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在るために、動き続ける。自分のかたちで。

最近の自分

週の半分以上を家で過ごすことの多い私は、コロナ禍でも以前の生活とそこまで変わり無い生活を送っている。と思っていた。

どこかにちょっと出掛けることにも、今の感染状況を気にしたり人混みをさけ、自分が安心して過ごせる人と人との距離の中で過ごし、友人ともほぼ会わず、毎年の定期的な集まりもできなくなり季節を感じることも少なくなった。今年の冬は、週に1度の仕事もできなくなり、横になる時間が増えていた。

今を大切に楽しく過ごすようにしていたけれど、最近はどこか違和感がある
「私はこのままでよいのだろうか」
という疑念がでてくるようになる。

1年後 私は動けているのか
1年後 私は変わらない生活があるのか
1年後 私は回復しているのか

このまま家にいて、1年後できないことが増えたら私は後悔する。動けるうちにできることはやりたい。感染予防しながらも今できることに向き合いたい。

一番最悪な状況を想像し動く癖が発動した。

この病気の難しいのは、どのくらい動いても大丈夫なのか問題になる。

行動負荷が強いと、病状は悪化する。
どこまでやったら、悪くなり、
動けなくなるのかもわからない。
ちょっとしたことで、今を失う。

でも、動いてみないと
できるかどうかもわからない。
動くことでみえないことが、みえてくる。
その可能性もなくなってしまう。
だけど、今の自分を最低でも維持したい 。

ちょうど良い真ん中を探るしかない。
どちらに転んでも後悔しないために。

この思考のループは病気になって幾度となく私の脳内にあらわれる。
私は動きながらも、回復する術にチャレンジしていくことを決めた

3.11には震災の地の訪問とACIDMANライブのために福島の旅に行った。

https://note.com/emar/n/n9be721af841a

そしてこれ以上、体が回復しなければはじめようと思っていたBスポット療法(上咽頭擦過療法(EAT))も3月から開始した。
繰り返し受診する必要があるため、雪どけを待って開始することにした。数年前に冬道で転んで骨折した民としては歩くことも無理をしたくない(笑)

Bスポット療法をはじめてみて

Bスポット療法は、鼻から綿棒をいれ、消炎剤を上咽頭に擦ることで炎症や症状を改善させる治療。症状が良くなるメカニズムは明確に判明してるわけではない。
私の上咽頭は、ちょっと擦るだけで出血し、炎症があることは明らかだった。この治療は、IgA腎症にも行れていることを知り、喉と腎臓が繋がるのか…また、科学的に不明だが在る世界のものに出会った、ダークマターじゃんと面白くなり、からだのしくみと炎症の奥深さを感じた。

通院頻度
最初は週に2回。初回は軽くやってくれたが痰に血液が混ざる。2回目からは顔が歪むほどの痛みを伴い、5回くらいまでは激痛だった。痛みには強いと思われる私でもイラッとしてしまう程の痛みがある。その後は口の中で血液の味は感じるものの、痰に混ざるような出血はなかった。
GWで10日ほど通わなくなると、症状が強くみられ定期的に行うことの効果を感じた。
外出は週の半分ほどしかできないため、仕事再開とともに通院6週目から週に1度の通院に変更した。はじめよりは痛みはどうにか耐えられる。痛いけどw

治療効果
・後鼻漏のような喉の奥にある違和感がなくなる
・ブレインフォグ(脳の霧)の回復
私の感覚としてブレインフォグは、視界の霧と思考の霧(見ているものが雲っている。常にぼんやりしている感覚と考えてるけれど、思考するスピードが遅かったり、うまく思考が繋がっていかない感覚)の2種類に分けられる。
視界の霧は治療直後から明らかにクリアになり、2時間位持続する。世界はこんなに明るいのかと思えるほど視界が開ける。
思考の霧も直後より晴れていて、得意だった多重業務が病気により苦手になり事前にやることや、動きを確認して動くようになっていた。治療後にはスケジュールの組み立てに迷うことなく、いつもよりできる範囲が増え動きやすくなる。
数日間は治療前と比べるとブレインフォグがゼロにはならないものの、一段階良くなって過ごせる。直後は調子にのりたくなるくらい目の前も脳みそもクリアなのだが、治療日の夕方から一気に怠さが強くなる事もあるため、あまり調子にはのってはいけないと肝に命じて動く。

新たな気づき

以前の私は起床時に
「朝か…今日はこの症状か…辛い…」
と、その日にやってくる倦怠感や痛みの症状で毎朝絶望感からはじまっていた。
先日「久しぶりにこの感じきた。辛い…」と、思っている自分に気がついた。

久しぶりって思えてる。確かに、前より朝は座って過ごせている時間が長い。この気づきは、じわじわと自分の体調の回復の実感と安心と嬉しさが混ざったような感情のゆれを噛み締める出来事だった。

改めて振り返って

この病気は人に伝えるにも、自分が理解するにも、とても難しい。一日の中の数時間で急に痛みや倦怠感、眠気が襲ってきたり、その日によって耐えられたり、調子が悪くなったり、コロコロ変わるのが当たり前の日常。

体調が悪いとその波にうもれ、体調が良いと動けるのは今しかないとできることを一生懸命にこなす。
わかりづらいグラデーションの変化があって、注意深く向き合わないと、変化の色に気がつけないと改めて知れた。

Bスポット療法もどこまで効果があるかわからない。
低気圧や潮汐力の影響は変わらず体を襲ってくるが、苦痛なく座って過ごせる時間が増えたり、幾分回復も早いなと感じ、どうにかできる感覚が戻ってきたように思う。表現が少し他人事なのは、それくらい毎日の変化があり確信まで持てず、曖昧さが残ってしまうのも、この病気らしいと言うか私らしい。

4年前に自分の病気に向き合い情報を探すことで繋がった同じ病を戦っている人たち、このわかりづらい病を受けとめ研究している医師に出会ったことから、私は今でも病気の情報を得ることができて今回の治療を知れた。Bスポット療法をやってくれる医師も少なく、何よりこの治療をやってくれる医師がME/CFSを知ってくれていることがとても心強く有難い。

今回の行動も含め、私は今と向き合いできることを自分の範囲でやっていくことで繋がる人や場所や情報があって生かされている。

今までずっと他を意識し、人のために動いてきた人生だった。医療者は自分を犠牲にして動く人の方が多い。他人軸を優先して考えてしまう。この数年、知らずのうちに無理をしたり頑張ることが当たり前な自分を無くしていき、他人軸から自分軸に変えるように努力した。自分を沢山愛でた。病気と共に過ごすことも、以前の自分にできたこと、やりたいことを無くすことは辛く苦しい時間ではあったけれど、こんなに自分と向き合えている時間はとても尊い。今が一番、自分の好きな自分でいられている気がする。この時間が無かったらと考えられないほど良い時間を貰えた。

最近大切に思うこと

この1年で本を読むことが生活の一部となった。人と人、人と場所、人と自然、人と生物、人と物。目に見える世界と見えない世界。大気や宇宙。植物と生物。いろんな環境や価値観があるものだと知れた。

世界を「わかりあえるもの」と「わかりあえないもの」で分けようとするところに無理が生じるのだ。そもそもコミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である/未来をつくる言葉: わかりあえなさをつなぐために/ドミニク・チェン

私はそれぞれに世界があって、「孤」ではなく「個」で在ること。その人をそのまま受けとめることの大事さや、そのままで在って良いと感じる空間や人は「対」が在ることをお互いがどこかで意識することで生まれるものだと思った。
なかなか会うことができない今でも、心の中の存在に励まされ、冷たく切ない気持ちが存在を感じることで優しく、温かく、頑張ろうと気持ちが変わる。
共に在るとは、手に届く身近なことだけでなく、心の中に在り続ける思い出によって感じるものなんだと思えた。
人でも、あの時見た景色でも、これから見たい景色でも、美味しいご飯の匂いでも。ここに居ても良いんだ、生きてていいんだ。
またねといつかを叶えるために頑張ろう、楽しもう、面白く生きようと、今を生きる糧に繋がっていく。

「個」で在ること在れること。
「対」が在ることを感じること。
「共」に在ると思い合うこと。

在ることは、当たり前の世界に居続けると、時々忘れてしまう。在ることの意識、想像力を忘れずに過ごしていきたい。

個で在り 対で在り 共に在れるように
自分の好きな自分が保てるように
余白をうみだし 色の変化を楽しむように
今を面白く生きるために

ゆっくり のんびり ほっこりと
日々邁進

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