自分の中の分人

2018年の12月に書いていた文章。下書きのままだった。

自分は何がしたいのだろうと秋くらいから強く思っていた。そこから自分とは何なのかとも考えモヤモヤしたものがあった。

wazawazaの平田さんの記事https://bamp.is/interview/kodoku05.html

以前から自分という個人は円で、みんなもそれぞれが円でそれが重なったり、色が濃かったりで今のコミュニティが作られている。
生きていれえば形は変わるし、また円が重なる人もいれば個人という箱の端に過去としておいてあったり、忘れたりする。
離れたり別れたり出会ったり再会したりを繰り返していく。はじめは、そういう現象に寂しさや悲しさはあったけれど、そういうものだからと、歳を重ねていく中で受け入れているように思う。

私は、病気で無職。
何もしていない、何もできない。結局何がしたいのか、自分とは何かというループの中に陥る。
その時に読んだ本がhttps://www.amazon.co.jp/dp/B00APR9D7Y/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
(これもwazawazaの平田さんのTwitterをみて)


分人という考えは、個人を細分化した考え方で関わる人、所属や過去でキャラクターそれぞれの分人。
全て自分であるという考え方。

この本を読んで私とは何か拘らなくてもいいのではないかという気持ちに落ち着いた。

そして、今の私のモヤモヤは
人に心配かけたくなくて元気な自分でいようとする自分
目には見えない苦痛ある自分を受け入れてほしい自分
やりたいこととやれることの自分の中の不均衡

今は所属や肩書きなどより、病気をもっている自分という外に対する分人と中の分人のバランスが悪かった

今の自分に何ができるのか。
そんなものはわからない。やってみないと。
それが今の結論。笑
だから変わらず 今できることを今感じて
動いていくしかない

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