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YOU!それナイス呼吸!グッド生存活動の維持!

目の前に座る26歳の女の子が冷麺をすすりながら目から涙をこぼしている。大粒ではないけど、小粒でもない。拭ってあげるのがいいかなと思いながら、私は自分の冷麺を一口すする。「酢がないな…」と思いながらもぐもぐしていると、彼女が口を開いた。

「私が生まれてきたことが迷惑だったのかって思うんだよね」口の中で細かくなった冷麺を勢いよく飲みこみ「いや、それは違うよ」と勢いよく言ってしまったが、私の頭の中ははてなマークが大量に発生していた。

2020年1月2日からハワイに行き、娘が現地でインフルエンザになってひたすらホテルで過ごした。食べたかったブリトーやタコス、ポキはUberEatsで注文し、なんとか絶望感を味わずに日本に帰国した。

その後じわじわと「コロナ」という言葉を目にするようになり、「なんだかようわからんけどてえへんなことが起きているぞ」と思ってるあいだに7月を迎えていた。ずっと韓国ドラマをみて過ごしてたこともあり、とにかく2月から7月が一瞬だった。

「愛の不時着」からはじまり「梨泰院クラス」、「彼女は綺麗だった」、「1%の奇跡」、「太陽の末裔」他など、総視聴時間260時間を超えたぐらいで、ようやく韓国ドラマ熱が冷めた。

そこで待っていたのが「なぜ私は生きているんだ」という疑問だった。「まじ生きてるのつらい…死にたい…」とかそういう感覚ではなく、ただ漠然と「生存活動が維持されている」という状態が不可思議で理解が追いつかない。

何度も言うが「死にたい」とか「辛い」とかそういうネガティブ思考に陥っているわけではなくて、ただ酸素吸って二酸化炭素吐き出している状態がかれこれ30年近く続いていることが摩訶不思議に感じてしかたがない。

逆に「生きている状態って奇跡だ…尊み溢れている〜」っていうのも全く無い。地球に貢献せず、宇宙に貢献せず、人間が勝手につくりあげた紙幣制度に喰らいつくかの如く働き、お金を稼いでものを買って経済を回しているし、子どもの産み人口を増やし、産んだ子どもに衣食住を与え続けている。え、すごくない?

しかも、何が不可思議だって、意志なく母親の股間から「ぴぎゃああ」と生まれてきただけなのに、まるで「私は生きる✊生きていくのだ!」みたいな決意固く生きているように社会は扱ってくる。なぜなら、自ら生存活動を断てば「自殺はだめだ!」とか「仲間がいるじゃないか!」「自殺は逃げだ」とか言うひとが一定数いるから。え、つら…。

7月21日時点で新型コロナウイルスによる世界の死亡者数は58万9000人だと出ている。この中にはきっと私より地球に貢献していて、宇宙に貢献して、誰かの役に立つ方がいたはずだ。そう感じれば感じるほど、やっぱり「なぜにあたいは生存しているんだ??」という疑問で頭がいっぱいになる。

毎日夕方ぐらいになると「今日の東京の感染者数は◯◯◯人です」とスマートニュースのプッシュ通知や、Twitterのトレンドで知る。「◯◯区でクラスターが発生しました」、「◯◯さんが新型コロナウイルスに感染し謝罪」などなど、毎日新型コロナウイルスに関する情報が飛び交っている。それと同時に「なぜ、私は生きているんだ」と頭のなかでプッシュ通知が来る。

生と死があまりにも近い。近すぎる。明日もしかしたら自分もコロナウイルスにかかるかもしれない、もしかしたらもうすでにコロナウイルスに感染しているのかもしれない。1歳の娘がコロナウイルスに感染したら、2週間以上離れ離れになるのかもしれない。夫がウイルスをまとって帰ってくるかもしれない──。そういった不安と接しすぎて、私の脳は今バグっているのだろう。

冒頭で書いた26歳の女の子は両親の不仲にずっと悩んでいた。もうかれこれ中学生ぐらいから会うたび「今日お母さんが空き瓶をお父さんに投げた」とか「お父さんが妹を叩いた」とか、無理矢理つくった笑顔で話ててくれていた。彼女は今まで黙ってその状況を耐えていたのだけど、2年前に家を出て自活し始めてから、自分の家族に対する疑問と不信が爆発した。15年近く抱いていた心のなかのモヤモヤを懸命に言語化して、両親と向き合っている。そこで「私が生まれてきたことが迷惑だったのかも」に寄り道してしまった。

生きていることが迷惑だと子どもに感じさせる親は正直「しっかりしろよ」としか思わないが、福祉の世界に片足突っ込んだ身として、実際に我が子を迷惑だと感じる親は一定数いる。だから、そこにひたすら悲しみ続けて、どん底に落ちて落ちて落ちまくる。そして這い上がるのが正解なのかもと、あのときを振り返ると思う。だから「いや、それは違うよ」はかける言葉として多分不正解で、正解は「酢がないね」だった。

脳がバグって「なぜ生きているんだ」としか考えられなくなって、全てがどうでもよくなった。私という受精卵が母の子宮に着床したとき「生きてえ!」と思ったのかもしれない、諸説あるから否定するつもりは一切ないけど、実際今の私にとって「生き続ける」ことが何よりもハードルが高い。生と死が近すぎる世界で「生きる」を続けていることに心からスタンディングオベーション TO ME。

今まで「尊敬する人は誰ですか」と言われ、おしゃれな人間だと思われたかったから「カート・コバーンです」とか「坂本龍一です」とか言ってたけど、今完全に「わたし〜」と答えると思う。いつ終われるかわからない人生を必死に生きている。酸素吸って二酸化炭素を吐き出すというPDCAをぎゅいんぎゅいん回してる。もうそれでいいじゃん、もうみんなお互いに称賛しあおう。YOU!それナイス呼吸!グッド生存活動の維持!って。


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