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「命の分け目」となった物

昨夜の夕食時、夫が「今日、ラジオで面白い話を聴いたよ」と話し出した。
何だろう?と思い、続きを聞くと、作家の五木寛之さんの話だった。

夫は、通勤や仕事中の移動の時、車の中でよくラジオを流している。
そんな夫のお気に入りの番組の、昨日のゲストが、五木寛之氏だったそうな。

ラジオでは、(先日亡くなられた)石原慎太郎氏のことが、まず話題に上がり、「僕は、彼(石原慎太郎氏)と生年月日が全く同じなんです」と語られたという。
ということは、五木さんは現在・御年89歳。
そんなご高齢とは感じさせないほど、ラジオでは昔と変わらぬ軽快な雰囲気で闊達かったつにお話されていたという。


そんな五木寛之さんのラジオでの話の中で、「命の分け目になったもの」のエピソードが出てきた。

五木さんが朝鮮半島で少年期を過ごし、その後、終戦を迎え、辛酸を舐めながら日本に引き揚げてきた…というエピソードはとても有名である。
そんな命がけの移動時に、「命の分け目になったもの」があるという。
「それは何だと思います?」という五木さんの問いかけに、夫は「うーん。何だろう?」と考えていたら、五木さん曰く「それは靴なんです」と答えられたそうな。

身一つで日本へと逃げていく中で、しっかりした丈夫な良い靴を履いていた人は助かって無事に日本の地を踏むことができたけど、履物が粗末だったり、安物のボロボロの靴を履いていた人は、途中で足を痛めて歩けなくなり、そのまま命を落としていったのだという。

そんな様子をつぶさに観察していた五木少年は、帰国後、靴をとても大事にするようになったという。

五木さんは、靴は「命の分かれ目」となる重要なアイテムであると悟り、常にちゃんとした良い靴を購入して履くように心がけ、高齢になった今も、ソールの交換など定期的に手入れをし、大事に履いているらしい。

「命の分け目」となるもの、それは「靴」。

なんと、重量感のある深い話だろうか…。
私は感嘆した。



しかし、途中でふと「これって、どこかで聞いた話と似ているぞ…」と感じ、あれこれ思い返したら、そうそう震災だ!と思い出した。
今から27年前の阪神淡路大震災の時に、倒壊した家から命からがら脱出するとき、たまたまスリッパが近くにあって、それを履いて逃げて助かった…という話だったと思い出したのだ。
あの時も「えっ?スリッパ…!」と驚いたんだけど、このエピソードが語り継がれ、今では「枕元に履物を用意しておく」は防災の鉄板ルールである。

危機の中を無事に生き抜くのに「足元を守ることが重要」という点で、震災の話と五木さんの靴の話に、共通するものを強く感じた。

それにしても、五木氏が語ると、説得力が半端ない。
何より、終戦直後の混乱期に、数百キロ・数千キロという距離を、徒歩で逃げてきた人の体験から生まれた蘊蓄うんちくなので、凄みと真実味がある。自分の足だけが頼り…という壮絶な引き揚げシーンの中で、命がけで逃げてきた人たちの「命の分かれ目」が靴であったという点に、私はドキリとした。
たかが靴。されど靴。
靴って本当に大事なものだ…としみじみ思った。

ちなみに、夫が「為になった」と唸った話は、この靴とは違う別の話題だった。(それについては、また別の機会に…)

◇◇◇

さて、靴と言えば、以前、私はこんな話題を目にしたことがある。
それは、
「雪がたくさん降る地域に住む女性は、ソールが厚めのごっつい靴を好む」
という話だ。

確か、地元の靴屋さんが発信しているブログサイトの記事だったと思う。
全国的にもそうした傾向があるらしく、だから、雪国ではあまりヒールの靴は売れない…ということだった。

これを読んだとき、「うんうんわかる」と納得した。
確かに私も、ヒールの靴は冠婚葬祭用の黒革ヒール靴のみで、後はフラットな靴ばかりだから…。そうそうソールが厚めのごっついものが多い。

周りを見渡すと、私だけでなく他の女性たちも同様で、「普段履き」でヒール靴を愛用している人はほぼいない。みんな私と同じくスニーカー派だ。

これには理由があって、いくつか挙げてみると…。

まず雪が降ると、ヒール靴では外を歩くのに危険なので、冬季はまず履く機会がない。だから買っても「靴箱の肥やし」になってしまう。

それに地方だと、舗装されていない所も多く、例えば、地面がむき出しの場所や、砂利が敷き詰められた駐車場があるので、そんなところを歩くのに、やはりヒール靴だと大事な靴を傷めてしまう。

あと、雪かきした雪を流すための側溝のふたが、金属製の網状のもので、時々、この網目にヒール部分をうっかり突っ込んじゃうことがあるのだ。

私も以前、お葬式に行ったとき、駐車場から斎場までの歩道で、大事なパンプスのヒール部分がスポッと側溝の蓋の網目にはまってしまい、ヒールを思いっきり傷つけてしまったことがあった。
高かった靴だったので「オーマイガー!」と泣き叫びたくなったんだけど、この時、つくづく「田舎はヒール靴はダメだわ」と痛感した。

更に、地方は車での移動が主になるので、運転のしやすさを考えると、はやりヒールだとドライビングシューズに替えなくてはいけないから、その点もちょっと面倒くさい。

とはいえ、仕事でスーツを着る場合は、全体のバランスを考えてパンプスを履くようにしているけど、だいたいは職場等で履き替えるようにしていて、普段の外回りには、スニーカータイプのものが自然と多くなる。

こうして、いろいろ総合的に見ていくと、やはり先述の靴屋さんの話の通り、実用性から考えて「フラットで動きやすい靴」に自然と手が伸びてしまう…という訳だ。

靴は「足元のおしゃれ」になるし、大事なアクセントになるけど、「歩く」ための道具と考えると、足に負担がかからないもの動きやすくて楽なもの実用性がありヘビロテが期待できるものを、どうしても選択してしまう。

悲しいかな、地方の雪国に住む女性は、エレガントなお洒落が、地域柄なかなかできないってことなんだろうなぁ…。

命の分け目」となるのは靴

五木氏の話と雪国の靴事情。
全く関係ない話かもしれないけど、もしかしたら雪国に住む私たちは、温暖な地域の都市部の人より、うんとサバイバルな暮らしをしているのかもしれない

…と、そんなことを感じたのだった。


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