見出し画像

幸せは自分で取りにいかなければ受け取れない。〜私が実現したいパートナーシップとはどのような関係性か④〜

気がついたら「パートナーシップ」についてのエッセイは第4回目となった。今回やっと「私が実現したいパートナーシップ」についての結論がでそうです。笑

“自分が圧倒的に生きる力をつけいてたら、 コミュニケーションでのストレスを凌駕できたのでは? そして同時に。 この1ヶ月のエッセイ執筆の中で、大きく気づき、今その修正のために必死に奔走している、 「自分の人生を充実させる」「自分の仕事の実力を確実につけていく」 ということが、パートナーシップを安定させるためにも、必要不可欠なことだったのではないかと考えている。 ”



「論理的な話し方」をして「誰にでも伝わるコミュニケーションをとる」ことで、意思疎通の齟齬を回避する。


先述したように、私は、自分の言いたいことが伝わらない状態で工夫もせずに爆走して生きてきたため、多くの人からみて、私は「意味のわからない人」だったろうし、理解されにくいし、私自身が相手の言っていることをそもそもきちんと汲み取ることができずにいて、断片的に相手の意図を汲むため全体像が空想的になりがちだった。すると自然と相手にとって必要な愛を注ぐこともできずにストレスを抱える、ということを繰り返していた。

この問題をどう解決したらいいのか。それは、「自らのネガティブな感情を排して」「論理的(誰が聞いてもわかるように組み立てた言葉)に」自分の頭の中を整理して、相手に伝える、相手の言いたいことを論理的に組み立てながらヒアリングする。それを繰り返しながら、問題解決に向けて相手と根気よくコミュニケーションを重ねること。その先に、相手との信頼関係が生まれ、ストレスなく人と繋がることができるようになると、考えている。

少しずつだけれど、今、私は「在る森のはなし」のなかでその訓練をしている。森の仲間たちは、私と同様に、これまでの人生で社会において、いろんな悩みを抱えて生きてきた人たち。でも、もう諦めずにこの地球で、「愛で生きていく。」と決めた人たちだから、同じ方向を向いて、毎日一緒に切磋琢磨して生きている。


大家族。



私はこっそり「在る森のはなし」はビジネススクールだ。と思っている。もしくは人生道場。

基本的にメンバー全員からの「愛の毛布」が、メンバー全員の魂の下に敷いてあるので、何度も失敗しながら、今までだったら「嫌われる」「もうこんな失敗したら立ち直れない」「死にたい」と思っていたような現象が起きても、怪我しない。落ち込むこともあるけれど、毛布に包まれてるから安心して立ち上がって何度でもチャレンジできる。

人は繰り返し繰り返し訓練しないと、上手にならない。本当にそう思う。
以前写真を学ばせていただいていたある写真教室で、ある巨匠がこう言っていた。「量のない質はない」。人生も写真も同じことだと思う。

在る森のはなしのメンバーは、皆、「人のために生きる」を目的にして約束してそれを掲げて生きているから、それができるし、させてもらえている。

だから逆に、自分勝手で相手の命を考えないような行動をしたらメンバーはみんな、自分のことのように叱ってくれる。

同様に、嬉しいことがあれば、自分のことのように喜んでくれる。

だから、頑張れる。

メタ認知という高次の自分に自分を監視してもらう


自分の目的地を設定しながら日々を暮らす。

論理的に説明する。それと同時に必要なこと、それは「メタ認知」を働かせること。もう一人の自分が、いつも自分を上空から見定めて自分の現在地を把握する。自分を目的地に連れていく。寄り道していたら、軌道修正させる。自分が、果たして自分の不足感、罪悪感、嫉妬、etc…「ネガティブな感情」を由来して動いていないかどうかチェック。発見したら、軌道修正。

相手のために
相手の命のために
相手の人生のために
今それを行っているのか
それは自分にとっての本来の幸せのためなのか。

自分の設定した目的地への道程としてそれが必要かどうか
見定めて軌道修正。

日々毎瞬、それを繰り返すこと。

それが、「大人」として、「自分の夢を実現するもの」として、必要なチカラだった。


目的地設定が大事

当然のことながら、大前提には「目的地」を設定することが最も大事になってくる。振り返ると、私にとって、「人とのコミュニケーションのミス」が、私の42年間の「人生の現在地」を大いに見誤る原因となっていたのだけれど、そもそもそれ以上に問題だったのが、私は自分の「能力」をきちんと見定めていなかったために「目的地」の設定から見誤っていたこと。
それがすべての敗因だった。


目的地設定は、自分の能力を見定めるところからはじめよう


まず、自分の強みは何か。自分の志すべき方向はどこか。
自分が生きていきたい世界はどこか。それを、客観視すべき。

自分の才能に関しては、自分の人生を辿っていけば、だいたい視えてくる。

人生を辿る。例えば。
突然ですが「在る森のはなし」の大事な仲間、ふじきじゅん。


写真左。ふじきじゅん。


彼女としていた何気ない会話で「子どもの頃の夢はなんだったか」という話題になった。

彼女は小学生の頃から「接骨院の先生ってすごい!憧れ!」という視点を持っていて、実際に彼女は大学で柔道整復師の資格を取り、整形外科で働くようになったらしい。(今はフリーの柔整師)。

私に置き換えたら「接骨院で柔道整復師として働きたい!」という意識を
自我が芽生えてからこの歳まで1mmも持ったことはない。

私が小学校六年生の頃に卒業文集に書いた「将来の夢」は「世界を食べ尽くすグルメ情報誌の編集者」だった。
(その後、美術教諭、90歳で死海で浮かびながらセルフヌード写真を撮る・・・など変化はあったものの)

たべものを扱う編集者。という部分でいうと、私の現在の生業、ほぼそのままだなあ、と思う。

ふじきじゅんと私の夢には隔たりがあり、
当然のことながら、「個性」がここに浮かび上がるわけで

私の才能は、あくまで「表現者」であって「写真を撮ったり」「文章を書いたり」することであり、全体の他者と比較したときに、「写真を撮ったり」「文章を書いたり」することは、得意な方に分類されるわけだ。

それを42年間、誰かに褒められなければ誰かが引き揚げてくれなければ
私に才能などない。と、打ちひしがれ、「どうせどうせ」とウジウジと大した努力もしないでなんとなくその仕事をこなして、あぐらを掻いて高みに連れていってくれる王子様を待つ、という、とんでもなく横柄で、生きる喜びを感じられないような生き方をしてきたのだった。

馬鹿馬鹿しいにも、ほどがある。

Girls, be ambitious!!
〜女性たちよ・大志を抱け!!〜

ここで、先述した「自分の目的地の設定」が大事になってくる。
自分の命を今後どのようにつかうか。
の目的を設定する。

自分の才能を活かして、人のために生きる。
私は、だらだらとなんとなく自分の能力を味のないガムを噛むように消費してきたけれども、これからは、私は自分の才能をきちんと自分で「認識し」「磨いて」「人のためにつかう」ことを、人生の目的として設定した。
写真を撮る・文章を描く。という能力を使いながら「人のためにいきる」人生を設定。そうすると、やることは自然と決まってくる。


自分の生き方が決まったところでようやく理想のパートナーシップが視えてくる。


ここで「愛のパートナーシップ」に話を戻したいのだけれど、
まず自分の人生に「目的地というピン」を打ったら、自然とパートナーシップも決まってくるなあ。と感じた。

まずこの自分の目的をおいた人生に伴走してくださる方でなければ、一緒に生きてはいけない。

そして、相手も同じように、志を掲げ、そこにひた走る人でなかったら、一緒に生きていけない。

この人のようになりたい。
この人のように素晴らしい志で生きていきたい。
と、背中を追いかけ合う人生。
そうじゃなかったら絶対絶対つまんない!!
(※感想には個人差があります)

そういう関係性だったら、もはや、「相手に無力な自分を幸せにしてほしい」などという、生ぬるく、仄暗く、他力本願で気持ちの悪い考えは消えて無くなるはずなのだ。

自分が自分で生きる力をつけて、誰かを幸せにする。という目標を掲げていたら。私のことを愛してほしい。私のことをもっと見てほしい。もっと!もっと!助けてほしい。と縋りついて、相手からエネルギーを搾取しているような関係性など、構築するはずはないのだ。だってそんな暇ないでしょ。

自分の能力をどうやって高めていくか、ばかり考えていたら
そんなことを考える暇など、きっとない。

自分の能力を使って生きる!
それを全面的にサポートしてくれるパートナー。
そして、私も、相手のそれに伴走して、がんばれ!がんばれ!と応援しつづけられるような関係性。

お互いが憧れて尊敬して、一緒にいて楽しくて仕方ない関係性。

この二人はそんなパートナーシップをきっちり構築している。


自分に自信がない。というのは「自分を生きる」をやらない言い訳


自分に自信がない=つまりそれは、自分を高める努力、自分を高めることに対して怠慢でいる姿勢にほかならない。
だから、延々自信がなく「女性性を拗らせた私」は誰に声をかけられれば、「かまってもらえた!」と過剰に反応し、必要以上にはしゃぎまくって=目的を忘却し、自分が自分に置いている価値があまりにも低すぎるため、自分が設定している夢といったものが無く、目の前に現れる同じような波動で「助けてほしい」という無意識を持っている人の欲求を満たすことで、自分の価値観を高めるため、相手のオーダー以上のことをしようと、相手の想いを忖度して動いて疲弊していた。(=ほぼ思い込み・空想で急発進=ありがた迷惑になることも。)結果、求められている以上の返答をしてしまう=くたびれ果てる=くたびれはてパニックになる=優先順位を見誤る。
そうして周りに過剰に期待させ、自分の力量を超えた荷物を背負おうとして潰れて相手からの信用をなくす。→結果/自分が不幸になる結果を無意識に選択していた。蟻地獄かよ。

幸せは自分でとりにいかなければ
幸せになれない


そんなわけで、私は自分を生きる、自分の能力を人様のために発揮する人生を選ぶことにした。そしてこれまで本当になにをやっていたの!!という、自分の実力のなさに途方に暮れそうになりながら、あきらめずに実力をつける!を磨いて忙しい日々を生きている。
妬んで羨んで、私には才能がない、と指を咥えて生きるのはもうやめたのだ。本当にそんな暇ないんだ。
いいよね〜可愛くて。と、可愛く美しい人に嫉妬して、自分が美しくなることを放棄する選択をしてきた人生なんてもうこりごりだ。
自分の人生は自分のものなのだ。自分の才能を磨いて自分の本質を磨いて美しくなること。それは私が今世でやるべきこと。自分の幸せは自分で掴みにいくものなのだ。

私が実現したいパートナーシップ


私の幸せは、自分で取りに行かなくちゃどこからもやってこない。
白馬の王子様を夢見ていても仕方ない!苦笑。
「人のために」自分の才能を磨いて生きて、同じように「人のために生きる」同士であるパートナーを見つけ、共に生きるのが、私の人間としての幸せだ。

というわけで、引き続き、自分の才能を磨いて、自分の本質の美を磨く、忙しい毎日を送ります!!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?