幸せ

死ぬ直前に幸せだったと思えたらそれは幸せである。

そう思ってたけど、死ぬ直前って人生美化されてそんなに幸せな暮らしをしてなくて幸せだったと感じるのではと思い出してからは、日々幸せを積み上げていく事の必要性を感じている。

「自己犠牲感を限りなく少なくし他者貢献できること」が自分の幸せであると定義している。
理由はさておき、困ってる人がいるならプログラミングを教えてくれと言われたら教えるけど、料理を教えてくれと言われても教えれない。作ったサービスで多くの人に貢献したいが、サーバー代月10万個人で負担となるとできない。
自分の料理を作る能力があれば教えるし、億万長者ならサーバー代も個人で捻出するけどそうではない。犠牲を払うもしくは犠牲感を感じながら貢献する事になってしまう。
残念ながら、そこまで器は大きくないので、自分がやる事は能力を高める事、心を豊かにする事、そしてお金を稼ぐこと。
お金でしか貢献できない事もあるし、自身の心の余裕を作るためにも、間違いなく必要である。

結局これのループで、能力を高め、自分を豊かにし、他者に貢献し、自分の存在を感謝される、その繰り返し。

これを死ぬまで追い続ける事で幸せと感じれるだろうし、両親や息子にも恥ずかしくない存在にはなれるはず。

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