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雑文 生徒指導

前回のnoteで、生徒指導について少し書きました。

講師として中学校の教育現場に出てから、たびたびこの「生徒指導」というものについて考えてしまいます。生徒指導って、一体何なんでしょうか。

理論における生徒指導

上記のnoteでも述べたように、私は、はっきり言って「生徒指導」について何も知りません。ですが、教育現場に出てからあまりにも生徒指導がわからないので、夏休みに入り、学部生のときに講義のために購入したテキストを引っ張り出しました。八並(2010)によると、生徒指導の目的とは

「非行や問題行動の対応に限定されるものではなく、子ども一人ひとりの個性と社会性を育成し、将来の自己実現を促進すること(p.7)」

であるとのことです。私が知る限り「生徒指導学」というような領域はないように思っていましたが、テキストを読み返すと、生徒指導に関する文献もいくらかあるようです。

では、上述した生徒指導の目的を踏まえ、以下では教育現場に出てから約4か月の私が感じた、「現場における生徒指導」について述べたいと思います。

※参考文献
八並光俊(2010)小泉令三(編)「心理教育的援助サービスの種類」『よくわかる生徒指導・キャリア教育』,p6-9,ミネルヴァ書房

現場における生徒指導

上記の八並(2010)が述べる生徒指導の目的では、生徒指導は「非行や問題行動の対応に限定されるものではなく、子ども一人ひとりの個性と社会性を育成し、将来の自己実現を促進すること」であるとされていましたが、現場では、やはりどうしても「生徒の問題行動を正す」という目的で行われる教育活動(指導)を「生徒指導」と呼ぶ場合がほとんどであるように思います。加えて、「子ども一人ひとりの個性と社会性を育成し、将来の自己実現を促進すること」という箇所について言及するならば、ほぼほぼこのような意識で取り組まれているようにはとてもみえません。なぜなら、現場において教師がなんらかの教育的介入を行う対象は、「教師から望ましくない何らかのふるまいを行っていると判断された生徒」であり、とりわけ現場における生徒指導の文脈では、そのような生徒に対して「○○はしてはいけない、なぜなら××だから」というような言葉かけによって指導が行われます。果たして、この生徒指導がどのように生徒の「将来の自己実現を促進すること」に寄与するのでしょうか。あるいは、「個性と社会性を育成する生徒指導」とは一体どのようなものなのでしょうか
また、生徒指導にあたって、先生方がしばしば「あの子が将来○○な大人にならないために」ということを言われます。しかしそれは、あくまで教師自身の願いであって、生徒の「自己実現を促進するもの」ではありません。また、「個性と社会性の育成を意図した指導」として妥当かどうかという点にやはり疑問が残ります。

最初の違和感

最後に、私がはじめて「生徒指導」に関する違和感を覚えたエピソードについて共有させてください。必ずしも上述した2つのトピックとは関連しませんが、私が「いや生徒指導って何なのよ?」と思ったきっかけです。

それはAさんの変化がきっかけでした。Aさんは、4月の赴任当初、私や私の授業にとても好意的で、またとても熱心に理科の授業に取り組む生徒でした。しかし、中間テスト終了後、態度が一変しました。授業中に目の前でため息をつく、それまで敬語だったのにダルそうにため口で受け答えをする、私語、以上のような姿がみられ、Aさんは今までとは別人のような授業態度をとるようになりました。

私としては、Aさんの変化の原因がまったくわからず(学習態度が急変したのは受け持つ生徒の中でもAさんだけ)、困惑しました。直接話を聞こうかとも考えましたが、目立つ問題行動を起こしているわけではなく、また聞いたところでどのようなフィードバックをすればいいのかわからないので、保留しました。

とはいえ、個人的には、明らかに「好意的」だった態度が「敵意的」な態度に変化しているようにみえる現実をどうにか改善する必要があるように思いました。自分の限られた時間と頭では、問題の原因と対処方法がわからないので、ここは先輩の先生に相談しようと思い、Aさんのクラスを受け持つ担任の先生(先輩)にお時間をいただき、相談させていただきました。

私は、先輩の先生に、「Aさんのことなんですが、中間テストを境目に、積極的だった態度が消極的かつやや私に敵意があるような態度に変わりました。このような場合に、こうなってしまった原因は何であると考えられますか?また、どのように対処すればいいでしょうか?」というように聞きました。すると先輩の先生から、「そういうのは、向こうが舐めた態度とってるんだからビシッと言うべきだと思うよ」という回答が返ってきました。

「いや、それはそうかもしれませんが、僕に対する態度が変わった以上なにか僕に関連する原因があるかと思うのですが、Aさんから何か聞いていたりしませんか?または何か考えられ得る原因などはないでしょうか?」と、もう一度私が聞き返すと、「それは本人に聞かなわからないけれども、とにかくAさんの態度を聞く限り、舐めた態度とってるんやからまずそれを『なにその態度?なんか文句でもあるの?』と言って生徒指導を行う必要があるように思う。それに、そんなにいちいち生徒の気持ちを気にしていたらこの仕事は身がもたない」、そう先輩の先生は言いました。

そうですか、と言いつつ、余計に私は困惑しました。今まで「問題(事象)がみられたらまず原因を想定して、その後原因に特化したアプローチを実践する」という研究(理論)上の考え方をしすぎたせいでしょうか、正直なところとても受け入れられないアドバイスでした。仮に私のふとした無意識のふるまいによってAさんが私に不信感を抱いたことで授業態度が悪化したとするならば、私がAさんに「なに舐めた態度とってんの?そんなんでいいと思ってる?」というような言葉かけを行ったところで、状況は改善されるのでしょうか。まさか、原因を考えずに「指導」が先行させることが優先されるなんて、とてもできません。そしてこれがいわゆる「生徒指導」なのでしょうか?

補足をすると、相談させていただいた先輩の先生は、普段から私のことを気にかけてくださるとてもお世話になっている先生です。また、義理がたく人情もある、とても心優しい方です。

ですが、この日を境に、私は「生徒指導」についてなにもわからなくなりました。上述した八並(2010)の知見を踏まえてこの数か月の経験を鑑みても、「生徒指導」として何をどうすべきなのかわかりません。

「舐めてるから」、「気に入らないから」、「ムカつくから」、それは確かに生徒が望ましくない(好ましくない)態度をみせているからであると思いますが、それに対して原因を検討せず指導を行うというのは、危うい行為ではないのでしょうか。それは一歩間違えると、恐怖による支配や悪しき権威主義といった、我々の世代で断ち切りたい呪いを助長させることにつながるのではないのでしょうか。

これは私の考えすぎでしょうか。

ともかく、こんなことをうだうだ言いながら、結局Aさんを放置する形になってしまった自分も情けなくて嫌になりますが、いまだにどうすればよかったのかわかりません。

みなさんは、「生徒指導」について、どのように考えられていますか?



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