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20歳の私と片岡義男


ここ数日、何故か自分が20歳だった頃のことを思い出す。

20歳だった私は大学生で、名古屋に暮らしていた。

あの頃、大学近くの書店では片岡義男の文庫本が平積みされていて、そのクールで都会的な表紙に心惹かれ、何冊かを買っていつも読んでいた。

当時は、村上春樹の「ノルウェーの森」の文庫本が出たときで、私も興味本位で買って読んでいた。確か、村上春樹の「ノルウェーの森」の文庫本発売のことが、当時の新聞広告にデカデカと一面で出ていた記憶がある。「ノルウェーの森」は単行本の時から有名だったけど、文庫本になり手軽に読めるようになったため、その知名度と話題性で私の大学の友達もみんな買って読んでいた。

でも、片岡義男の小説を読んでいたのは、私の周辺では私ぐらいだったと思う。

私は、彼の小説では短編小説を好んでよく読んでいたのだけど、ちょうど講義と講義の間の空き時間に読み切れる長さだったので、時間つぶしにも都合がよかった。それに、物語の世界観がとてもハイセンスで都会的であり、お洒落だった。彼の情景描写は、計算しつくされたような緻密さがありながら、とても清楚で美しく品がある。人物描写も本当に素晴らしかった。彼が書き描く人物は、皆、とても知的で清潔感があり、非常に魅力的だ。特に彼が描く女性は、みんな精神的に自立していて、自分の意志をしっかり持っている。そして自分の人生をまっすぐに生きている。決して男性に媚びることは無い。その潔さも含めて、とても高潔で美しく感じられた。

彼の小説を読み始めると、私はすぐに彼が描き出す世界観に引き込まれた。

当時はバブル真っ盛り。

熱狂の時代だった。

彼が小説で描く世界も、貧乏学生だった私から見れば、とてもハイブランドでお洒落な大人の世界だった。大人になったらこんな世界で生きてみたい…といつも憧れた。その上、彼の小説には野暮ったさが一切なかった。バブルの狂乱さは微塵に感じられず、常に静寂で心が落ち着く高潔な空間だった。

こうして私は大学時代を片岡義男の小説を読んで過ごした。しかし、大学を卒業し社会人になったとき、私は彼の小説を全て手放した。「あれは夢の世界だったのだ。憧れていた夢の世界。」そう自分に言い聞かせた。「地元に帰り、教師になる私には、もう似合わない世界だ…」と。自分でもよく分からないけど、私なりに「けじめ」をつけたかったのかもしれない。青春時代の象徴であった彼の小説を、私は引っ越しの時に全部手放してしまった。

あれから30年。

その間、私は全く片岡義男の小説に触れなかった。

正確に言うと、小説を読んでいる時間が全くなかった。小説ではなく教育関連の書物を読み、空想の世界に耽る代わりに、現実社会の光と闇にどっぷりと浸かった。無我夢中で毎日を生き抜き、いつのまにか私は結婚して、子供を産み育て、気が付くともう50歳目前である。若かったあの時の私は、自分の未来の姿など全く想像できなかった。ただ、若さだけで突っ走ってきた。その若さも、今はもう「気力」のみを残すだけだ…。

昭和が激動の時代だとしたら、平成は何の時代だろう?

光り輝く青春時代が終わり、「大人」として現実的に真面目に生きてきた時代。穏やかな現実の中に「小さな幸せ」を見つけていく…。それが私にとっての平成時代だった。

いろんなことがあったけど、今、ようやく落ち着いてきたこのタイミングで、何故か急に20歳の頃のことを鮮明に思い出すようになった。当時好きだった彼のことや、住んでいた街のこと、キャンパスでの日々、友と過ごしたこと、その他いろいろ。時には「切なさ」のあまり胸が苦しくなり涙が溢れることもあった。もう戻れない日々。愛しい時間。この30年間、私はあの頃のことを心の奥に封印して、じっと生きてきた。その封印が解かれたのだ。

そんななか、今度は、私の視界に片岡義男がポンと出てきた。たまたま開いたツィッターに、片岡義男comが出てきたのだ。

このタイミングで片岡義男が出てきて、私は息が止まるほど驚いた。

こうして私は30年ぶりに片岡義男の文章に触れた。

昭和が終わって平成になる頃に出会い、夢中になって読んだ片岡義男。その彼と、今度は平成が終わるこの時期に、また再会した。

縁とは不思議なものだ。

彼の筆は全く変わっていなかった。いや、ますます研ぎ澄まされてハイセンスになっているかもしれない。むしろ変わってしまったのは、私の方だろう。彼の小説を読み直すことで、私の中に未だあるモラトリアムな部分を昇華できるかもしれない…と、そんなことをふと思った。

この片岡義男comのなかで、秀逸だったのがこのエッセイ↑。

原爆投下の瞬間の体験を書かれたものだけど、これほど詩的で美しくもあり、また心に強く残る表現は他にはないと思う。


………

まだ私の心の中で20歳を回顧する状態が続いている。整理がつかない状態のまま、いまだ混乱しているけど、でも、この気持ちが落ち着いた頃、私はまた一歩前進しているだろう。

時間は戻すことができない。しかし、時間の経過とともに、また新しい記憶が蓄積していく。これからどんな記憶を魂に刻んでいくのか…。これをしっかり胸に留めておきたい。

私の人生はまだまだ続く。

私はこれからも生きていくのだ。


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