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どんどん配られる紙の文書って実は暴力的なんじゃないかと感じた話

昨日、私は、溜まりにたまった書類を整理しました。

かかった時間は約6時間。

自分でもよく頑張ったわ…と思います。

この春から、ずっと「なんとかしなくては…」と思っていたので、思い切って取り組み、昨日のうちにやっつけることができてホッとしました。

実は私、昨年度から地元の某団体のメンバーになったのですが(しかも2つ)、この団体の会議に出席するたびに渡される書類や定期的に郵送されてくる文書、その他モロモロの書類が結構多くて、どんどん溜まっていくし、初めて属する会なので勝手もさっぱりわからないし…で、いろいろ処理が大変だったのです。

そこで、根が不精で面倒くさがり私は、これらの書類を封筒に入れて、自宅の部屋の片隅に置いていました。

とりあえず封筒の表に「日付」と「会議名」をマジックで大きく書いておき、それらを、団体名を書き込んだ箱の中にそれぞれ仕分けして入れておく…という安直な方法で…です。

Aという団体の書類の封筒は「A」と書いた箱に入れ、Bという団体の書類の封筒は「B」と書いた箱に入れておきました。
これは保存というよりも「放置」に近いスタイルですが(汗)、これでなんとか昨年度を過ごしました。

ところが、この箱収納を一年半もやっていたら、Aの箱もBの箱も中がカオスと化し、どこに何があるのか把握しきれなくなっちゃったんですよね…😅。

そこで(お恥ずかしいことに)昨日、私は半日かけて書類を整理した…という訳です。

◇◇◇

まずはとりあえず、Aの箱から分別作業を開始。

日付が古い封筒から中の書類を取り出し、要らない文書と要る文書で分けていきます。
要らない文書はひとまず処分。

こうして大量の封筒の中身を順番に選別し、作業がひと段落ついたところで、新しいファイルを買いに文具屋へ行きました。ついでに「穴あけパンチ」の大きいものも購入。

買い物から帰宅後、次に、日付や会議ごとに束になっている書類を、買ったばかりのパンチでガシガシと穴をあけ、新品の紙製ファイルに、古い書類が下になるよう順番に綴じていきました。

こうして2団体分、コツコツ頑張りました。

◇◇

この作業の途中、なんと!箱の中から未開封の大きな封筒が出てきました。(冷や汗)

げっ!ゲゲゲーー!

慌てて封を開けて中身を確認したら、数日前が出欠返答の締め切り日だった某会議の案内文書がすっーと出てきました。(顔面蒼白)

この案内、実は先月、うちに届いたものですが、忙しくてうっかり開くのを忘れて、そのままこの箱に放り込んでしまってたみたいです。(脂汗)

だから先日、会の事務の人から出欠を確認するメールが私のところに来ていたのか…と思い出しました。
メールを見た時、私は「どうしてこんなメールが来たんだろう?会議の連絡、私のところには何も届いていないのになぁ…」と不思議に思いつつ「参加」と返信したんですよね💦。
いやいや、これは私のうっかりミスでした。すみません~!(ひたすら猛省)

こういう失敗が起きるから、整理整頓と書類管理は大事なんだよなぁ…と、自分のズボラさを反省したのでした。

◇◇


でも、こうして久しぶりに書類整理をしてみてしみじみ感じたのですが、紙の文書って一方的にバンバンと大量に送られてくると、溜まる一方だし、あまりに量が膨大だと、ちょっと暴力的というか、手に負えない代物に変貌しちゃうんですね。

よく子供さんで、学校でもらってくるプリントを机やカバンの中に突っこんだまま、グチャグチャに放置しちゃう子がいますが、その子の気持ちが100%・・・いやいや300%くらい、身に染みてよく分かりました。

紙に書かれてあることは大事なことだと理解している一方で、この紙(プリント)をどう保存するといいのか?どうしておくと後で便利なのか?…この辺りがよくわかっていないと、紙の処理を後回しにしてしまい、結果「放置」になってしまうのです。

私の場合は、日付をつけて箱に入れておく…という方法を取りましたが、それでもカオスと化しました。
ましてや、毎日毎日膨大な数の紙(プリント)を学校でもらってくる子供たちで、モノの整理整頓が苦手な子は、配られてくる紙を習慣的にただ受け取ってカバンに突っ込むだけになっているのかもしれません。
好きそうしている訳でなく、この方法しかできないんですよ。

それで「管理ができていない」と先生や親から叱られても困るだろうなぁ…と思いました。

今までの社会は、

大事なことを紙に印刷し、それを渡したら、それで相手は分かってくれる、理解してくれる。配った紙を通して大事なことはちゃんと伝えたから、これでOK。

これが当たり前だったと思います。

私が子供だった昔から、これで良かったし、これが常識だったし、皆も「こういうものだ」と思い込んでいたけど、でも、改めて振り返ったとき、これってどうなんでしょう?

みんな大量の紙(プリント等の印刷物)を当たり前のように受け取ってきたけど、令和の今、はたして「紙に印刷したものを配ること」に意味があるのだろうか?…と思うのです。

ペーパーレスもそれなりに普及し、難しい言葉使いの文書を読むことにストレスを感じる人もいる中で、人に何かを伝える手段として、印刷された「紙」を大量に使うことに固執する必要はないのではないか?…と。

もちろん、「記録」として紙に事実や真実を書き記して残していくことは、とても大事なことだし、これからも必要な作業だと思うのですが、用が済めば廃棄されるものにまで、安易に紙を使うのはどうなんだろう?と思うのです。

ちなみに今回、私が半日かけて整理した書類。断捨離して捨てたものも結構ありました。
また、今は大事な資料としてファイリングしたものもありますが、でも、今後、年度が変わったり、私の役目が終われば、みんなゴミとなり捨てられる運命なんですよね…(汗)。

将来は100%ゴミになると分かっていながら、せっせと紙に印刷して大量配布している現実。これは書類だけでなくチラシもそうです。
紙に印刷したもの大量に作って、どんどん配布することも「仕事」であり、大事な「活動」になっているという、今の社内のシステム。

そして、受け取った膨大な紙の束を、上手にファイリングし、大事に保存できる人を「しっかりしている」と評価する価値観。

今まではこれで良かったけど、令和の時代になった今、このスタイルにちょっぴり違和感を感じるんですよね💦。


紙以外の方法を模索したり、あるいは、思いきって簡略化したり廃止することも検討する必要があるんじゃないかと感じました。


…とまぁこんな感じで、一年半分の膨大な書類(紙)の山をせっせと整理しているうちに、いろんな思いが脳裏をよぎったのでした。

紙を湯水のように使いまくってきた時代。

これ、もう終わらせてもいいんじゃないかなぁ…と思いました。

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