プロポーズをされたことが三回ある
実は、プロポーズをされたことが三回ある。
うち、二回が平井の町で起こった出来事だから、こりゃ平井オープンボックスに身を置くものとして書かないわけにはいかない。
平井というのは私が生まれ育った町で、東京の下町と言っては聞こえはいいが、四方八方を川に囲まれた島国のようなとてもとても小さな町である。
平井駅から小松川という方向に向かって大黒柱のように商店街が一本通っていて、町の民が商店街を歩かない日は一日もなかろうというくらい常に混み合っている。私も毎日通っていた。
十数年前ごろだろうか。この商店街の終わりの方に一軒のケバブやさんができた。私はケバブなんてキッチンカーでしか買ったことがなかったから、動かない一軒家で鶏肉がグルグルまわっていることに人一倍感動してしまった。今までは運良く出くわさないと買えなかったキッチンカーのケバブが、今や食べたいと思った瞬間に買えるのである。高校時代、部活帰りにどれだけケバブのキッチンカーを探して自転車で徘徊したことか。空腹時に出くわさなかったケバブに満腹時に出会ったときのなんと虚しいことが。その感情の機微が今や自分でコントロールできるようになったのである! あのまわっている鳥肉たちはメリーゴーランドよりも輝いて見えた。
さっそく休みの日にケバブを買いに行った。はじめてのおつかいの子供達にも負けないドキドキを胸に抱いていた。しかし私がケバブを注文すると、驚きの光景を見て、私の胸は一気に静まり返ってしまった。
私の頼んだケバブは炊飯器から出てきた。
のちのち知った話であるが、ケバブを保温しておくのに炊飯器はとても良いアイディアだそうで、よくあることなのだそうだ。
しかし私は、このまわっている鶏肉が食べたかったのた。目の前で香りを嗅ぐ私を尻目に鶏肉をそいでほしかったのだ。じゃあなんなのだこの鶏肉は!食品サンプルを焼いているとでも言うのか!
……とも言えず、若干の侘びしさを胸に抱いて帰宅し食べたケバブはいつも食べるケバブと同じくらいちゃんと美味しくて、美味しければ美味しいほどなんか悔しくて、また買いに行こうと思った。
こうして私はこのケバブやさんの常連になった。
ある日、いつも通りケバブを買いに行くと、黒人の男性のお客さんが注文中だった。なにも考えず後ろに並んでいたのだが、やけに時間がかかっているので、どうしたのだろうとイヤホンをはずし、会話を聞くことにした。
するとややこしい出来事が起こっていた。
ケバブやさんの店員さんは、トルコの方なのだろうか? 日本語とトルコ語(? わからない、何語だったのだろう…)が話せるようだ。対して、黒人のお客さんは、はたまたどこの国の方かはわからないがどこかの国の言葉と英語しか話せないそうなのだ。なんとこの二人、あわせて4ヶ国語話せているのに、共通言語がないから会話が通じない!
状況がわかった私は、英語で黒人の男性の方と話し、それを店員さんに日本語で伝えた。なぜ語学に優れている二人を相手に私が通訳しているのか理由がわからなかったが、男性の注文が完了し、私が注文しようとしたら男性がケバブを奢ってくれた。
なんとなくそのまま一緒に帰ることになり、男性と二人で歩いて帰った。やがて道が別れるところで「バイバイ」をしようとしたら、いきなり手を握られた。そして言われたのだ。あの言葉を。
「Will you marry me?」
おいおいおい! 嘘だろう! と思ったのはまだ会って数分だからというのもあったが、なによりもまず、私は彼の名前さえ知らなかったのだ! もちろん彼も私の名前を知らない!
あれ? もしかして「What your name?」を聞き間違えた? とか思って固まっていると、彼はとんでもないことを言い出した。
「僕の夢は、日本人の女性と結婚して日本国籍になることなんだ!」
Oh……
まさかこれが私のはじめてのプロポーズ体験なんて。ショックすぎてクラクラしてきた。
私ではなく日本国が好きってこと? それって私に偽装結婚しろってこと? なんかもしかして私、今狩りにあってますか? ってゆーか嘘でもいいから「一目惚れした!」とでも言わんのか?
心のざわめきをどうにか押し殺しつつ、私はこう答えるしかなかった。
「I'm married」
嘘も方便である。むしろこれがベストアンサーとしか言いようがない。
彼とはそのまま別れたが、驚くことなかれ。同じようなことが数年後、もう一度起こったのである。
この最初にできたケバブやさんを皮切りに、平井の商店街にはケバブやさんが数年おきにでき、私はできるたびにケバブを食べに出かけた。
コロナウィルスでパンデミック状態のとき、ここ数年でできたケバブやさんの一軒に買いに行った。そこのお店はイートインスペースが広く、せっかくだからと中で食べていると、近くで食べていた海外の男性(また英語)に声をかけられた。食べながら話していると、帰り際にまた、あの言葉を言われたのだ。
「Will you marry me?」
……っだから! まだあなたの名前も知らないんだってば!!!
衝撃的なデジャヴュにおののきつつ、このときはスマートに
「I'm married」
とすぐ返すことができた。成長である。この成長はたぶん将来絶対に役に立たない。いらぬスキルを身に着けてしまった。
これが二度目のプロポーズ。
三度目のプロポーズは言うまでもなく、今の主人からである。主人とは当たり前だがお互いの名前も知っていたし、交際期間もあった。安心安全のプロポーズは「YES」と言うに値する。
この三回のプロポーズのうち、二回はほぼホラー体験に近いのだが、結婚した今となっては「モテた自慢」に使えるかもしれないとプロポーズカウントに入れている。
事実としてはモテたわけではないということを知っているのは、今のところ私だけである。
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