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私の「アルバイトの履歴書」

昨日、あらしろひなこ(ひな姉)さんが、学生時代のアルバイトについて記事を書かれていました。

とても興味深く読ませていただいたのですが、ふと「そうだ!私も同じテーマで書いてみたい~💕」と思いました。

・・・ということで、私のバイト遍歴をご紹介します。

古い町並みで土産物屋の店番

高校時代、親戚のおじさんに頼まれて、夏休みに、飛騨高山の古い町並みにあるおじさんちの店で店番をしたのが、私の初めてのバイト体験です。

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(出典・高山市公式観光サイト)

レジを打ってお金を頂いたり、品物を包んだり、商品を補充したり、あと、たまにふらりと店に寄っていく近所のご隠居さん(同じ町の御老人)の話相手をしたり・・・云々。今のような忙しさはなく、お客さんも日本人が主で、のんびりしていました。


北アルプスの山で賄い付きの住み込みバイト

大学1年の夏休みに、飛騨山脈(北アルプス)・乗鞍岳の畳平にある宿泊施設で、住み込みのバイトをしました。

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(出典・環境省)

これも親戚のおじさんに頼まれて(先述のおじさんとは別のおじさん)のバイトです。当時は、全国から学生アルバイトがたくさん集まっていて、職場は活気があり賑やかでした。

私が担当していたのは、客室の清掃、朝食と夕食の準備と片付け、あと、一般客に開放していた食堂のウェイトレスです。

宿泊客の夕食が終われば、私たちは自由。皆で飲み語ったり、外に出て満天の星を見たり、車で長野県側へ下りて乗鞍高原のカフェへパフェを食べに行ったり・・・等。また、日中も時間が空くと「山に登っておいで」と特別に休憩がもらえるので、その時は乗鞍岳の山頂(剣が峰)へと登りました。

他の学生さん達と混じって過ごしたこの日々は、私にとって一生心に残る思い出です。まさに青春群像劇・・・という感じの一ヶ月間でした。

ただ、この施設はよく幽霊が出て、ちょっと怖かったのが難点でした。(今はこの建物は壊されてありません) あと、山はすぐにお腹が空くのと、ごはんがめちゃ美味しく感じられるため、ついつい食べ過ぎて太ってしまうのです。私も下山して体重計に乗ったら、恐ろしいほど体重が増えていました(汗)。自然のなかでリフレッシュできた分、身体は確実に丸くなります。そのため山から下りた後、私はダイエットをしました。


ガソリンスタンドの店員

これも親戚のおばさんに頼まれて、大学1年から2年に進級する春に帰省し、実家近くのガソリンスタンドで1ヶ月ほどバイトしました。

仕事内容は、ガソリンを給油してお金を頂いたり、洗車した車に掃除機をかけたり、ワックス掛けをしたり・・・等々。あと、洗車の拭き上げで使ったタオルを洗濯することもしていました。

当時の私はまだ免許証を取得していなかったけど、できる範囲でいろいろ任せてもらいました。(職場の雰囲気が良かったのも、ありがたかったです。)

ただ、難点は、基本「外仕事」なので寒いのと、ガソリンの臭いが付くこと、服が汚れること、手が荒れること・・・です。

でも、それ以外は特にストレスは無く、楽しかったです。

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ここでは、私は職員の皆さんにすごく可愛がってもらいました。仕事が終わると「美味しいもの食べに行こう!」と夕食会によく連れて行ってもらったり、また、私が仕事を辞めるときは、店長さんにお寿司をご馳走になり、生まれて初めて大トロのにぎりをいただきました。お世話になりました!ご馳走様でした~。


弁当屋の店員

私は名古屋の大学にいたのですが、当時住んでいたアパートの近くの弁当屋でバイトをしました。こちらは大学2年の冬から3年の秋の間です。

仕事は、唐揚げやカツを揚げたり、店頭に並べておくサラダやおにぎりを作ったり、キャベツを丸ごと包丁でザクザク切って千切りキャベツにしたり・・・等々。注文が入ると、厨房内に幾つもの弁当パックをバーンと広げて、おかずやご飯をセッセと詰める・・・という作業もしました。こんな感じで、いつもは厨房で何かを作り、お客さんが来るとレジも担当しました。

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(出典・本家かまどや)

今でも覚えているのが、私がこのバイトをしていた時、消費税がスタートしたことです。その日の販売を終了して売り上げを集計した後に(夜9時過ぎ)、消費税分も加算できるレジへと切り替える作業をしました。

私はよくわからずに横で見てただけですが、店長と社長があーだこーだ言いながらレジのシステムを変える作業をしていて、ふと「時代が変わるんだなぁ~」と感じたことを記憶しています。(今は税率10%になったけど、当時は3%でした。)

このバイトで嬉しかったのは、昼間のシフトに入ると、お昼ごはんが食べられたことです。店長がサンマを焼いてくれたり、好きな揚げ物を一品自分で揚げて食べられたり・・・。一食分が浮くので、とても助かりました。

ただ、難点は、全身、揚げ物の臭いが付くこと。バイトが終わった後、その足で今池のライブハウスに行ったのですが、私一人、揚げ物の油の臭いをプンプンさせていて、かなり恥ずかしかったです(汗)。自分でも分かるくらいだから、そうとう臭かったと思います。この時、私の周りにいた人、ゴメンナサイ~。


書道関係のバイト

これは日雇いになりますが、当時の大学の「書道」繋がりで、ちょっとしたバイトも体験しました。当時の私は大学で書道を勉強していたので、その関係でお金がもらえる仕事がちょこちょこありました。

まず一つ目は、中日展など大きな書道展の『作品の搬入・搬出』。会場にて額装された作品を搬入口から各展示室まで手で運ぶ・・・というものです。

肉体労働なので、そこは元気な学生が駆り出されるんだけど、この仕事の難点は、作品はものすごく大きい上に重たいので、次の日に筋肉痛になる・・・ということ。これは本当に大変な仕事でした。女子でも額を2~3つくらい抱えて運びましたから・・・筋力がつきます(汗)。

日当は幾らだったか覚えていないけど、でも、バブル期だったし、一万円近くはもらえたかな。

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(2019年度の日展の写真)

あと、『賞状書き』というのもありました。近隣の他の大学から依頼が来て、体育系クラブの大会の表彰式用の賞状を書く・・・というものです。

私は八事の大学だったのですが、お隣の塩釜口の大学から依頼が来て、書道の先輩からの指示で、私が賞状書きに出向いたことがありました。

この時の大会は、なんとボディービル大会で(汗)、筋肉ムチムチのお兄さんたちの生着替えとか練習が目の前で繰り広げられるような所に、私の席がぽつんと設けられていました(滝汗)。男子しかいない中で、私は紅一点。熱気ムンムンの体育館の中に一日中いて、今思えば、非常に貴重な体験(汗)をさせていただきました。

結果が出ると本部から私に伝令が来るので、そのたびに賞状を小筆で書き上げていきます。ただ「筆で賞名と名前と日付を書く」というだけの仕事なのに、丁寧に扱っていただきかえって恐縮でした。バイト代は謝礼という形でいただきました。ただ難点を挙げれば、胸がときめくような素敵な出会いは全く無かった・・・ということです(汗)。


オムライス屋のウェイトレス

当時、名古屋で有名だった「ハ〇ー〇ッグ」というオムライス屋で、大学4年にバイトを始めました。

仕事は、注文をとって給仕したり、レジをやったり、店内の片付けをしたり・・・等々。よくあるウェイトレスの仕事そのもの。

バイトは賄い付きでごはんが食べられるので(しかも人気メニューのオムライス)、とてもありがたかったです。

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ここは店長さんがまだ20代で若かったし、他のスタッフも若くて良い人だっし、当時はバブル期だったこともあり皆が気前よく、仕事の後に飲みに行ったりして、とても楽しかったです。青春群像劇のような思い出がいっぱいできました。

ちなみに難点は、賄いのオムライスが美味しい上にボリューミーなため、ペロリと完食すると、後で大変なことになる・・・ということ。めちゃ食べ過ぎてしまうのです。で、体重が増えます。

ここは大学卒業まで働きました。卒業式の日には、他のバイト友達と一緒に袴姿で店に寄り、店長に挨拶に行きました。そして、バイトを卒業する頃には、胃が一回り大きくなっていました(汗)。

和菓子屋の売り子

上のオムライス屋と平行して、一駅離れた和菓子屋さんでもバイトすることにしました。4年生になると時間がたくさんあるので、バイトの掛け持ちをしたという訳です。

仕事は、店頭での接客。お買い上げのお菓子の包装。レジ。時々、お店の掃除。

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ここはお菓子を作る工場が併設された和菓子屋で、工場で働く人も含めるとたくさんの従業員さんがいました。

お昼時間には、工場で働いているおばちゃんたちと一緒に、近くのお店でランチをしたこともあります。その時、仕事の愚痴をいろいろ聞かされたりして、「世間の大人は大変だなぁ・・・」と感じたものです。

また、私がいた店舗にはお局様がいたのですが、彼女は某芸能人の追っかけをしていて、客がいなくて暇なときは、その話をよく私に話していました。他のスタッフは「お局の話なんて聞きたくない!」と避けて逃げていたけど、私はすごく面白そうに感じたので、毎度、お局様と某芸能人との深い関係のお話をふむふむと聞いていました。お局様も良い聞き役がゲットできて喜んでいたと思います。

お陰で、人間関係に悩むことなく、穏便に「売り子」の仕事を全うすることができました。

ちなみに、ここでの難点は、せっかく和菓子屋で働かせてもらったのに、店の商品を味見させたもらったことは一度も無かった・・・ということです。お客さんに「どれが美味しいの?」と聞かれても、「食べたことがないので分かりません」としか言い様がなく(そんなとこ言わなかったけどw)、大変困りました。要するお店がケチだったということです。笑

まとめ

その他、単発の日雇いで「量販店の売り子」「街頭での新規クレジットカードの受付」「宅急便の配送センターで荷物の仕分け」「衣料量販店の売れ残り服の箱詰め」などもしました。

あの頃は、仕事は探せばどれだけでもあったので、不自由はしなかったです。

今振り返ってみると、当時の私は、お金を稼ぎながら、社会をのぞき見していました。世の中の大人達の働き方を垣間見たり、様々な職場の雰囲気を感じたり、じっと人々の様子を観察して、自分なりに「社会勉強」をしていたんだなぁ・・・と思います。

私の場合、何故かどこへ行っても「食べて太って・・・」のアルバイト履歴ですが(汗)、体験として得るものも非常に多かったです。

・・・で、大学卒業後の進路は、バイトで全く触れることがなかった教育分野へと進みました。お陰で、授業の合間に生徒達にする与太話には、バイト体験で得たことがネタになり、とても重宝しました。 

全てが懐かしい思い出です。

◇◇◇

ルミ姉さんも、学生時代のアルバイトの履歴書を書かれています。

私にはなかった職種をいろいろ体験されていて、すごく興味深かったです。

(本屋さんという選択肢、当時の私には無かったわ~😅)

「どんなバイトに就くのか?」にも、その人のその時々の感覚や気持ち、生き方などが自然と表れてくるのかもしれませんね😄。



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