私のnoteを覗いた「あなた」へ

橘エリーです。はじめまして

 ↓Twitter(現X)↓ @Elly_Rilakkuma1


趣味嗜好 and so on...

何かを「読む」こと。

元々は「紙の本至上主義」で、何をするにもどこへ行くにも本を持って行ってた。
小学生の頃は
 ・1日で15時間以上読んだこと
 ・1日で5,6冊読み終えたこと
が、ある。至福のひとときでした…
ただ進学するにつれて読む時間なくなるよね。そして読む体力や集中力もなくなっていくよね…。

最近は横になっている時間が多いから、スマホからnote記事を読むことが多い。安価でたくさんの文字と触れ合うことができる。
活字中毒である私にとって、
noteと出会えたことは「幸せ」
この一言に尽きる。


何かを「紡ぐ(「書く」と同義)」こと

ひたすら「他者から何かを受け取って」いると、
「自分にも書けるのでは?」と錯覚し
「自分も書いてみようかな」と思う瞬間がある。

幼少期より「本として世に出回るくらい質のいい物語」をふんだんに摂取していた私は、
しかし「物語」を紡ぐことは早々に諦め(想像を形にする脳の空き容量が足りないから)
自身の生活や思いを元にした雑記」を量産している。

最近特に多いのは「日付が題名になってる」やつ。
「いつのこと」か、私にとってわかりやすい。
読み手のためじゃない。
書き手のために定めたルールに則って、私は書いている。

『本は排泄物』この言葉はどなただったか?
私にとっても『note執筆は排泄に近しい』ものである。同じようなこと考える人がいるんだなと嬉しく思った。


私のnote記事を読んでくれるのはとても嬉しい。
反応は、なくてもいい。あったら嬉しいけど。
「望んだら得られる」わけではないから、特に気に留めてない。

「伝えたい」わけではない。でも、何処かの誰かに「伝わった」のだとしたら、私は嬉しい。

メッセージボトルみたいな心持ち。


「音楽」

幼少期から音楽に触れてきた。
ピアノもパーカッション(打楽器)も、今となっては実力なんて露ほどもないけど。
少しの知識と耳はある。
でもやっぱり、劣等感のほうが大きいかなあ。

それでもやっぱり音楽は好きなので、
縁あって橘わっこさんの「ミクスパート検定」に楽譜を提供している。


私がnoteでやりたいこと

細かく分類するのが好きなので、
noteも細かく分けてある。
記事によっては複数のマガジンに載せることもある。

マガジン一覧(2024.03.11更新)

かぼちゃ色の雑多煮
私(橘エリー)を形作るあれこれをまとめたもの。

精神疾患アトリエ
是が非でも「伝えたい」わけではない。でも、誰かに「伝わる」ものがあったら、私は嬉しい。

身体障害に関するもの
身体障害(中途障害)者として、思うこと。

障害と生きる
橘エリーによる、「障害」に関する記事まとめ。
私の経験を、私が発信することで、これに出会った「あなた」の道を照らす一助になれたら嬉しい。

卒業研究レポート (加筆修設定正Ver.)
橘エリーが福祉大学を卒業するときに書いたものを、 note用に手を加えて発売。 毎月22日更新目標。

旋律に想いをのせて
歌詞から楽器からハーモニーやリズムまで、
幅広く手広く音楽に関連する記事。
更新は多くないと思うん(さーせん)

「華となれ」
中長期的に残しておきたい記事のあつまり。 私は記憶力が良くない。

橘エリーのエッセイ
「橘エリーのエッセイ」 タグまとめ。
『これはエッセイだ』といえるものを集めました。

お気に入り記事(他者さん):橘エリー
橘エリーの橘エリーによる「他者さんが書いた」記事

「趣味は読書」と言いたくて
本に関係する記事のあつまり。


襟的ココロエ

単なる「目標」であり、
「心がけられたらいいこと」であって、
絶対ではない。



簡単に自己紹介。

発達障害の傾向があったのでは?

あくまで「かもしれない」
当時病院へ行ってないから、なんとも言えない

義務教育期。
思春期の入り口から、遅まきながら友達付き合いをし始め、数年後には「死にたい」等思うようになる。
それを打ち明けられる友人がいた。嬉しい。


モノを読むこと音楽が好きです。
昔からずっと。
小中高生の頃は臨床心理士を目指そうとしていた。

2013年、交通事故に遭う

○びまん性軸索損傷
○肢体不自由(最終4/5障害)
○高次脳機能障害
身体障害者手帳1級(肢体不自由)

急性期と回復期をみっちり病院で過ごし、めーっちゃリハビリしたらしい。
(最終的に1級といえど、かなり回復した)
「1級に・肢体不自由に・障害者に見えない」とよく言われる。
良い返し方募集中でっす☆

  • 肢体不自由で障害基礎年金2級を取得

2020年、精神科へ行く

最初は「神経症」だったらしい(よくわからん)


2021年、南病院(主治医ちゃん)に転院した。

  • 「昔でいう広汎性発達障害」と診断される

→現在は全部まとめてASDというらしい

  • ASD傾向がある、ADHD傾向もある
    (どちらも「傾向がある」程度)
    ASDのほうが、より強いらしいよ

  • 2022年精神障害者保健福祉手帳2級を取得
    「書類上は診断名『うつ病』にしてある」

  • 障害年金を申請
    肢体不自由(2級)と合算して1級(更新なし)になった

2024年質問したところ、
私は「気分循環症を想定した治療をしている」そう。
でも、うつ病の診断基準を満たした時期があるから、
行政に出す書類上は「うつ病」にしなきゃいけないんだってさ。

だから私は、公的にはうつ病患者で、現在は気分循環症の治療をしていることになる。

気分循環症

気分が不安定になり、軽い躁状態と軽い抑うつ状態を規則的に、2年以上繰り返す疾病。

「うつ」の診断があると、気分循環症は診断できない。

生前(交通事故以前)の「漫然と死にたい」感情。たまーに躁っぽいとき。
死後(交通事故以降)は鬱的感情つよめ。ときおり躁傾向。生前より躁強め。

これらがまとまって、気分循環症らしい。
双極性障害の軽いやつ、だと思ってる。
※ほんとはどうだか知らんけど。

「病状の程度」が軽いからといって、
本人が日常生活や社会生活を送る難易度」も低い、ってわけじゃない。

「病気だから対処しよう」ができるか否か。



「素人でも見てわかる躁(鬱)」の人のほうが医療につながりやすい。
「少し躁(鬱)」の人は、「本人の性格の問題」と思われやすい。


私も「自分の性格」と思ってた。
主治医ちゃんから「気分循環症」と言われて、
自分も調べて、
「確かにそうかも」と思う部分はあったけど、

でも、

私は自分のことを「気分循環症」だと思わないことにしてる。
思えない。
自認しない。
自認できない。
できるはずがない。
自認しちゃいけないよ。

私の「これ」は病気じゃない。
ただ単に性格が悪いだけ。
生きる時期を間違えただけ。
生まれる種族を間違えただけ。

……と、思うわけです。

主治医ちゃんがなんと言おうと、

私は病気じゃない。
私の『生きづらさ』を『よくあること』にしないでほしい。

「私のつらさは唯一無二だ」なんて言わない。
先人も同じようなことつらかったと思うけど、

もうちょっと尊重してほしい。


主治医ちゃんが私を尊重していないわけじゃない。
でも私は、もう少し尊重してほしいと思う。
つまり私は、勝手だ。
だから私は、死ねばいいよ。


それでも、どうせ生きてくんだけど。
私は死ねないから生きてる
これからもどうせ、生きてく。

医療に助けてもらいながら。
福祉に助けてもらいながら。


私は、

肢体不自由(中途の身体障害)で、
発達障害の傾向があって。
高次脳機能障害は、あるはずなんだけど、ほとんどないらしくて。
身体障害者手帳(1級)と、精神障害者保健福祉手帳(今は2級)があって。
基本的に電動車椅子で行動してる。


そんな奴です。

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