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母の奇跡の形見

5月18日は「ことばの日」。
この日にちなんで「#忘れられないことば」について書きました。



5年前に亡くなった母は、がんの再発転移によるものだったため、家族には余命宣告されていた。なので、伝えたかったことは、伝えきることができたように思う。切なさはあふれるが、それだけは本当にありがたかった。

私が一番伝えたかった言葉。それは、息子の出産に際して、陣痛に苦しむ私の腰をさすり続けてくれたことへの感謝だ。

今年、小学校6年生になった息子は、現時点で小学校を「皆勤」という、その健やかさはまぶしいくらいだ。息子は、私にとって第一子で、陣痛は想像以上の長さと辛さだった。

日曜の午後に破水して入院。陣痛室のテレビで「情熱大陸」を見ていた23時過ぎ、陣痛が始まった。夫が私の両親に連絡し、翌朝すぐに新幹線で来てくれることになった。定期的に襲ってくる陣痛。「お母さんたちが来る頃には生まれてたりして?」と思ったものの、全然お産は進まない。初産はそういうものらしい。

一晩中眠れず苦しんだ翌朝、当時まだ元気だった母と、父が病院に到着した。私の陣痛は5分おきだったり、10分おきだったり。絶叫するような痛みが襲ってくるたびに、母は、私の腰をさすってくれた。さすり方が夫とはたいそう違い、どうすれば痛みがやわらぐのかよくわかっているようで、「これがなければ耐えられない」と思った。

母は、もともと体のあちこちが弱かった。手足も丈夫でなく、たとえば、ちょっと熱心に雑巾で拭き掃除などしようものなら、翌日は腕に痛みが出て、手首やら二の腕やら、湿布だらけにして痛み止めを飲んで安静にしている……そんな日常を送っていた。

だから、私の陣痛のたびに強くさする母のことが、実は、とても心配だった。この頻度でこの強さで、長時間腕を使わせてしまって、どれくらい母の体に影響が出るのだろうか。しかし、陣痛の痛みはすさまじく、「お母さん、もうさすってくれなくていいよ」とは、どうしても言うことができなかった。言わなきゃお母さんが大変になる、でもとても言えない、お母さんごめん、という葛藤。

結局、息子が生まれたのは、陣痛が始まってから36時間後、火曜日の14時過ぎとなった。ちょうどその日は大型の台風が日本列島を襲っていた。「帰りの新幹線が止まる前に」と、両親は生まれたての息子をひととおり愛でると、私とは面会もできないまま、慌ただしく帰って行った。私は母にお礼を言うタイミングを逸してしまい、その後何年も、言えずじまいだった。

なので、私は母が亡くなる前に、この時のお礼を絶対に伝えたかった。
もう起き上がることのできない母に、「お母さん、あのときはありがとう」と数年越しに感謝の気持ちを伝えた。「あのあと手が痛かったでしょう?」とたずねると母は、「娘だから仕方ないよ」と一言。ああ、きっと相当痛かったのだな……と思った。けれど、本当に言えてよかった。

しかしこの話には後日談がある。
母の葬儀で、母の友人がこんなことを教えてくれたのだ。

「あなたのお産のとき、お母さんずっと腰さすってくれてたんでしょう?あのあと手が痛かったんじゃないの?ってお母さんに聞いたら、“私は娘に幸せな思いをたくさんさせてもらったから、その恩返しができたと思ってるの”って言ってたのよ。これ、あなたに絶対伝えなきゃってずっと思ってて。」

私はびっくりして、なんだか笑ってしまった。
私、お母さんに最期にちゃんとお礼言ったよね?その言葉を伝えるチャンス作ったよね?どうして私に直接、そういう大事なこと言わないのかなあ。でもなんだか、クールなお母さんらしいなあ……。

恩返しだなんて。そして私を育てるなかで、幸せな思いをたくさんしていただなんて。
私には伝わらない可能性だってじゅうぶんにあった、母の想い。
たとえその言葉が私に伝わっていなくても、私は母のことが大好きなままだろう。
けれど、最後の最後に私に届けられたその言葉は、どんな宝石にもかなわない、奇跡の形見となった。

(text&photo Noriko ©elia )

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