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頑張れ! 多世界解釈

「観測するまでは全ての可能性が存在していたかのような結果が出る」じゃないんだ! それは予測計算に現れるだけの存在ではなく、現実に! 「存在」していたんだ! そして観測後も「全ての可能性」が「存在し続ける」んだ! それを「俺が!」証明してみせるッ!

それが多世界解釈の心である。

しかし、いずれかの観測者の視点でしか記述できない人間にそれが可能だろうか? 観測によってしか真偽を確かめることのできない人間に、これ以上何が出来るだろうか?

一体、何が言えれば多世界解釈は成功したことになるのだろうか?

結局はコペンハーゲン解釈と同じ結果を出すだけの理論を作ることになるのである。そのために努力することに意味はあるだろうか?

前途多難である。

しかしどこまでも考えてみること、挑戦し続けることの重要性は簡単には否定できない。

このような動機で努力している途中にある様々な理論をひとまとめにして「多世界解釈」と呼んでいるので、確立した統一見解があるわけではないし、今のところ成功もしていない。

世界は実在かもしれないなぁ、そうだったら分かりやすくていいのになぁ、くらいに考えている人たちもゆるく「多世界解釈派」を自称しているので、意外と支持されているように見える。

かく言う私も以前は「多世界解釈派」だと自認していた。世界がそういうふうに出来ていたらいいなぁという気持ちは今もある。しかし若者を煽り立ててこの研究に進ませるのは罪深いなと考えている。無理なんじゃないか、意味がないんじゃないかという気持ちの方が強くなっている。

今は自分を縛るような派閥的な考えをしたくはない。現状を分かりやすく伝えたいだけである。このような分類はちょっと時代遅れになりつつある気がするのだ。

それはそれとして、世界観をひっくり返す大発見があることを願っている。

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