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愛を語るより口づけをかわそう的思考

これからわたしは「愛を語る」わけでもなく、「口づけをかわそう」と誰かに懇願するわけでもない。

それは「Eテレ」がまだ「教育テレビ」だった頃の話だ。

わたしはまだ〝ピチピチ〟の青年で、なぜかそのときたまたま教育テレビを観ていた(今では当たり前のことだが、当時は教育テレビなんぞほとんど視聴していなかった)。
番組には、わたしと同世代の男女数名が車座になって討論していた。何について語っていたのかは憶えていないが、きっと夢とか将来とか、そんなことについてだったと思う。

ある男性は、「オレは、根拠のない自信があるんすよ~」と得意げに、かつ声高に語っていたし、またある女性は、「自分にはやりたいことがあるけれど、なかなか一歩が踏み出せないんですぅ」と俯きながらゆっくりと言葉を選んで話していた。
他にも数名の若者が、将来の夢や今抱えている不安や悩みなどについて真剣な面持ちで語り、それに対しては、話を聞いていた別の若者が励ましたり、今でいうマウントを取ったりしていた。

一時間ほどの番組だったろうか?
討論がどういう結論に落ち着いたかはまったく記憶がないが、多くの若者たちはどこか満足気で、清々しい表情をしていた。もしかすれば〝根拠のない自信をもった〟男性の呼びかけで、収録後にみんなで居酒屋なんかに行って討論の続きをしたかもしれない。そして、ワンナイト・ラブのひとつやふたつ起こったかもしれない(下品だぞ、やめろ)。

一見すると、前途洋々な若者たちの討論会。わたしも決して悪い気分にはならず、むしろ自分も頑張ろうと思っていたんじゃないかと思う。

しかし、この番組のエンディングでガラッと雰囲気が変わってしまうことになる。

この討論会にゲスト(アドバイザー的な立ち位置?)として参加していた元F1レーサーの片山右京さんが、ごもっともな意見をズバッと言ったのである。

以下、記憶を頼りに……。

「もし僕が君たちと同年代で、やりたいことがあるんだったら、今日この場には来ていない。ここに来ている暇があったら、やりたいことの一つでもやっている」

テレビを観ていたわたしの部屋まで秒で凍りついた。譬えるなら、両想いだと思っていた女性が実はオレのことなんて全然好きじゃなくて、別に好きな人がいたことを知らされたくらいの衝撃だった(譬えがいまいち)。

あれから随分と月日が経ったが、いまだにこの言葉が頭に残っている。
わたしはもう若者ではないが、年齢など関係なく同じことが言えるのではなかろうか。

そこで思い出したのが、今回の記事のタイトルにもしたWANDSの歌だ。

※余談
90年代のBeing(レコード会社)から出る曲のタイトルは、とにかくやたらと長かった(このまま君だけを奪い去りたい、愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない、別れましょう私から消えましょうあなたから、いつしか愛想をつかされないようにちゃんと書けよ←最後のはもちろん嘘)

で、WANDSの曲のタイトルだ。
まったくその通りである。

今、わたしは、愛を語るより口づけをかわしたい!!!(キモチワルイ)

やっちまえ!
ぐだぐだ言ってねぇで、とにかく行動しちまえ!
ぐだぐだ言うのは、せめて行動してからにしろ!

片山さんにそう言われたことを勝手に想像して、今もこうして文章を書いているし、最近は作曲もじゃんじゃんしているし、パンだってガツガツ作っている。

だからもし、今現在、なかなか前に進めない人がいるなら、オレと一緒に口づけをかわしにかかろうぜ!(ダカラ,キモチワルイッテバ)

※一応言っておきますが、僕と接吻して!って意味ではありません(シッテルカラ)。
※あと、愛を語るのは嫌いではありません。むしろ好きです(シラナイカラ)。

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