エレパン

書きたいことを、書きたいときに――。

エレパン

書きたいことを、書きたいときに――。

最近の記事

必要なのは音楽だった

わたしは自分が好きではない。 どちらかと言えば、嫌いだ。 数年前の自分よりはいくらか〝好き側〟に傾いている気もするが、それでもやはり自分が嫌いだ。 本当はこんなこと、わざわざnoteには書きたくない。 でも、書いているのだから、本当は書きたい(誰かに伝えたい)のだろう。 わたしは強くない。 むしろ弱い。いや、かなり弱い。 毎日気持ちがブレる。 自分など存在しなくてもいいのではないかと思うこともよくある。 妻が働きに出ている間に、外食をしたり、何か欲しいものを買うとき、

    • 「乗り越える」をやめる

      乗り越える、という言葉。 素晴らしい言葉だと思う。 何かを乗り越えれば、そこには新しい景色が待っていそうだし、その景色はきっと輝かしいものだろう。 でも、もしそれが、そう簡単に乗り越えられることではないとしたら? それでも「乗り越える」べきだろうか? それでも乗り越えようとする姿は、やはり、とてつもなく、素晴らしいことなんだろう。 なんたって、乗り越えるんだから。努力が実るんだから。 でも、どうしても乗り越えられないとしたら? 「乗り越える」という言葉は、苦しいだけ

      • 文章化デトックス

        わたしは小説を書きたい人間だ。それが人様からしてみれば小説とは呼べない代物であっても、それでもなおわたしは、そんなことなど気にせずに自分の好きなように小説を書き続けたいと思っている。 しかしながら、「これは小説だ! と自分で言ってしまえばそれは小説なんだ!」とか、「収入がなくても小説を書いているのなら、それは小説家と言えるのだ!」などと傲慢なことを言うつもりはない。そもそもわたしの書く文章が、そんなレベルには到底達していないことをわたし自身がよく知っている。 早い話、完全な

        • 【短編】無響

          思考が停止した。何ひとつ頭で考えることができない。 視界ははっきりしているのに、眼前の景色に対する感情が一切入ってこない。 ぼんやりと「今、自分はここにいる」ことはわかるのだが、それ以上の思考がまったく働かない。 ズキズキと頭痛がするわけではないし、吐き気がするわけでもない。ただ、頭はぼんやりしていて、輪郭が実線で表せない状態だ。脳みそを血液がめぐっているのはうっすら感じるが、今見ている世界は、まるで写真みたいに静止しており、表面的だ。何も感じない。何も考えられない。パソコン

        必要なのは音楽だった

          路線バスの美しい記憶

          少し前だが、久しぶりに路線バスに乗った。 庶民的なフランス料理のお店へ出かけるためだ。 わたしは普段ほとんどお酒を飲まないので、いつもなら(酒飲みの)妻を助手席に乗せて自分が運転して出かけるのだが、今回はちょっと違った。 最近、わたしたち夫婦の共通の友人が、旦那様と二人同時に脱サラをして日本酒専門の酒屋さんを始めたのだが、その友人夫妻がフランス料理店の食事に合う日本酒をコーディネートすることになったのだ(日本酒ソムリエ的な感じ)。お店同士のコラボのようで、予約が必要なほどの

          路線バスの美しい記憶

          大橋トリオに学ぶ「時間」の作り方

          今日は日曜日。現在の時刻は、お昼の11:58。 妻は実家に帰っている。いつもなら同行しているわたしだが、今日はわがままを言って一人にさせてもらった。 カフェで一人、ハンバーグランチを食べる。 ヘッドフォンでクラシックを聴き、右手にはブラックコーヒーを置く。 風は強いが、快晴。気分も上昇気流に乗ったようだ。 午前中に予定していた打合せも無事終わり、ほっと一安心。 わたしは、わたしの頭を整理したくて、今こうして書き始めた。 今日は「時間」について記しておこうと思う。 以前の記事

          大橋トリオに学ぶ「時間」の作り方

          トイレで遭遇した子どもを通してわたしは自分の未来を見た

          ショッピングセンター内のトイレで用を足していた。 男性用小便器は6基ほど。トイレの中にはわたし一人だけだった(個室は確認していないので、もしかしたら他に誰かいたかもしれない。でも少なくとも、いきんでいる人はいなかった)。 何万回と行ってきた排尿という行為を、今日もここショッピングセンター内のトイレで行っていると、駆け足で男の子がやってきた。 周りをキョロキョロ見ながら、わたしの右隣の便器で何千回目か(?)の行為を始めた。 時々わたしの様子もチラチラみる彼(股間の辺りもしっか

          トイレで遭遇した子どもを通してわたしは自分の未来を見た

          迷ってるならどっちでもいい

          実家に行くと、母親が難しい顔をしていた。 声をかけてもどこか上の空。書類を見ながら、なにやら悩んでいる様子。 話を聞いてみると、所属しているスポーツクラブの会合があるとかで、その幹事を担当している母は、参加者の席次を決めるのに頭を抱えていたらしい。 〇〇さん(偉い人)が座る場所はここでいいのか? 「上座下座」問題、つまりは失礼がないかどうか、とても気にしていた。 わたしも書類を覗いてみたが、確かに「失礼に当たるかも?」と「いや、そんなことないんじゃないか?」を行ったり来たり

          迷ってるならどっちでもいい

          パン教室に参加してきた。独学に限界を感じていたからだ。思い通りにいかないところについてアドバイスをもらえたし、一度基本に立ち返ることが大事だとも教わった。今後も継続的に参加したいと思う。(自分で言うのもなんだが美味しかった✌️)

          パン教室に参加してきた。独学に限界を感じていたからだ。思い通りにいかないところについてアドバイスをもらえたし、一度基本に立ち返ることが大事だとも教わった。今後も継続的に参加したいと思う。(自分で言うのもなんだが美味しかった✌️)

          隠し場所は自分自身

          最近、「思慮深い人ですね!」と言われて、気分を良くしているわたし。 自分では〝考えすぎ〟なタイプだと思っていたけど、〝思慮深い〟って言われると、なんか急にできる男になったみたいでカッコイイ!(実際には、カッコイイには程遠い人間で、ブラジルくらい遠い)。 しかし、過去にこの〝思慮深さ〟に自らハマってしまった経験がある。 話は中学生時代にまで遡る。 思春期の真っ只中、性に目覚めた男子生徒の間では、いつしか卑猥な本や映像モノが教室内でも出回り始めていた(そりゃあ、もちろん、わた

          隠し場所は自分自身

          可愛くて持ち運び便利なタンブラーを買いました。なんと折りたためちゃうんです! 今まさにスタバに来て使ってみたのですが、マイボトル割引が適用になりました~。環境にもお財布にも優しい。最高! kikiさん、ふらおさんから、スタエフを介してナイスな情報をいただきました。感謝感謝!

          可愛くて持ち運び便利なタンブラーを買いました。なんと折りたためちゃうんです! 今まさにスタバに来て使ってみたのですが、マイボトル割引が適用になりました~。環境にもお財布にも優しい。最高! kikiさん、ふらおさんから、スタエフを介してナイスな情報をいただきました。感謝感謝!

          破裂するカンパーニュ、初めてのタバチュール

          わたしがパン作りを始めてから1年が過ぎた。 初めの頃は、食パンやバターロールなんかも作っていたけど、ここ最近はハード系のパンばかり焼いている。 それは、なぜか? わたし自身、バターと牛乳で作るパンよりも、塩と水で作るパンのほうが好きだからだ(正確に言えば、好きだということがわかった)。 甘いパンも、大大大大大好きなのだけれど、甘くないパンはご飯にとてもよく合うのだ。先日作ったパンも、「鶏もも肉のブレゼ(志麻さんのレシピ)」と相性がバッチリであった。 さて、ハード系のパン

          破裂するカンパーニュ、初めてのタバチュール

          愛を語るより口づけをかわそう的思考

          これからわたしは「愛を語る」わけでもなく、「口づけをかわそう」と誰かに懇願するわけでもない。 それは「Eテレ」がまだ「教育テレビ」だった頃の話だ。 わたしはまだ〝ピチピチ〟の青年で、なぜかそのときたまたま教育テレビを観ていた(今では当たり前のことだが、当時は教育テレビなんぞほとんど視聴していなかった)。 番組には、わたしと同世代の男女数名が車座になって討論していた。何について語っていたのかは憶えていないが、きっと夢とか将来とか、そんなことについてだったと思う。 ある男性

          愛を語るより口づけをかわそう的思考

          「明日何があるかわからない」けど、「明日があるさ」って思うことも必要だ。 慌てるな、焦るな、休み休みでいい。 1日ひとつの学びがあれば、1年で学びは300を超えるのだ。 そんなことをSNSを少しお休みして思った。

          「明日何があるかわからない」けど、「明日があるさ」って思うことも必要だ。 慌てるな、焦るな、休み休みでいい。 1日ひとつの学びがあれば、1年で学びは300を超えるのだ。 そんなことをSNSを少しお休みして思った。

          ライフワークとしての音楽、文筆、パン作り

          わたしには小説家の知り合いがいる。 冒頭からいきなり自慢げであるが、その方は普段はフリーライターをしながら小説を書いていらして、過去には超有名な文学賞も受賞したほどの実力者だ。年齢が一回り以上離れているにもかかわらず、自然と意気投合し、なぜかわたしが仕事を辞めてからもずっと交流が続いている。ありがたい。 先日、その方から久しぶりにメールがあり、「最近書いた小説を読んでくれない?」と言われ、「もちろん読みたいです。てか、いいんですか!」と即返信した。数日後、メールで原稿が送ら

          ライフワークとしての音楽、文筆、パン作り

          書けないときは書けないってことを書けばいい

          昨日、一昨日と、noteを書こうと思ってパソコンを開いたが、思うように書けなかった。 途中までは書いたし、そのまま記事を投稿してもよかったのだけど、なんか自分の中でしっくりこなかった。 そこでふと思い出した言葉がある。 「作れないときは、作れないって曲を作ればいい」 わたしは音楽活動もしているが、以前思うように曲が作れなかったときに、ある人にそう言われたのだ。 この言葉を思い出して、「オレは自由なんだ」ってことを再確認したしだい。 上手いとか下手とかの前に、まずは自由

          書けないときは書けないってことを書けばいい