見出し画像

それは頭が良いんじゃ無くて、サイキックなんだよ

夫と話をしてて気がついたのだけど、同じ頭が良い人でも

・1聞けば、10理解できる人

・一点に固執することなく、広く全体を俯瞰して見渡すことができる人

・どんなに難しく複雑なことでも、瞬時にその物事の本質をスパッと見抜ける人

・解決策や問題の答えをサクッと探り当てる人

というのは、単純に脳の機能としての「頭の良さ」を表しているのでは無く、実は「サイキック」だということ。

そう、サイキックなんだよ。

大量の書類にサーと目を通しただけで「どこに問題があるのか?」を瞬殺で見つけられたり、パッと合った瞬間に「これは気をつけた方が良い」と嗅ぎ分けたり、また「この仕事は大変でもやらなくてはいけないことだ」と優先させる順番を的確に見分けたり・・・等。こういうことは、脳でいちいち確認してチェックして叩き出したことではなく、単に直感が働くからなのだ。

そう、別に知らなくていいことでも、すぐにピンと分かってしまう、気づいてしまう・・・。

そして、何故か他の人たちはみんな気づいていなくて、みんなボーとしている。自分も最初は周りに合わせて「気づいていないふり」をしているけど、でも、間違いやミスがあるのにそのまま気づかずスルーしようとするから、それで「これは言わなきゃ」と思って口に出す・・・。

すると、みんなが「すげー!どうして分かったの?さすが頭がいい人は違うなー!」となる・・・。

人から特別視されるのが嫌な人は、ここで皆から「すげー!」と言われるのに精神的苦痛を感じ、「またやってしまった・・・」と自省してしまう。そう、普通の人で生きたいのに、何故か「わかってしまう自分」「気づいてしまう自分」がいて、なかなか普通の人になれないのだ。そこが辛いところ・・・。

というのも、あまり気づいたことを指摘し続けていると、皆が煙たがって自分のことを特別扱いしてくるからだ。自分はもっとみんなと普通にフレンドリーに関わり合って楽しく生きたいのに、自分の存在が周りの人のコンプレックスを刺激するらしく、みんな煙たがって距離を置く。それが辛くて悲しかったりするのだ。そう、ずっと孤独なんだよね・・・。なかなか自分のことを理解してくれる人がいなくて、親兄弟でも自分の存在を煩がったり煙たがるときがある・・・(←それも直感で見抜いてしまうのだけど・・・)。

こんな状態を子供時代からずっと繰り返しているから、無意識に社会に対して諦めの気持ちをもっている。

勘が鋭くて何でも取り組めば必ず成功してしまうんだけど、周りが自分のことを特別扱いして距離を置いているのがわかるから、いつも受け入れてもらえない淋しさを漠然と抱えて生きている・・・。でも、仕方かない、自分はこんなもんだ・・・と自分に言い聞かせる。周りに合わせて「ボーとして生きる」こともやってみたけど、それだとストレスが溜まりまくって自分には限界。仕方が無いから、周りから浮いてしまうことを覚悟の上で「自分の直感」を使って生きると腹をくくる。自分でもよく分からないけど、そういうものだと諦めて生きている・・・。直感で「答え」が分かってしまう人生。

そんな感じなんだと思う。

直感が働いたり、なんでも分かってしまう・・・ということは決して良いことばかりでは無く、わからなくていいことまで見透かして分かってしまうから、結構つらいことでもある。人の気持ちや本性を見てしまうこともあるし、人間の裏表や陰の顔にも気づいてしまい、傷つくことも経験している。

だけど、人生の途中で「砂を噛むような苦難の時期」を体験しても、「これは自分にとって必要な経験なんだ」と無意識に分かっていてそうプラスに自覚するから、苦しくても人生を投げ出さず、じっと最後まで頑張り乗り越えてしまったりする。

こうして泥臭く生きていくことで、人より多くのことを感じ取り、受け止め、体験して、複雑に生きている・・・ということだ。

そうそう。

◇◇◇

しかし、私が思うに、おそらく、みんなそれぞれに「自分の得意分野」というものがあり、その分野で自分のサイキック能力を使っているはずなのだ。

バチプロの人はきっと「当たる台がどれなのか?」を自分のサイキック能力を使って見分けているんだろうし、芸術の世界で生きている人の中には高次のスピリットワールドからエネルギーをチャネルして表現している人もいる。専業主婦だって、食材を見て「これはこうして食べると美味しいぞ!」と直感でひらめいたことをそのまま料理に生かしていたりする。

ただ、多くの人は、それに気づいていない。

そして、それらは「特別に頭が良いからできるんだ」と勘違いしている。

いやいや、それは脳の性能の良し悪しではなく、サイキック能力を使っているかだよ・・・というのが私の仮説。

日本のように常に横並びで「皆と同じ」を強要させられる社会では、人より抜きん出ることは致命的だ。うっかり出過ぎてしまっても、またうっかり後れをとってしまっても「いじめ」や「差別」の対象になる。だから、「能ある鷹」も「どこにでも居る雀」のように自分を隠して生きていかなくてはいけなかった。そのため、自分の能力を隠して生きてきた人も多かったんじゃ無いかな?特に、周りにひがみっぽい人が多い環境だと、自分の能力にコンプレックスを感じて、自分を守るためにわざと失敗して間違いを犯し、「アホ」のふりをして自分を隠して生きてきたかもしれない。

でも、これからは、自分の個性に合わせて、自分の得意分野で直感力をフルに生かし、それぞれが自分の人生を楽しく有意義に生きて行く時代だと感じている。

上手くいくのは「頭の良さ」ではなく、直感力だ。単に「頭の良さ」だけにこだわること無く、自分の秘めた能力を目覚めさせ、その力に気づき、どんどん使って磨いていくことだ。

そのためには、まずは自分はどんなことに潜在能力を発揮するのか?を知らなくてはいけない。簡単に言えば「自分は何がしたいのか?」もっと突き詰めれば「自分は何が好きか?」ということ。

「自分には何も無い」と諦めないで、「必ずある」と信じること。信じて見つける努力をすること。

そう、今まで上手くいかなかったのは、自分のことがあまりに分からなすぎていたのだよ。人の言うことばかりまねして、自分のことを放棄していたんだ。そして、自分の得意分野がよく分かっていなかった・・・。ただそれだけのことだと思う。

・・・

とまぁ、そんなことを、今朝、夫と話したのだった。

無自覚のサイキックの人たちには、是非、自信を取り戻して欲しいと切に願う。あなたの能力が、周りの人々に気づきを与え、これからの社会の原動力となるのだから・・・。

もっと自信を持って自分の能力を臆すること無く外に出していき、自分を社会の中で生かしてほしいな・・・と思う。私自身も、そしてあなたも。



この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨