見出し画像

愛を全身に浴びる=呼吸が深く筋肉が緩む/攻撃から身を守る=呼吸が浅く筋肉が硬直する


あの、ひかりだった幼少のころの

あたたかな記憶は

まるい球体の中心にあって、

その球体は、

長い間あらゆる黒いものに

覆われていたし

それは

まだ・まだ現在進行形。

・・・

その皮を、剥きにくい蜜柑の皮をむくかのように、
ぼろぼろ、ぼろぼろ、とめくっていかないと
あのあたたかな記憶には辿り着かず。

ただ、このひかりのたまである私の魂本体の存在は
絶対的で消えることがなく
ゆるぎないものとしてここに在る。
ろうそくのひかりのように、ここに在る。

そういえば、一人目の神様が言ってたな。

「えり。えりの心の中には、えりだけのキャンドルがあって
その火を消せるのは、あなただけなのよ。
その火は、誰にも消すことはできない。
だから、大丈夫なのよ。」

と。

うん。だから大丈夫。ありがとう。


“【二人目の神様】 こんな風に、一番に私のことを思い遣り考えてくれる人に、私はこれまでの人生で2人、出会った。2人に共通するのは「なんで、こんなに、私のために尽くしてくれるのだろう?」ということだ。 2013年ころのこと。1人目の神様に出会った時、その人は特にまだ私と仲良くもないのに、とにかく手放しで本当に嬉しそうにキラキラの笑顔で思い切り私に駆け寄ってきた。笑いかけてくる彼女が怖かった。何故私をそんなに大切そうにしてくるの?と。あなたのことが大好き!ありがとう!あなたに会いたかった!!やっと会えた。愛してるよ、えり。って言ってくる人(しかも同性)なんて、出会ったことがなかったから。 その頃私はサラリーマンで、ひたすらに売り上げの目標数字を追いかけ、ひたすらに締め切りに追われる日々の中にいた。男性のような口調で喋り、タバコをふかしながら後輩に暴言を吐き、深夜の居酒屋でストレスを発散し、締めはラーメン。毎日お酒の抜けない頭で朝を迎え、電車に駆け込む。そんな日々。利害関係の中でしか人と一緒にいるということはなかったように思うまたは、すべてに蓋をして馬鹿騒ぎするだけの人間関係。なぜ生きるか、何のために働くか、などという命題を考える隙なく日々が流れていた。だから、突然現れたその人が発するそれが愛であるということなど、見えるはずもなく、何か彼女の策略なのではないかと疑った。そうして私は、彼女のことが友人として好きかどうかもわからないまま、ただ戸惑うだけだった。彼女は壊死した私の女性性をも本当に丁寧に、一つずつ解いてくれたのだが、解いた先に、私は1人目の結婚相手と離婚する結果を迎える。とにかく私は混乱し、それをその神様のせいにし、その人の愛を利用し、ただ依存し、自分の不機嫌をぶつけまくって、攻撃しまくった。それでもなお、あなたのことが好きだよ。愛しているよ。一緒に生きていこう。と言ってくる彼女の事が信じられなくて、怖くて、最後は逃げ出してしまったのだった。”

ただ、

ぼろ、ぼろ、としたその皮は、
まったくもって すっきりつるんとは、いかずに
まだまだ私の球体にこびりついているようだ。

毎日、そこに意識を向けて、光を当てることで、
皮を剥がしていく作業は進んでいく。

自分を正当化したり
自分を欺いて「わたし・もう・だいじょうぶ」劇場を演じたりせずに

ここに在る違和感を洗い出す作業は、日々、日々
自分を知るために大事な作業。

・・・


不意にやってくる身体の違和感。
胸の辺りが苦しくなる。
その後すぐにやってくる記憶ともいえない冷たいリピート。


「あの時私はあの人にこんなことをされた。
あの人は私のことを大事にしてくれたとおもっていたのに、
わざと私を傷つけようとしていたのかもしれない。
なぜなら行動はこうだったから。こんなことをされたから。
表面上にあった言葉とは逆の行動をしてきた。
私のことを大事には思っていなかったということだな。
そうだ、そしてあの時はこう言われたんだった。
そして私はあの時こうしたんだった。そしたらああ言われて
きっと本心はあの人はこう思っていたんだと思う。
口だけだったんだろうな。
だから今こうなっているんだと思う。
私は本当は嫌だった。
むかつく。嫌い。大っ嫌い。絶対に許さない。」

誰が喋っているの?と我にかえるまで、
延々と脳内が恐ろしいキャラクターで喋っていることがある。苦しい。

よくみると、現れてくる
「絶対にあの人を許さない」というもう一人の私。
その意識に持っていかれると、
私の体は本当に硬直して、
時に痛みが本当にやってくる。

許さない、という意識は根深くて、強くて、冷たくて、私を蝕む。
自分を否定された、自分という存在を否定された。
そう思い込んでいるのだからこれは厄介だ。

身体がそれを察知して、攻撃から身を守ろうとして
筋肉がどんどん硬直していくのだと思う。
敵に見つからないようにと、呼吸を浅く、最小限にしている。または、こういうネガティブな考え事をしていると、呼吸を一時本当に止めている。
なので、脳内に酸素が行き渡らず、バグはどんどんと大きくなっていく。

・・・

赦しとは
広い心を持つこと
ではありません。

正確には
それだけでは
『足りません』。

人は自分の未熟さ
愚かさ、醜さに
気づかぬまま生きていて

それゆえに
自分で自分の首を絞める
生き方を選択し

その苦しみを解消する
方法を探しながら

自分の生み出した
苦しみによって
追い詰められながら

人生の時間や労力の
ほとんどを
その苦しみを向き合って
過ごすという
地獄の中にいます。

それを救い出すこと

「そんな苦しみに
苛まれた生き方は
しなくていいよ」
と脱却させるために
必要な手立てをとること
=赦し です。

例えば貴方が
誰かに何かをされて
それを寛容な気持ちで
一時的に
水に流してあげても

相手の人は
人生の苦しみから
脱却はできませんし

貴方自身もまた
相手に付けられた
小さな棘という
苦しみを抱えて
生きることになります。
(時間が来れば
痛みは復活します)

本当の赦しとは

相手がもうそのような
生き方をしなくて
すむように智慧を与え

誰かを傷つけてしまう
ような姿から
脱却させるお手伝いを
することです。

赦しとは
相手の罪を受け止め
水に流すだけでなく

それを行った
相手に対して
自分の労力や智慧を
惜しみなく与え

そこにある
苦しみの全てを
終わりにできる
行いのことを指します。

その生き方をする人を
色で表すと
白色になります。

自分にされたことを
受け止めるだけでなく
その相手に自分の人生を
与えて改善するところまで
手を差し伸べること。

能動と受動の双方があって
赦しのエネルギーは
完成されていきます。

金子ひとみのことばより


今日もこういう硬直した筋肉を感じて
呼吸が喉の下に全く入らないな。という感覚をつかんでいた。


唐突に、携帯電話の通知が来た。

森のメンバーラインから。
最も多い人数のライングループに、
私の誕生日をお知らせして、みんなからお祝いの言葉を
引っ張り出す。という



最上級の



「今日はまるちゃんのお誕生日!」

「お誕生日おめでとう。」

「生まれてきてくれてありがとう。」

「俺はお前が好きだよ!」

硬く、冷えた私の筋肉が緩む瞬間をつぶさに見る。


呼吸が突然肺に、腹に、全身に行き渡るのを感じる。
バクバクしていた心臓があたたかくなる。
涙が出てきて、一気に全身があったかくなる。

これが、愛の正体なのか。と、頭と、身体と、こころで実感する瞬間だった。

全身に愛を浴びると、
心が緩まり、身体があたたかくなる。呼吸が一気に深くなる。

こんなに心穏やかな誕生日。生まれてはじめてだと思う。

誕生日おめでとう、わたし。

私はいま、たくさんの人からの愛を受けて生きています。

これから、私は地球のために、人のために、

私の愛を還していく。人生をかけて。

苦しむ私を救い出そうと、ライングループにお誕生日のお知らせをしたのは

やっぱりあの愛の戦士ひとみーるだった。

最高かよ!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?