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無礼講と酔っ払いと春の月

「まぁ、先生。どうぞどうぞ。」

そう言って、目の前の男性は私の盃にお酒を注いだ。



ここは山の中の小さな村。

4月から私はこの村の中学校に赴任することとなり、この日は始業式と入学式だった。

午前中は、まず始業式が執り行われた。新しく赴任した教師の新任式も行われ、生徒達と初対面。そして午後は入学式。緊張した面持ちの一年生たちを笑顔で迎え入れて新年度がスタートした。いつも思うけど、春の学校は、真新しい制服と新品の教科書の香りがして、とてもフレッシュで初々しい雰囲気に満ちている。私たちの教師も、その清々しさに思わず背筋がスッと伸びる。

午前と午後の大切なセレモニーは滞りなく無事に終了し、その晩には、保護者も交えた懇親会が盛大に執り行われた。

ちなみに宴会の場所は、村民センターの中にある大広間である。

小さな山村なので、役場がある中心地の集落であっても、宴会が開けるような大きな飲食店や飲み屋はない。そこで、地域住民の寄り合い(集会)や宴会には、各集落の公民館や村民センターなど、公的な施設の大広間が使われていた。

宴会は最初から席が決まっていて、私たち新任教師は、広間の前の方(上座)に膳が設けられ、横一列に並んで座ることになっていた。今回の初任者は私も含めて4人。私たち4人は、会場に集まった皆さんを見下ろすような高い位置に座らされた。

司会を担当するPTAの役員さんの案内で、PTA会長の挨拶や学校長挨拶が粛々と進み、次に「新任の先生の自己紹介」になった。私たちは順番に立ち上がり、皆さんに簡単な自己紹介を披露した。

一人が自己紹介をする度に、会場が割れんばかりの盛大な拍手が起き、私たちは熱烈な歓迎を受けた。こうして、いよいよ宴が始まった。

膳の料理は、JA(農協)のスーパーのお惣菜部で作って下さったとのこと。お酒はビールか日本酒。ビールは大瓶が回ってくるのでグラスに注ぎあい、日本酒は、大広間の横にある給湯室で熱燗にした徳利が配られるので、大きめの盃に注ぎ合って飲む。

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◇◇

実は、懇親会が始まる前のちょっとした空き時間に、教務主任の先生から、

「皆さんの膳の下に、空のどんぶり椀を一つ置いておくので、そこに注がれたお酒をそっと捨ててください。注いでもらったお酒を全部飲むと、絶対に酔い潰れるから、無理しないで一回一回捨てて下さいね。」

と言われていた。

私は意味が分からず「?」と首をかしげていたら、他の先生が、

「この村の人はお酒が強くてペースも早いから、相手に合わせて一緒に飲んでいると、飲み過ぎで潰れちゃうんだよね。だから、注がれた酒を飲まないで、こそっと捨てなさい・・・ってこと。注いでもらえばそれでOKだから。相手の親御さん達もちゃんと分かっているから、心配しなくても大丈夫だよ。失礼にはならないからね。」

と教えてくれた。

ここは北アルプスの麓にある村だ。真冬は氷点下10℃以下まで気温が下がり氷に閉ざされる。しかも雪深い。こういう寒い土地に住む人は、冷える夜にはお酒を飲んで身体を温めることが多々ある。私が生まれ育った町もそうだったけど、更に標高が高いこの村は、お酒を飲むことが習慣になっているのかもしれない。

私は、お酒はとりあえず頂いておいて、酔いが回ったらそっと捨てよう・・・と思った。お酒が好きだから、飲めるうちはしっかり飲んでおきたい。

◇◇

乾杯の後、最初はPTAの役員さんがお酒を注ぎに来てくれた。ご挨拶がてら自己紹介や雑談をして、しばし過ごした。

これくらいなら、まだ大丈夫。注がれたお酒をいただく。返杯する。歓談しながら、空いた瞬間を見計らって、膳の料理に箸をつける。

こうして一通り、役員さんとの一献が終わったところで、司会者の指示により、みんな自分の席に着いた。

無礼講の前に、飛騨の宴会のしきたりで「めでた」という唄(うた)を皆で唱和するためだ。

江戸時代から飛騨地方で継承されているこの風習。今も、新年会など大勢で飲むときや披露宴等の宴会で、この唄を謡(うた)う。

まず、めでたの代表に選ばれた人が最初の部分を独唱で披露し、その後、続いて参加者全員で謡う。

「めでた」が無事に終わって拍手で締めた後、いよいよ無礼講となった。

◇◇◇

無礼講となった瞬間、皆さんがビール瓶や徳利をもって、私たち新任者の膳の方に歩み寄った。

気がつくと、私たちの前に長い行列ができている。

私の前に来た人が、私のグラスや杯にお酒を注ぎながら、「私は3年生の〇〇の父親の〇〇と言います。仕事は・・・」と自己紹介をされて、私と歓談する。こうして一通りお話が済むと、「それでは今後ともよろしくお願いします」と言って立ち上がり、お酒を持って横の列に行く。すると、次の人が私の前に出てきて正座する。そして、また自己紹介をしながら「先生、私は〇〇の母です。よろしくお願いします。」と言って私のグラスにビールを注ぐ。語る。笑い合う。・・・の繰り返し。

こんな感じで、入れ替わり立ち替わり、保護者の皆さんがお酒を注ぎに来てくれた。小規模僻地校なので、生徒の数は知れているけど、どのご家庭もご夫婦で参加されているから結構な人数だ。お父さんとお母さんの両方と歓談することになる。

何とまぁ、濃い付き合い方なんだろう・・・。だんだんと「先生と生徒の保護者」という関係性が崩れてきて、「酒を酌み交わす親しい友達」のような感覚になっていく。私も皆さんとは初対面なのに親しみを感じて、雰囲気にどんどん馴染んできた。ここは小さな村なので、保護者の皆さんは横の繋がりも強く、まるで親戚のような濃い付き合いをされている。名前を呼ぶときは、姓ではなくてファーストネームだ。同じ名字の人が多いから、年齢や性別に関係なく、みんな下の名前で呼び合っている。

お酒が入るに従って、自然と声が大きくなり、大広間の至るところで笑い声が響いていた。ワイワイ・ガヤガヤと楽しそうな声が上がり、宴は大いに盛り上がった。私もついついお酒が進む。

気分が高揚して楽しくなったところで、目の前に座っている生徒のお父さんが「まぁ~先生、ちゃんと飲んどるかな?今日は先生のための宴会なんやで、いっぱい飲んでいってくれよな。」と言って、私の盃やグラスに並々とお酒を注いでくれる。

気がつくと、私はかなり酔っ払っていた。自分でも「何だか調子が変だなぁ・・・」と思いつつ、でも楽しいから勢いで飲み続けていた。

やがて、注ぎに来てくれる人の列がふっと途切れたので、ちょっと休憩・・・とばかりに、トイレに立った。あれ?足がフラフラする。これって千鳥足? トイレを済ませた後は、大広間には戻らず、空気が涼しいところで一休みしたくなった。廊下のソファーに座り、そのまま横になった。そこで私の意識は一端途切れた。

フワフワして気持ちが良い。心地よくて眠くなってきた。

自分でも訳の分からないことを呟きながら、ウトウトしていたら、何やら遠くで「Emiko先生ー!大丈夫ー?」「おーい!大丈夫かーー!」と声がしてきた。自分では返事をしているつもりだけど、上手く伝わらない。「楽しいでーーーす!」と意味不明なことを呟きながら(この時の様子は、後々、他の先生から聞かされました汗)、私はそのまま眠り込んでしまった。

◇◇◇

その後、ハッと目覚めると、私は誰かに背負われていた。

ドロンドロンに酔っ払っているので、ろれつが回らず、意識も半分あるようで無い状態だったけど、何となく私を背負っているのはPTA会長さんだと分かった。そして、私の荷物をもって養護教諭のM先生が付き添ってくれているのも分かった。

「あれ~~~~?わたしー、おんぶされてるんですかーーーー?」と叫んだら、PTA会長さんが「おぉー!目が覚めたか?先生、今夜はちょっと飲み過ぎたなぁ~」と言って笑った。

M先生も「Emiko先生、大丈夫?気分悪くない?」と心配そうに話しかけてくれた。

私は自分ではお酒が強い方だと思っていたけど、この村の最初の懇親会で見事に酔い潰れてしまった。あぁ恥ずかしい。やっちまったー!と思った。でも、それ以上にハイテンションになった自分が押さえられない。楽しさがこみ上げてきて、無性にはしゃぎたい気分。

ふと空を見ると、月が美しく輝いていた。ぽっかりと春の月。

月夜の下を歩く、PTA会長と養護教諭のM先生、背負われている酔っ払いの私。

みんなこの村で出会った初対面の人達なのに、ずっと昔からの知り合いみたいな感じがした。

教員住宅の自室に辿りつき、鍵を開けてもらい、ベットに寝かせてもらった。

「それじゃあ、先生。俺たち帰るから、ゆっくり休んでな。」

「Emiko先生、おやすみなさい。ここに私の電話番号を置いておくから、何かあったら連絡してね。同じ教員住宅だし、すぐに飛んでいくからね。」

と言い、PTA会長さん&M先生は帰って行った。

この後、私の意識はまた途切れてしまい、泥酔したままグッスリ寝入ってしまった。

次の日、酷い二日酔いになって大変だったけど、周囲の視線は温かかった。失態を晒しちゃったけど、その分、村の人達との距離がグッと近くなった気がする。一緒に飲んだことで、私のことを知ってもらい、認めてもらった感じがした。

最初は緊張した村での暮らしも、これをきっかけにどんどん深まっていった。そう、酒が心の溝を埋め、人との距離感を縮めてくれたのだ。


◇◇◇


これは、私がまだ独身だった頃、25歳の春のお話。

牧歌的な雰囲気が残ってたあの山村は、平成の大合併によって他の市に吸収され、村は無くなってしまった。また、この中学校も合併後に廃校となって今は存在しない。


今回、この昔の出来事を思い出したのは、このコンテストに応募するため。

「どこで飲んだシーンが印象に残っていますか?」と問われて、ふと記憶をたぐり寄せて考えてみたら、20代に体験したこの歓迎懇親会の様子をフッと思い出したのだ。

こんなに飲んだくれたのは初めてで、泥酔して二日酔いになったのも人生初の体験。まさに「若気の至り」だったなぁ・・・。

しかし、今はコロナでこのような宴会はできない状態だ。

酒を注ぎ合い、歓談し、美味しい料理に舌鼓を打ち、唄を謡って拍手して、大いに笑って楽しく過ごす時間を共有する・・・。あの楽しい時間が消えてしまうとしたら、とても淋しくて悲しい。早く終息してほしいと思う。

人と人とを繋ぐ楽しい宴。笑って語って心を結ぶひととき。

またいつか、皆で飲める日が来るといいなぁ。


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