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つれづれ雑記帳

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他のカテゴリーには入らない、とりとめもない日記的なものを、ここに集めました。
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2019年8月の記事一覧

私用で名古屋を訪れたので、『あいちトリエンナーレ2019』に行ってみました。

先日、書家の石川九楊先生の作品展を鑑賞するために、日帰りで名古屋に行ってきたのですが、せっかくなので、同じく名古屋で開催中の『あいちトリエンナーレ2019』も見学してきました。 会場がいくつかあるなかで、私は愛知芸術文化センターを訪れました。 ちなみに、この『あいちトリエンナーレ』は会場がいくつかに分散されていて、メイン会場は、この愛知芸術文化センターですが、その他は名古屋市美術館、四間道・円頓寺(←こちらは名古屋市内の商店街です)、豊田市美術館、豊田駅周辺です。それぞれ

noteを介して出会った方とnoteプチオフ会。不思議なご縁に感謝。

本当に不思議なご縁なのですが、昨日、noteで知り合った方と初めてお会いしました。 きっかけは、私のこの投稿です。 いつもの散歩コースで偶然見つけた花を、スマホで撮影してnoteに掲載したところ、なんと!これって、私のフォロワーさんのご実家の田んぼ&お花(タチアオイ)だったのです。それを知って私はもうビックリ! 彼女とはお互いにnoteをフォローし合っている関係で、時々コメントを送り合っていた仲でした。コメントの内容から「私と同郷の方なんだなぁ・・・」と薄々感じてはいた

エゴの共食い

この娑婆は、皆がエゴの共食いをしながら生きている世界だ。 愛なのか?エゴなのか? その境界線は非常に曖昧である。「愛」なのか「エゴ」なのかサッパリ見分けがつかないまま、人は確信に満ちた表情で「愛」を語り、愛に見せかけた安っぽいパッケージで「エゴ」を包み隠し、勿体ぶって丁寧に自分の「エゴ」を他人に押しつけながら、優しい言葉を吐き、優しく抱きしめ、その代償として人から「愛」を搾取するのである。 そう、「愛」と思い込んでいるものは、実はそのほとんどが「エゴ」でしかない。 「

別れの予感

ふとした瞬間に、「あぁ、この人と関係は終わったんだな」と感じる時がある。 まだ蜜月の日々を送っていたとしても、何かの折に、今までとは異なるエネルギーを相手から感じ取り、そのエネルギーが今の自分には適さないと察した瞬間、「あっ・・・」と悟るのである。 こうした「別れ」の予感は、大抵は当たる。 悲しいけど当たっている。 その場合は、執着しないでさらり手放す。これに尽きる。 最近も、それを感じる瞬間があった。 だけど、別に悲しくもなく、淋しくもなく、そろそろ別々の道へ別