顔になる方向に、お役立ちできたら、
この上ない幸せです。

交換する、アート。
交換する、感情。
漫画を読んでも
小説も読んでも
苦しくくすぶる自分の中の感情が
物語や、アート、作品によってカタルシスを起こし、
癒される。治癒していく。
自分を生きることに、希望を見出せる。

そんないのちの交換ができたら。とおもってます。

あなたの心の苦しみを、悲しみを、叫びを
そっと、SNSで発信してください。

私は、それをキャッチして、自分のいのちを使って表現にかえます。


さいごに、ひとみちゃんより。


愛に飢えた子には、その乾いたコップからあふれ出るまで、愛を注ぎます。
そうやって、コップから水が溢れると、その子は自然に「自分がしないといけなかったこと」を思い出します。
無くて飢えている子に、それではいけない!と怒ったところで、その子はまた、コップを埋めてくれる誰かを探して彷徨うだけです。
私も人の子なので限界はありますが、私の力で溢れるところまで注げそうなコップの子には、全力をもって溢れるまで注ぎます。
ただそれだけです。
まるちゃんのコップから溢れた水は、こんどは誰かのコップに注がれていきます。
そうやって愛やエネルギーというものは、波紋のように、流れる水のように、波が伝わるように、静かに繋がって拡がるものなのです。

金子ひとみの言葉より


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