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年末年始が憂鬱

結婚してから・・・?いやいや結婚前からかもしれない。

私は年末年始になると憂鬱になる。

何が憂鬱か・・・って?

それは年寄りたちが、昔ながらのやり方に固執して「ワシらが決めた通りにやらんとダメなんじゃー!」と興奮してくるところ・・・。

私たちが少しでも「いつもの慣れ親しんだパターン」から外れたことをすると、老人たちは悶々と気になりだし、ネチネチと怒りを溜め込み、機嫌が悪くなる。

年寄りのご機嫌を少しでも損ねると、彼らはいつまでも悪感情を引きずり、尾を引き、根に持ち、周囲にべらべらと悪口を発散しだし、老人である自分を主人公にした「大事にしてもらえない可哀想な被害者」という妄想話を作って周囲に拡散し、同居している息子夫婦を執拗に貶めて、人の同情を買って満足する。とにかく年寄りは「些細な不満」も感じると居ても立ってもいられなくなり、後先考えず、自分のその不満を解消すること一点のみに全エネルギーを注ぎ込んでくるから、こちらのダメージは計り知れない。家族だからなおさら、こういうことをされると非常に後味が悪くなり、いつまでもその影響による破壊力は継続する。しかも本人は全く罪の意識がなくケロッと忘れていたりするから、かえってこちら側は辛くなる。年寄りの我が儘に振り回されて消耗し、向こうは満足して元気でも、こちら側は心の傷を深く負いトラウマを抱えることもある。これは「老人を大事にしなくてはいけない」という儒教の教えが刷り込まれた人たちには全く理解してもらえない苦しみであり、誤解されることへの不安から安易に口に出して言うこともできず、ますます心の奥に鬱憤が溜まっていく。これは本当に面倒臭い問題である。

こういう老人が一人でも身内にいると、家族のエネルギーはかなり消耗する。私たちは自分たちの尊厳を守るために、不本意ながらも「年寄りのご機嫌を損ねないよう」細心の注意を払わなくてはいけない。そして、年寄りの言うことを丁寧に聞いてやり、彼らの要求を淡々と飲んで叶えてやり、文句を言わせないように年寄りのために貴重な時間とエネルギーを使わなくてはいけない。しかも、こういうタイプの年寄りほど食欲旺盛で頭もしっかりしていて元気で長生きだ。こちら側が「いつか終わりが来る・・・」と信じて頑張っていても、賽の河原のようなもので一向に終わりはこない。むしろ年寄りの元気さはますます加速しているようにも思える。そうこうしている間に、老人たちよりもこちら側の方が、ストレスで弱り先にくたばる可能性も出てくる。

高齢化社会は、決して幸せなことばかりではない。

年寄りがいつまでも元気で達者だと、次の世代は家庭内では永久に二番手のままである。90歳過ぎた親が、70前後の自分の子供たちのことを「子供扱い」「未熟者扱い」し、ずっと家庭内の主導権を握り続けていることもある。そうなると、次の世代はいくつになっても「延々と自分たちの代がこない」「世代交代してほしくても、なかなか自分たちの番が回ってこない」という状態で過ごさなくてはいけない。そして、延々と親の価値観に合わせて、親の意向通りのやり方で家庭を運営をしていかなくてはいけない。もうすぐ平成が終わろうとする新しい時代に、老人たちのガラパゴス化した古い感覚が染みついた「昭和的価値観」に基づいて、今のこの家庭を運営していかなくてはいけないのだから、とても大変なことである。未婚率の上昇や少子化の波はイマドキの若い男女の問題では無く、若い世代を支える親世代や祖父母世代にも原因があるのではないか・・・と思えて成らない。古すぎてもう機能しない価値観に固執する親世代、変化を嫌がる年寄り特有の気質に縛られ続ける祖父母世代、そんな自分たちの感覚を「当たり前の常識」として若い世代にも押しつけ干渉するような家庭内の雰囲気は、これからの新しい時代の結婚観とは「水と油レベル」にマッチしないことは明確である。嫁が来ないと嘆く「5080家庭」が増えているのも、女性の立場から見れば当然のことだと感じられて成らない。

とにもかくにも、このような世代間の価値観の相違・ジェネレーションギャップ、そして高齢によってパターン化した思考癖が顕著に表面化して出てくるのが、この年末年始の時期なのである。これは、同居・別居に関係なく、どこの家庭でも大変なストレスである。

クリスマスも終わり、とうとう年末モードに入ってしまった。ここから年が明けて正月三が日が終わるまでの約10日間は、まさに「修行タイム」だ。それも荒行。千日回峰行レベルの命懸けの修行期間である。また今年もストレスMAXの「命を削るような日々」を過ごさなくてはいけないのだけど、日本全国に、私たちと同じように『元気すぎる年寄り』の相手に身と心を削って頑張る人々がいることを励みとし、今年も精進しようと思う。

ちなみに、今年の目標は「年寄りに気を遣わない。言いたいことは遠慮しないでハッキリ合う」である。老人たちが往生するまで健気に待っていても、おそらくあの元気さだとまだ20年くらいは持ちそうだからだ。そんなに長いこと辛抱が続くんでは、こっちの寿命が尽きてしまう。だから元気なうちに開き直って「待つ」のを止めて、こちらも老人たちの自由さを見習って「自分らしく」生きることにした。喧嘩上等。私たちにも生きる権利と人権がある。老人の権利ばかりを優先していたら、私たちの時代が終わってしまう。

それにしても・・・。

私たち昭和生まれは、親に縛られ、家族に縛られ、家に縛られ、土地に縛られ、古い価値観と世間の常識に縛られ、人の目や世間体に縛られ・・・等。自分の意思より、家や家族体制の維持のために駒のように扱われ生きてきた・・・そんな世代だったなぁと思う。

しかし、これからの新しい世代の子たちには、何にも縛られず、自分たちの能力や才能をフルに生かして社会貢献し、自由に自分らしく生き生きと生きて欲しいと切に思う。私たち世代が、老人世代から流れてくる「古い価値観に縛られたネガティブなエネルギー」を食い止める最後の砦になるから(笑)、その分、私たちの子世代には人生を謳歌して輝いて生きてほしいと願っている。

さぁ年末年始。気合いを入れて頑張ろう!

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