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自称『スーパー雑用係』になるまで

合同会社ELMA.の稲垣です。
ハイスペックの凄いことはできないけれど”必要な時に痒い所に手が届く”陰で支える「スーパー雑用係」がお仕事にできたら良いなと思い起業をしました。


1. 家業は「黒うどん 山長」

家業が製麺・うどん屋さんの経営をしているという事もあり幼いころから私にとって『食』はとても身近なものでした。
家族の仲も良く、私は子どものころから父の仕事の話しを聞くことが好きで、そんな父は幼い私に「ここのお店の看板の向きはどう思う?」「ここのお店の立地はどう思う?」など質問形式の話し方が多く、何に対しても『まず自分で考えてみる事』を習慣にしてくれました。

幼稚園教諭、大手企業の契約社員と社会人経験を経て25歳の時に家業を継ぐ為の最初の一歩に挑戦。

「うどんの新業態を作るぞ!!」

と父が経営する「黒うどん山長」の麺を使った店舗の業態開発をし、26歳の時に

全くの未経験から「湘南らーうどん」を開業

小坪物件の一人で運営が出来る店舗にすれば良かったものの、相模湾の海岸線の目の前に建つ元フレンチのレストランの物件に決めたのはお店から海が一望できる景色が気に入り、若さの勢いもあり、その当時の私は夢でいっぱいでなんの怖いものもありませんでした。

オープン時は「初めての出店」ということもあり、大きく宣伝などは打たずに自分で近所の住宅街でポスティング、近くのコンビニやお店屋さんなどにポスターや案内を置かせてもらい、少しずつお客さんを増やしていきました。
当時、女性の店長、経営者は珍しくツーリング向けや釣り人向け、地元のフリーペーパーやラーメン本、よこはまウォーカー、ラジオではFMヨコハマなどに取り上げてもらう機会もあり少しずつお店の認知度が上がり常連さんやリピーターさんが出来始めてやっと軌道に乗り始めてきたと感じていたころ、2011年3月11日、東日本大震災。

オープンから7ヶ月

ランチの営業を終え、片付けをしていると今まで感じたことのない揺れ。
海の真ん前という事で小田原市内にある両親のお店へ緊急避難をしました。
帰りの道のりは今でも忘れられない、踏切は鳴り続け踏切ゲートは下りたままなのでガード下へ迂回、クラクションの音、我先にと凄い剣幕で車を走らせる人たち。 非日常的な光景でした。

津波のニュース、余震が続き、海沿いの道は通行禁止、お店の前を通る車は激減。
原子力発電所が被災したため、小田原でも計画停電が開始。
冷凍庫の中の食材は最低限で用意し停電に備えながらの営業。
交通規制が終わってもたまにしか通らない車をお店の窓から眺める日々。

ただただ不安でしかたありませんでした。
東日本大震災のあまりの衝撃に「普段の生活」を取り戻すまでの時間がとても長かったと感じます。

私は夏頃から翌年1月からの返済開始に備え、ランチの営業を終えると夜は知り合いのお店で働きました。
そんな生活を半年以上続け、くたくたのボロボロになった私は2012年5月に閉店を決意しました。

自信が全くなくなり、私にとっては約800万円という大金の返済と自分の無力さと意気地の無さに悔しい思いだけが残り、夜に働かせてもらっていたお店でフルに働き始めました。 

東日本大震災を機に10年返済の借金を抱えたまま閉店

 自分のわがままを通して始めたお店での借金で家族には迷惑を掛けたくかく自力で返済をするために未経験の営業職に飛び込み、その後ベンチャー企業で部長職に就くなどの経験を経て予定よりも短い6年間で完済。

ノースペックの私ががむしゃらに働いて返済を迎えるころには「スーパー雑用係化」していた、その過程をまとめてみました。

2. 全くの未知の営業職に就く

固定のお給料では返済金額だけでお給料が無くなってしまう!!専門知識も全くないノースペックの私は毎月7~10万円の返済をするのに歩合のある営業職を選び就職をしました。
元々広告業に興味があったこともありますが家から通えて、歩合率の良い会社とは・・・と探した結果インセンティブのある営業職でした。

今まで営業職カテゴリーを考えたことがなかったので、完全なリサーチ不足、、就職した先は同業の中では「軍隊」と呼ばれている有名なTHE 営業会社でした。
毎日のノルマ、週のノルマ、月のノルマ、、、インセンティブの良さは、なるほど、と後から納得。 

とにかく毎日毎週を無意識でこなして過ごしていたある日。
ラッキーにラッキーが重なったのか、リクルートのTOPパートナー代理店のキックオフミーティングでグランドスラムの表彰で壇上をしましたっ!!!
狙っていたワケでもなく、どんな計算から壇上できたのか未だ分かっておりませんが(笑)数字を追うことに全く自信が無かったのでこのラッキーで少しだけ自信がついた事を覚えてます。 

ここでのお仕事では
求人広告の営業(テレアポ、飛込み営業(死語))、顧客の取材~原稿書き、お申込み書の回収、クレーム処理や顧客フォローなど、一通りの週刊誌発行の流れを身に着けました。
特に納期の厳しさやお申込書、押印の大切さなどはこの時に身に刻まれたと思います。

家業を継ごうと決めた時から1人きりで、開業をして失敗をして、誰かに相談したり弱音を吐くことも殆ど無く、自分との答え合わせばかりをしていた私でしたが、日々の大変なノルマの中で切磋琢磨できる意識が高くて、思いやりのある仲間と出逢い、会社という組織の中でお互いにサポートし合う大切さなどを学びました。
苦楽を共にした仲間とは現在でも定期的に集まって交流をしてます。

3. どうしても『食』に関わるお仕事がしたい

様々な職業を掲載する求人広告の営業は異業種の方々のお話しが聞けてとても刺激にはなりましたが、やはり『食』への情熱が込み上げてどんな形であれ『食』に関わっている仕事をしたいと考えていた頃、ちょうどお客様から事業拡大に伴いフード事業部のリーダーになってほしいとオファーをいただきました。

その当時のお給料よりも好条件での採用ということもあり太陽光事業、飲食事業、水事業をする会社の飲食事業部へ転職を決めました。

ベンチャー企業でしたが、太陽光事業部の業績が毎年右肩上がりの勢いのある会社でした。
入社時は全社員7名、私は会社のコア技術で作られたオリジナルフードマシーンの営業をするフード事業部で働きだしました。

来社されたお客様へのデモンストレーションやマシーンを持ち込んだ出張デモ・プレゼン、併せてマシーンで作れる料理の食材や運営方法の提案。
契約が決まると納品~使い方の指導、アフターフォロー。マシーンに入れる食材の開発、提案、卸し。と1つのマシーンに付随する事を全てをひっくるめたフード事業部は太陽光事業が忙しいこともあり、この一連の流れを私と20代前半の女の子の2人でこなしてました。

マシーンは1台32kg、サーバーのセッティングだけで筋トレになっていたのか、少しずつ体力も付いて片道1時間半の通勤でも、臨時会議と緊急事態の対応、社長の至急対応などバタバタと毎日が目まぐるしくても、倒れる事無く働くことができました。

幼稚園教諭、契約社員、飲食店、営業職の経験しかないノースペックの私がこの事業部のリーダー・・・・何からすれば?!!と毎日パニック状態でした。
それでも毎月の返済に向けてやらなければ!!という思いと、有難い条件に応えられる精いっぱいの知恵を絞って、一通りのフード事業部の内容を把握してまず始めたのは、どうしたらシンプルに且つ、抜け漏れのないルーティン化ができるのかを考えました。

ここでのお仕事では
顧客対応やクレーム処理、新規システム導入、ルール作り、デモンストレーションの改善、プレゼン資料のリニューアル、マシーン取り扱い説明書の改善などを行い一連の流れを「誰でもできる仕事」への落とし込みを行いました。

また顧客リストの作成をし、マシーンのメンテナンスなどアフターサービスの向上を行い、顧客ともコミュニケーションを取り、それまでの売りっ放し営業から継続性のある事業へ展開させ、自社店舗として某大学のカフェを企画、運営の立ち上げも行いました。

4. 「人についてきてもらうには人の3倍働きなさい」を信じて働く日々

父がよく言っていた「人についてきてもらうには人の3倍働きなさい」という言葉がいつも頭にあり、男性の中で働く女性が認めてもらうにはどうしたら良いんだろう??など表向きとフード事業部の立て直しに悩みながらも奮闘する日々を送っていました。

フードチームには知り合いの紹介でという名目で女性スタッフが増えていきましたが、急な社長の指令対応にチームのモチベーションを保つには、楽しいと思いながら毎日出勤してもらうにはどうしたら良いのか、幼稚園教諭時代に新人先生をいびる先輩先生に対して「私が教える側に立った時はまずこのような態度や対応は絶対にしない」「後輩からも同僚からも一緒に働きたいと思われる人になろう」と心に決めていたこともあり、クッション材の役目の大切さや相手に分かりやすく伝えること、一緒に気持ちよく仕事をするにはどうしたら良いのか、などはここでたくさん練習ができたと思います。

 そして指示などは口先だけではなく、とにかくまずは自分でやってみる、失敗をする複雑な部分を省きシンプルにしてルーティンの仕事にしていく、フォーマットを作り込む、そして守れるくらいのルールを作っていきました。

他の部署は立ち代わり人が入れ替わる中、嬉しいことに私がこの会社いる間は私の部署配属のメンバーで辞職する方は1人もいませんでした。

 ここでのお仕事では
フード事業部の一連の業務のスキームやルール作り、事業拡大をはじめ、様々な物事の交通整理と整頓、チームのモチベーションを保つ為の私自身のモチベーションコントロール、人(社長)の想いを汲み取り図式化、資料化することが身に付きました。

就職して2ヶ月目くらいから主任、1年も立たないうちに部長という責任のあるポジション就き、マシーン自体は某大型施設やアミューズメントパーク、企業の社食や大学のカフェテリアなどへ導入が決定。

海外ではミャンマーやタイ、シンガポールなどでジャパンエキスポへ出品・プレゼン。様々な経験をさせてもらいました。
また事務所の移転時にはまだまだ本社社員は少なかったので社内のレイアウトや会社案内作成、間取りの起案からデザイナーさんや施工業者とのやり取りなどの業務も経験しました。

5. 会社の事業拡大

2015年子会社設立。更なる事業展開の為に飲食事業部は子会社に切り分けて事業を進めていくことになりました。

ここでのお仕事では
上場企業の代表や大手ファンドの取締の方々のジョイントベンチャーに親会社からの実務担当者、オリジナルマシーンの専門者としてボードメンバーに加わりました。
経営戦略室でプロ経営者たちに揉まれ中小企業とは違う、大企業での業務の仕方などを実務を通して体験しながら学べました。
またマシーンのリニューアル、大手企業への営業、業務提携の契約などを経験。
こちらの子会社と親会社のハンズオンで兼務をしていたので、双方の状況を見つつ事業目標を達成へ進めるマップ作りなど実務面と各々の方へのコミュニケーションの取り方などが身に付きました。

家業が接客業だったのでコミュニケーション能力には自信がありましたがここで更に修業が重ねられたと思います。

6. 10年間の返済計画を6年間の4年前倒しで返済終了

正確には父の会社での契約だったので、借入金額プラス利子分800万円を父の会社へ全額支払いを終えることができました。

そのころは親会社のフード事業部ではシンガポールやアメリカのエキスポでプレゼン、国内でも大手CVSの企画に他社へコラボレーション案を持ちかけて2社で参画、テスト運用などを進める。

子会社では新しくジョイントベンチャーを設立するというタイミングでミッドタウン日比谷にあるフレンチレストランの立ち上げにも携わらせて頂きました。

親会社はこの頃になると一桁だった社員数が外部社員も含めて100名を超え、企業としての体制を整えだしていきました。
借金返済の目標を果たした私は感謝と恩返しの気持ちで働いてましたが初期のアットフォームな会社から変化をし続ける親会社に方向性の違い、コーポレートガバナンスに対する不信感を持ち、辞表を提出。

なかなか退職の話が決まらず、2019年受理。退職をしました。

ここでのお仕事では
5年間ではありましたが、大企業の方々との関わり、創業・事業構築や、スタートアップ業務や様々な経験を通し、自分の尺度やビジネスの生きる姿を学びました。

全く経験も知識も何もないゼロからどうしたらカタチに出来るのか、ミスを最小限に抑えるための簡素化やダブルチェック、正解がない中で未だに何が正解だったのか分かりませんが、とにかくやってみる、周りと相談・作戦会議をする、色々と苦しかったり、悔しかったりしたこともたくさんありましたが、たくさん笑ってたくさん良い体験ができました。

借金返済が目標だった私は全てに全力で応えていくことしか出来なかったのでがむしゃらに働いた人生の中でも一番濃い5年間でした。
「何でも屋さん」「スーパー雑用係」のスキルはここの会社での経験がほぼ全てだと思います。

7. 本当にやりたい事ってなんだろう。。

退職理由は大きな手術をした母の看病が1番ではありましたが10年返済予定の借金をこちらの会社でかなり短縮できたこともあり、今一度自分がやりたい事を見直そうと実家に戻り家業を手伝いながら過ごしました。

母の手術が無事終わり両親のお店を手伝い、母の病院へ通う日々の中で以前の“お店を継ぎたい”という想いと“また失敗をしたら”、、という想い。

目まぐるしかった生活のデトックスはなかなかできず、答えが見出せずにいました。

母もお店へ復帰をしたのでそろそろ就職をしなければと「やりたいこと」探しに頭を悩ませていた時、営業会社時代の知人が創業したということでそちらのお手伝いをすることにしました。 営業以外にも原稿作成や資料作成や契約書の確認業務を行いました。

8. 新型コロナウイルスの蔓延

知人の会社のお仕事を自宅で委託業務として仕事をし始めてみました。
コロナによる飲食業の打撃、両親の老いを身近に感じながらもう1度自分がやりたい事はなにかゆっくり考える時間が出来ました。

“家業を継ぐ”という事はとてもシンプルでしたが、この状況の中で父の会社からお給料をもらうことはしたくない。
そして”もう1度出店をする”ということも私の中では未だトラウマとして残っている部分もあり「どんな形であっても看板を残したい」漠然とですが、これだけでした。

今後について更に悩んでいたころ、前職の子会社でお世話になっていた事業継承系の会社の社長に新事業のサポートをしてほしいと声を掛けて頂きました。
こちらの社長とは前職で子会社の企画戦略室でサポートしつつ、そこから生まれるスタートアップの企業を兼務で手伝い、事業構築を経験しながら学ばせて頂きました。

契約社員として、メンバーに加わり2020年9月コロナ過でのオープンになりましたが自由が丘にカジュアルフレンチレストランを開業。
アルバイト採用やお店が安定するまで、店舗でオペレーションをサポート。オープンから落ち着いてきたので店舗から離れつつ、管理業務を担当しました。

ここでのお仕事では
レストラン創業に携わりスタートアップに関わる楽しさを再び体験し、元々のオープン時に携わっていたミッドタウン日比谷のフレンチレストランの

・EC事業の立ち上げから運営スキーム構築
・商品企画や営業戦略
・実務処理などのルーティン化やルール作り
・大手企業との交渉や契約
・顧客管理やフォローアップなど

の実務全般を行っている中で今までの経験を活かした、今までの経験が無駄にならない仕事や私個人として対様々な会社と携わりながらその会社に合ったカタチでのサポートすることを仕事にしてみたいと思うようになりました。
この「スーパー雑用係」を次のステージに進めてみたいという想いと両親になにかあった時に両親が2人で大切にしてきたお店の受け皿になるものを作っておきたいという想いから合同会社ELMA.を設立しました。

9. 合同会社ELMA. 設立

店舗運営、店舗管理、店舗の運営・管理の委託業務、ブランディング、商品企画、物販販売。
自分で創業して失敗した経験や、その後スタートアップに関わった経験からスタートアップの支援やインキュベーションの支援がしたい、また両親のお店の様に長年続いてきたお店や企業が後継者不足やコロナの影響により廃業を余儀なくされている中で、どうにかサポート、継承できる方法を見出したい。

長年ジョイントベンチャーで関わっていた社長から声を掛けてもらい、 スタートアップの支援をしてきた経験、これといったスキルはなかったが場数の多さ、出来ないことや分からない事だらけでしたが振替えるといつも周りの人たちからの「応援」と「サポート」があり、一緒に働かせてもらってました。
今後は今までの経験を活かしチャレンジする人を支援、「応援」と「サポート」側に回り頑張る人を応援したい。

「なにが1番のスキルですか?」と言われると「これです!!」答えられるものもなく、

・お題に対しての解決策を生み出す
・実務メンバーとしてサポートをする
・スキームの見直しや新システムの取説作りなど

実際に手を動かすこともしてきた中で平たく言うと「スーパー雑用係」というポジションが一番しっくりくるなと思いました。
今までの経験がどうのというよりも「みんなで掲げたゴール」へのミッションの中で自分はなにをすれば良いのかを考えて動き、PJをゴールに近付けていくことや新しいことやミッションに対してどう工夫をすると良いのか考えることが得意なので事業を立ち上げたばかりで人手が足りていない事業のお手伝いをお仕事にしたいと思ってます。

また、長年続いた歴史あるお店や企業をサポート、または継承して更に未来へ繋げていくことがしていきたいです。

【まとめ】できること・やってきたこと

できること

⚫︎ スタートアップの新規事業サポート ~ 業態開発、商品企画、オペレーション構築

⚫︎ カスタマーサポート全般 ~ to B受発注業務・納品準備・納品時の使い方の指導〜フォローアップ、 プレゼン資料取り扱い資料のリニューアル、アフターサービスの向上並びに 円滑な顧客とのコミュニケーション再構築し→継続性のある事業へ転換 ~ to Cクレーム対応、フォローアップなどのカスタマーサポート

⚫︎ バックオフィス業務の効率化 ~ 業務フローの見直し、オペレーション構築、システム導入

⚫︎ 異業種企業とのコラボレーション企画 ~ 商品企画、スケジューリング、スキーム構築、PR企画立案〜実施

⚫︎ オリジナルの商品(例: レトルトカレー、業務用冷凍食品、スイーツ、 レストランEC商品、麺、洗剤)の開発・提案〜販売までワンストップで提供

やってきたこと

⚫︎ 家業の自家製うどんの別業態店(小田原)を自らオーナーとして開業・ 店舗運営

⚫︎ リクルートトップパートナーの求人広告代理店(南神奈川エリア)勤務 ~ 新規開拓、原稿企画立案〜提案、広告制作、リサーチ

《実績》
▪︎ 年間成績優秀者に送られるグランドスラム賞 受賞

⚫︎ 太陽光発電・飲食・水事業を手がけるベンチャー企業(横浜)の 飲食事業部 所属(事業拡大後、子会社(東京〜横浜)を兼務) ~ オリジナルフードマシンのデモンストレーション、食材や運営方法の提案

《実績》
▪︎ 大型アミューズメント施設(千葉)、上場企業・大学食堂、 有名ホテルへのマシン導入
▪︎アジア地域(ミャンマー、タイ、シンガポール)アメリカなどの展示会に 出品・デモンストレーション
▪︎ 大手ドレッシングメーカーの新業態(スープ専門店)へスープサーバー導入
▪︎ 厨房機器販売メーカーからオリジナルフードマシンの大型受注。
▪︎ カレーライスサーバーを業務用調理機器製造メーカーと共同開発、 大手コンビニエンスストアとの実証実験〜実店舗にてテスト販売実施
▪︎ レトルト商品を開発、ハイエンドスーパーへの提案・販売、在庫と 連動した受発注納品スキーム構築
▪︎ 美と健康と食がテーマの複合新店舗(表参道)での自社フードサーバー リブランディングに着手、日本未上陸コスメブランドの輸入から販売 までをサポート

⚫︎ 創作フレンチをメインにした飲食ベンチャー企業(日比谷、自由が丘、 目黒)、グループ会社である学校教育事業会社(江戸川橋)兼務

《実績》
〔飲食ベンチャー企業〕
▪︎ 新規カジュアルレストランの開業・実務サポート、開業に向けたガント チャート作成
▪︎ フレンチレストラン(日比谷)のECサイトの立ち上げ、ビジネススキーム、 販売商品・商品ページ企画、受発注業務〜発送までのオペレーション構築。  ▪︎ パティシエにスポットを当てたブランディング・タレントマネジメント業務、 メディアリレーション、プレスリリース原稿企画、新商品企画の立案を通じた 異業種コラボレーションをPR施策として実施
〔教育事業会社〕
▪︎ 家庭科・図工教材の仕入れ業務フローの見直し・効率化
▪︎ アナログな手法による教材の受発注フローをIT助成金活用し、新規受発注 システムの導入、運用フローの構築

最後まで読んでいただきありがとうございました。