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一緒に生きよう。幸せになるために。

 窓の向こうの闇夜に淡い明るさが広がる頃、頬に柔らかくて温かいものが触れる。触れる、という表現では少し弱いような、ムニッとした感触。続く小さな「ニャー」という鳴き声。
 あー、もう朝か、とぼんやり思った瞬間、反対側の頬に生温かい息が吹きかかる。フン、と小さく鼻を鳴らしたあと、ベロンベロンベロンと舐められる。くすぐったくて笑いながら「やめて」と言っても、舌の主はベロベロしまくる。
 こうなってはもう起きるほかない。「ニャー」を聞いた瞬間、ほとんど目は覚めているのだが、惰眠を貪りたくてうとうとしていると、こうやって実力行使をかまされるのだ。
 ちょっとめんどくさくて、最高に幸せな朝の迎え方だ。

 3ヶ月前、保護猫のなゆた、保護犬のもなかを我が家に迎えてから、私の朝はもうずっとそんな感じだ。ずっと、なんて言えるほど長い時間じゃないかもしれないけど、私にとっては、もうずっと、だ。

ひなたぼっこをする、もなか・なゆた

 私が保護犬・保護猫のことを知ったのは、高校生の頃に読んだ「君と一緒に生きよう」という、森絵都さんの書いた小説の中でだ。12歳の夏、父がペットショップから買ってきたミニチュア・ダックスと暮らしていた当時の私は、その存在を知ってから漠然と「大人になって、犬を飼うことがあったら、保護犬にしよう」と考えていた。

 念願の新築一戸建てに引っ越して、荷解きに追われる毎日を過ごし、ようやく落ち着きを取り戻した私は「この家、静かだな」と気づいた。私たち夫婦に子供はおらず、唯一の家族である夫は仕事で忙しく、在宅で仕事をしている私だけが、日中に一人で家にいる。静かで当然である。
 夫のいる休日。日用品の買い出しに行ったホームセンターの一角に、ペットショップがあった。透明な壁の向こうに並ぶちいさな生き物たちをみて、思わず「ねえ、犬を飼うとかどうかな?」と聞いていた。
 夫は、まるで夕飯のメニューに同意するような軽さで「いいんじゃない? 楽しいと思うよ」と答えた。なので、畳み掛けるように言った。「飼うなら保護犬がいいなって思ってるんだけど」。

 こうと決めたらすぐ行動するのが、私の長所であり短所でもある。
 帰宅するや否や、近くで譲渡会を開催しているという情報を得て、すぐさま足を運んだ。翌日には保護犬とのお見合いを申し込み、翌週の休日にはリビングにケージが二つ置かれていた。
 先に我が家に来たのは、保護猫のなゆた(当時3ヶ月)。4日遅れでやってきたのが、保護犬のもなか(当時4ヶ月)。犬も猫も諦めたくなくて両方同時に迎えたけれど、仲良くなれるかどうかは本人たち次第。
 最悪、1階は犬、2階は猫で棲み分けようと話していた。

一緒のベッドでお互いを見る、もなか・なゆた

 最初はケージ越しに、お互いの顔を覚えるところから。徐々にケージを開けて一緒におやつを食べ、こわごわと挨拶をし……なんとなく一緒にいられるようになってからは、もなかとなゆたは急速に仲を深めていった。
 取っ組み合いが始まるようになると、さすがに心配で獣医さんに相談したけれど「本当に相性が悪ければ既にお互い怪我をしている。見守っていて大丈夫、上手に遊べている」という答えだった。
 犬と猫には、それぞれの遊び方がある。2匹はうまく距離を取りつつ、人間相手ではできない遊び方をすることで仲良くなっていった。今では一緒に床に転がって日向ぼっこをしたり、お互いに相手を毛繕いをしてあげたりしている。
 動物としての種類も違う、言葉もない2匹が寄り添う姿は、私に言いようのない暖かな気持ちを教えてくれる。

 なゆたは、目も開かないうちから愛護センターに収容され、保護団体のボランティアさんに引き取られた。本来なら母猫のお乳をもらっている頃から人の手で育てられたので、ボランティアさん曰く「自分を人間だと思っている」そうだ。
 事実、なゆたは大変に人懐っこく、猫を飼うのが初めてだった私はその懐っこさに戸惑った。迎えた初日からゴロゴロと喉を鳴らすも、私にはそれが人生で初めて聞く音だっため、威嚇されているのか、もしかして鼻炎なのか、と心配した。猫好きの義母に動画を送ったら、笑いながら「リラックスしているんだよ」と教えられ、ひどく安堵したのを覚えている。

我が家にきた当時のなゆた

 翌日には膝の上で眠るようになっていて、急にビクンビクン!と震えたので、まさか痙攣かと半泣きで夫に電話したところ「爆睡してるんだよ」と笑われた。実際、すぐに起きても元気そのものだったので心配するほどのことではなかったが、何せ初めての猫。しかも子猫だから何が起きるかわからないと不安しかなかった私は、夫が帰宅し笑われたことで、安心のあまり本当に泣いた。
 今思うと笑い話そのものだが、私にとっては良い思い出である。

 一方、もなかは少し手こずった。もなかは野犬の子犬として保護された、究極のビビり屋だった。
 いわゆる「子犬らしさ」が全くなく、ご飯を見せてもじっと警戒し、人が見なくなるのを待つ。ケージを開ければすぐさまソファの下に逃げ込み、安心できないのか水もほとんど飲まない。トイレも我慢しているようなので、心配で獣医さんに電話で相談したほどだ。

我が家にきた当時のもなか

 信頼関係を構築したいが、しつけもしてあげたい時期。しつけ教室にも相談して、どんなふうに接したらいいか、何度も質問した。アドバイスをくれた獣医さんにも、トレーナーさんにも言われたのは、私が心配性すぎるということだった。
 私を安心させるかのように、もなかは日に日に新たな環境に慣れていき、時折ソファの下に入り込みながらも、部屋をうろうろと探検できるようになった。私が同じ部屋にいてもご飯を食べられるようになった。そのうち、見ていても水が飲めるようになり、トイレも決まった時間に決まった場所でできるようになり、おいでと言えばいそいそと寄ってくるようになっていった。
 あんなに怯えていたのに、自分から近づいてきて、寄り添って座ってくれたときは嬉しくて小躍りしそうだった。もなかが怯えそうなので、それはぎりぎりのところで耐えたけれど、あのときの喜びは忘れられない。
 今ではお座りも、お手も、ハウスもできる。寝室には専用のベッドがあるのに、人間のベッドで一緒に寝たがる甘えたさんだ。寄り添ってからドスンと体重をかけてくるので、やや重いのがまたかわいいと言ったら親ばかだろうか。

もなか、初めてのドッグラン

 ドッグランへ連れて行った時の弾けるような笑顔と、こちらを見上げるキラキラした瞳は、私の宝ものである。

  保護犬、保護猫と暮らすとき、ついつい考えがちなのが「幸せにしてあげたい」という思い上がりだ。私も2匹を迎えてしばらくは、そんな気持ちだった。
 でも、今は違う。私はむしろ、2匹に幸せにしてもらっている。その代価にお世話をしている、そんな感覚だ。
 私は発達障害があり、感覚過敏のせいで長らく睡眠障害に悩まされていた。しかし、もなかとなゆたのお陰で、近頃は少し改善されてきた。
 朝早く2匹に起こされ、もなかと散歩に行き、眠るときはなゆたのゴロゴロと喉を鳴らす音を聞いていると、いつの間にか寝てしまっているのだ。暗い部屋で何度も寝返りを打つことは、ほとんどなくなった。
 人とのコミュニケーションが苦手で交流を避けがちだったのに、もなかが一緒ならすれ違う人に挨拶することも、「可愛いですね」と声をかけてきた人と少しの雑談をすることもできるようになってきた。
 明るくなったねと主治医にも言われたし、自分でもその自覚がある。きっと一人ではここまで来られなかっただろうし、夫と二人だけでは、もっと時間がかかったことだろう。

なゆたに毛づくろいをしてあげるもなか

 今の私は「幸せだ」と胸を張って言える。その実感は、毛むくじゃらで、ちょっと獣くさい2匹が与えてくれる。

 「そろそろご飯の時間だけど」と、なゆたが足元にきてスリスリしながら、物言いたげにニャーと鳴く。さっきまで寝言を言っていたのに、なゆたの催促の声を聞いて起き、チャカチャカと爪音を立てながら「私もお腹すいた」と言わんばかりに近寄ってくるもなか。
 本当に、ただただ可愛いばかりの存在だ。
 たった3ヶ月でも、私の人生を大きく変えてくれた可愛い2匹に。そして2匹を保護し、我が家に繋いでくれたボランティアさんたちに、今日は感謝と応援を捧げたい。

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主にいぬねこに使われます。