自分のキャリアを考えるのをやめてみる


20代の私は、自分の悩みはすごく大きなぁと思っていました。なんで、こんなに自分では手に負えないんだろうと思うことが多かった。


と同時に、自分がどんな女性になりたくて、どんなキャリアを持ちたくて、今やっている仕事はどこに繋がって、今の仕事を選択している自分は正しい道なのか、、、そんな悩みのループにいたシーズンが何年も続いていたと思います。正直、今でも時々そのループにハマる時があります。

メディアやSNSで情報として入ってくる、いわゆる世間で【成功者】とされる人の話を読んだり聞いたりしながら、自分との格差に驚愕した20代前半。
無力さと自分がどこへ向かえばいいのか、不透明な未来に迷子になっていた自分がいました。

OJT(当時の自分の教育係り)の先輩やマネージャーからも叱られて、失敗した数々の日々の仕事がうまくいかない自分に苛立ちを覚えていました。


「私は専門的な知識や学びの深さが足りなくて感覚で物事を進めてしまうから、いけない。本当に実力が足りなさすぎるんだ。」と思って、ビジネス書を読み漁っていた20代前半。


理想の自分と比べて、一向にうまくいかない自分に苛立ち、自分の悩みのいき場所もなく自分で解決できなくて、不安が募った時期もありました。働くことの意味さえわからない時期もあって精神的にキツかった時期さえもあります。


でも25才で全てのビジネス書や自己啓発本で書かれていることが聖書にかかれていることが全ての土台になっていると知って、聖書を読み始めるようになってから「将来のキャリア」について、目に見えない【何か】に悩まされているということに気付きました。


そこから自分がジャーナルというものを始めてみて、自分が何をどのように感じて自分が何に不安を感じているかを毎日コツコツと短い記録をしてみると、そのほとんどが「抽象的」な「目に見えないもの」に不安を抱えていることに気付きました。


私のスケジューリングやメモの活用法をみたことのある友人は、きっと「あれか!」と気づくこともあるかもしれませんね。


私自身は将来のキャリアや自分の専門性がなければいけないという漠然とした大きな「何か」に悩んでいるとばかり思っていました。それを解決しないと、もしくは改善しないと前に進めないとばかり思って自分で自分を苦しめていました。


でもね、蓋を開けてみれば、些細な一部の不安に感情をかき乱されていただけだったという事実だったんです。


22才の時、新卒で勤めていた先輩から「そんなことも知らないの?」と言われたその一言が、思いの外、けっっっこう引きずる根幹になっていて(笑)


「あぁ〜こんなことも知らい自分ってダサいんだ」
「世の中の人はきっとこれを当たり前に知っているのに私は知らない」
「こんな自分は結局なにも成果をあげられなくて」
「役にも立てない自分なのか」
「この仕事を選んだことが間違いだったのかな」
「そもそも私はこの仕事に向いてなかったんだなぁ」


なんて、些細な一言が、果てしなく大きくなって、次から次へとどんなことを学んだらいいんだろう、とループして行ったんです。


要するに、いくら自分のキャリアについて考え続けても何の解決にもならないということです。

さらに大切なのは、誰かから言われた否定的な言葉なんて、軽く受け流してネガティブなことは忘れてしまうことが一番いいんですよね。あとから、実際は言ってる本人すら忘れてしまってたりしますし、、

でも、このような些細なことのストレスに強い人からすれば、何でもないことが、昔の私はとてつもなく大きなものでした。


完璧ではない自分=ダメ人間。


そして、それが結果的に毎日の仕事や生活をうまくこなすことを阻害していきました。


なので、自分が悩みやすいなと思っている人は、まずはストレスを感じたときの状況と感じたことを具体的にメモしてみることをおすすめします。意外にほんの些細なことに傷ついたり悩んだりしていたりするんです。


特に、私と同じアラサー世代(いわゆるミレ二アル世代の平成生まれ)は、女性としてのライフステージやキャリアについて悩みがで始める年頃です。



子育ても、自分を毒親だと思い、子育てをしながらキャリアについての不安もある。まずは、わかっているようでわかっていない、できているようで案外できない、完璧を求めすぎない自分の心地いいバランスを見つけることが、とても大事だと思ったのでした。




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