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「まじで誰なの劇場」 舞台裏

在る森のメンバーとの日々の暮らしの中で

【まじで誰なの劇場】という言葉を使うのが、楽しくて好き。

「こびりついたネガティブで動く自分=不幸街道まっしぐら」の構図を、

ポップに剥がせるので気に入ってる。

その人の《本来のキャラクターじゃないな〜》

というのがあからさまにわかるキャラ設定のひとが

むく・むく・むくと現れ、なにやら演じているのが、

本人以外のメンバーにどんどん伝わる時。

居合わせてるみんなは、

チラチラ他のメンバーをみたりして

「あいつ、やってんな!」っていうのを伝達しあったりもする。(面白い)

で、ひとしきり劇場がおわるかどうかというタイミングを見計らい
(途中まで結構泳がされる。泣笑)

「あなた誰?」というと本人は

「うわ!」ってなって、

「うわーーーーー、演じてた。またやってたーーーー!!!ハマってた!」となる。

これ、面白いのがおそらく「板についてしまった」キャラクターって、

本人はすぐ演じやすい
(キムタクは何を演じてもキムタクになっちゃうみたいな)ので癖みたくなってて、よく「やりがち」なんだとおもう。

わたしで言うと

「そこは!!!!!!はぁ、はぁ、わたしが!!・・・・はぁ、はぁ、やっておきます!」みたいな【誰なの劇場】。

もしくは
「あああああああ!!!!!!ごめんなさい!!!!!!!!!
わたしがまたやってしまいました!!!!!!!!!!!!!!」

という謎の【誰なの劇場】

【誰なの劇場】につきあうと、まわりはさることながら、本人も著しく体力を奪われる。気力も。
とにかくエネルギーを奪われる。のでこれ、悪なのです。

演じている本人はその「自我」を守ろうとしているので
様々ないらないキャラクターを演じている。

けれどその裏に「逃れようとする」「助かろうとする」ことを目的としているので、それを相手にしていると、なんていうか本質的な話ができずに、「うなぎと話してるみたい」にする・する、ぬる・ぬる、とその場所に相手が不在、となって、くたびれる。

わたしも御多分に洩れず、まあよくやるし、そういう時は、大抵メンバーに叱られるし、人材育成の長、ひとみーるに関して言えば、「雷を落とされる」。

そういえば雷のあとって、地球が放電する?のか、スーっと透き通ってめちゃくちゃ息がしやすくなる。あの感覚。
ひねくれてねじれたエネルギーに電気を通してくれた、と言う感じになり、
「うわ、またやっとった」と、振り返ることができる。

以前であれば「うわ、またやっとった」というのができなくて

「わああああああああああん、また叱られた」といって、【まじで誰なの劇場】の本当の自分じゃないキャラがここに防波堤のように邪魔をして
「聞くもんか!!!!!!!」と座り込んできていた。ので、ひとみーるは本当にエネルギーを消耗する。

わたしの場合

主演は
「ごめんなさいお化け」
「怠慢じじいお化け」
「男好き女芸人お化け」が

【誰なの劇場】が主で、それらが「本当に生きる自分」を邪魔していたので、最近わかりやすいなー。と思ってみてる。

この人たちに演じさせるととにかく疲れるし、自分が嫌い。幸せになれないというフラグがいつも立つ。
ので、どいてくださいよ。はいはい、劇場は解散ですよ。といって
無視しながら、時折叱り飛ばして成仏させる。
彼らの演技は実にたくみで、よく見れば茶番ではあるものの、しつこいし、しらける。そう。しらけるんだよ。

で、みんなのエネルギーも搾取し続けるので、
これは自分で解体して解散させる「コツ」があって、
ハマった時にいかにスムーズに「正気」になれるか、を、
ひとり訓練する必要がある。

これは、まだわたしも訓練の最中なので、
違和感があった時、「きたぞ!!きたぞ!!!剥がすぞ!!!」と
息巻いている。この方法は人によって違うと思うけど
また結果、報告します。

これ、ふと我に帰った時【まじで!誰なの!】という感覚に、なる。
誰だったんだ・・・・・・という感覚。
なので、【まじで誰なの劇場】(名付け親:青のドラゴン)
となったわけだ。ちゃんちゃん。


自分探しの旅と
居場所探しの旅が
終わらない理由

この2つの事象の
原因は同じです。

どちらも
演じる自分を旅して
いるだけで

その根本で
本当の自分を
怖くて出せないで
生きているだけです。

〈サイクルパターン〉

①2つのスタート

・居場所ジプシー
今の居場所に適応した
自分Aを演じる。

※居場所と自分が
 適合していないのは
 自分が悪いと
 どこかで思っている状態

・自分探しジプシー
こうありたいと憧れた
自分Aを演じる。

※人と比べてしまい
 自分が好きじゃない状態

②挫折を経験する

疲れてきたり
上手くいかなったりして
演じる自分Aに
違和感が出てくる。

もしくは自分Aという
姿を誰かに指摘されて
せっかく積み上げた
キャラ設定を
壊される経験をする。

・居場所ジプシー
自分が悪いと思い込んで
自分Bを模索する。

自分Bを演じながら
こんどこそは!!!と
新しい居場所に身を置いて
居場所との適合を目指す。

※恐怖心が強く緊張しがち。
 仲良くなった人に
 過度に依存的になるなど
 危ない状態

・自分探しジプシー
もっと批判されない
もしくは
もっと評価される
自分Bを作ろうと躍起になる。

意欲的に自己改革に
取り組んでいるので
自分の心に問題があるとは
思っていない事例が多い。

※実は嫉妬心が強い。
 自分の身の丈に合わない
 生き方をしている
 危うい状態

③同じことを繰り返す

どちらの事例でも
・本当の自分の姿を磨き
・その姿で生きている
 のではなく

★自分A→自分Bと
 「演じる自分」を
 変えてきているだけ

★常に理想の偽物の
 自分を造ろうとして
 生きている状態

〈結論〉

自分を演じるとは
どんなキャラであれ
演じることそのものが
人間の心身には
負荷がかかるものです。

演じることに
違和感や不満を
感じているにも関わらず
結局次に選択するのは

「また演じる(キャラ変)」
というサイクルに
はまり込むのが
ジプシーの特徴です。

そしてその背後には
『本当の貴方は?』
という問いが
置き去りにされています。

居場所ジプシーは
居場所に適合できる
キャラを探し続け

自分探しジプシーは
自分が納得いく
キャラを探し続け

本当の自分の姿で
生きる自分を
奥底に隠したまま

キャラ造りに
時間をかけて
人生の時間を
消費しています。

その上で
「本当の自分」を
探そうとするという

行動と願いの大きな
矛盾性を抱えているのが
この人たちの特徴です。

〈私にできる治療〉

この人たちに私の眼を
使ってできることは

その人が造ってきた
キャラを全てすり抜けて
その奥に在る
「その人自身」を
見つめること。

その姿に対して
話しかけること。

その姿に対して
「これができるはずよね」
と呼びかけて
仕事を作って渡すこと。

相手がやってきた
キャラ造りを笑顔で
ガン無視することです(笑)

この眼は大体
人々から不思議そうに
見つめ返されます。

この人は一体何を
言っているのだろう??
と受け止めるまでに
時間がかかるようです。

そしてもう1つ。

本当の自分を生きる…
とか言いながら
その奥底に
本当の自分で生きることを
恐れて生きる貴方の姿を

その、ほの暗い闇夜に
紛れた貴方の姿を
見つめ続けることです。

この眼は大体
多くの人が苦手らしく
この私の眼から
目を反らそうとしたり
逃げ出そうとする
人がほとんどです。

自分の中の観られたくない
という何かが反応して
居心地が一気に
悪くなるようです。

全てをすり抜けて
貴方という存在を
まっすぐに見つめ

そこに対して
接し続けるのが
私の治療スタイルです。

#在る森のはなし
#人材育成
#ジプシーあるある
#観る治療

金子ひとみの言葉より


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