見出し画像

全てはレットイットビーという話

   最近また読み直している本があって、それは「ユング心理学入門」という先生におすすめされて買った本です。久しぶりに棚から出したその本には至る所に付箋がついていました。そういえば私は昼休みになったらさっさとお弁当を食べて、会社のデスクでひとり、付箋片手にこの本を読んでいたのでした。

    もっと遡ると12年前。いや13年前。大学3年生の私はたいした夢も見当たらなかったので(言うならばお金に不自由しない音楽好きのOLになろうとしていた)、流れるように就活し、エントリーシートを見よう見まねで書き、落ちては適当にエントリーするという日々を過ごしていました。

   そんな私を拾ってくれたのは春まで勤めていた会社でした。その業界にはまったく興味がなかったけれどその会社の名前は知っていたし、週末は休みたいとか転勤したくないとか、あと制服は嫌だとか、そういったわがままも叶えてくれそうなところでした。ここだ!と思ってからは展開が早く、その業界に絞って一通り受けまくり、最後に内定の出たその会社に満を持して入社したのでした。紛れもなく私にとっての第1志望であり、言わば相思相愛というかたちでした。それが、12年前です。

   制服が嫌だというのは、幼稚園の時から高校までずっと制服だったからかも知れません。制服は楽で良かったです。でも社会人になってまでみんなと同じ、しかも好きでもない制服で過ごすのはどうにも嫌で、服装については私の就活の優先事項ベスト3に入っていたと思います。

   私の勤めていた会社はスーツであればOKという基準だったのと、私が営業職なので適度なお洒落が推奨されていたのも良かった。これがまたスーツでもなんでもなくオフィスカジュアルとかいうオールフリーな状況であれば今度は大変なストレスだったことでしょうが、この実に丁度いい具合の自由さが、私にとっては心地よかったのだと思います。

   ところが、やはり10年もすると感覚は変わってくるようです。私がフリーランスを志すきっかけにもなったのはスーツつまらないという気づきでした。いつのまにか服も買わなくなり、雑誌も手に取らなくなりました。どうせスーツしか着ないからです。そんな自分にとくに疑問も持たず日々は過ぎていきましたが、カラーを学び、自分の好きな服を買い、1日好きなことをして過ごしていると、平日に戻るのが違和感になってきました。なんで私は明日からまたスーツを強制されるのだろう、と思い始めたのです。


ああ私、好きなカッコして過ごしたいんだ。


   それは突然やってきた望みでした。スーツ生活を楽しみ、飽きてしまった私は新たな望みを見つけたということでしょう。あんなに相思相愛の相手だったとしても。こういうことは、よくあります。というか、それが人生ではないかと思うのです。その時その時の自分の感覚や欲求に応えていけば、次の欲求に行き着く。逆に言えば、その感覚を無視するとたどり着けなかった今がある。私はスーツ生活を堪能したからこそ、自由に手を伸ばすことが出来たのだと思います。新卒で何の疑いもなく会社員を選んだからこそ、今の私にたどり着いた。つまりなにも遠回りしたわけではなく、全てはベストタイミングであるということ。なすがままに。あるがままに。ビートルズも言っています(ビートルズ大好きです)。


   あのころの私の決断が今につながっているんだなと、付箋のついた本をめくりながら思います。私は今、1年前とは全く違う場所で、服装で、これを手に取っている。こんな日常誰が予想しただろうか。あの時つけた付箋に会社員の私を思い出しながら、自分の気持ちに正直になって良かったなと思うのです。

▼お店についてはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?