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ばーばの大学院な日々〜修論中間発表会

楽しい楽しい大学院の日々もあっという間に4ヶ月経ちました。
暑くて暑くてバテ気味ですが、自主勉強会などで、他の人たちの視点が知れることがとても楽しく嬉しい日々です☺️
今週は、いつも仲良くしてくれるM2の先輩たちの修論中間発表会がありました…

断片的に聞いていた先輩たちのテーマが

これまで、先輩たちからは、いろんな場面でのおしゃべりでそれぞれの研究テーマを、断片的に聞いていました。
中間発表会での先輩たちの発表をききながら、
自分のテーマを、この時期にどのくらいまで進めていなくてはならないのか、どの辺りまでまとめていなくてはならないのか、ここからどのように修論に進めるのかまとめるのか…。
そんなことを想像できる機会でした。
そしてメモしたのは、先生たちからの質問の言葉でした。
こんなに読んで調べて準備してあるのに、更に欠けている視点があるんだなあ、私のテーマもこの方向からも見ないとダメなのかー
などなど考えながら聞いていました。

そうしたら…湧いてきました😆

すっかりと刺激されて、私の研究テーマのタイトルが湧いてきました。
テーマを変えてから二ヶ月、「タイトルは、そのうち出てくるかな〜と思いますが、今はまだ想像できません。」とその時のゼミで先生に言っていましたが、やっと出てきました。
そして、とりあえず先行研究〜と、論文を読み散らかしていましたが、なかなか方向性が見えていませんでした。
次のゼミでは読み散らかした論文をちょっとだけレビューしようかと思っていましたが、これまた出てきたのは…。
テーマを変えたきっかけは、めちゃめちゃ腹が立つ論文を読んだからです。読んだ時は、途中まで読んで「ちがーう!」バーン💥!と星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返す勢いでした笑
その論文はそのまま放ったらかしにしてありましたが、ちゃんと向き合ってみようと思いました。

いったいぜんたい

ナニが「ちがーう!」なのか、ドコに腹が立ったのか…
それをレビューしてみようと思いました。
改めて読んでみると、ツッコミどころ満載でした。
「〇〇という考えがある」で始まるのにその〇〇の根拠はどこやねんとか、話がどんどんズレていって(本人は「展開」と書いている)「ところで、キャリア教育の領域では余り語られないことに〇〇がある」で始まる後半は、もうタイトルとは関係なくなっちゃって、キャリア教育を論じるのでも無くなっちゃって、さらにもう、リアルの世界の話でもなくなっちゃって、自分の好きな物語の仮想世界の話を書きたいだけだよね。しかもまとめが後半に書いていることを支持しているんだけど、その後半はなんでそんなこと持ち出したのかこれまた根拠が無いよ。

あれっ?これは、この筆者は、心理学の人ではなかったのか?

心理学の論文ってお作法ガチガチなはず…。
で、この論文が載っているジャーナルも教育系だし、
ああそうか、きっとキャリア理論をかじった教育系の人なのかもしれないなあ〜と思いながら調べてみると、臨床心理士で、公認心理師で、大学の先生だった。
大学で触れる学生たちとの日常で感じることを徒然なるままに書いたのか。え?これ、論文だったよね?エッセイじゃないよね?

とまあ、今度のゼミではこの辺りを吠えまくりそうな予感がします笑





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