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私たちはみんなチャネラーだ!

人は誰でもチャネルを持っている。

チャネルとは、導管・水路・チャンネルという意味だ。(スピリチュアルな世界では、見えない世界からの情報を伝える人をチャネラーというが、それを英語ではチャネルと言う。)

つまりそれは、誰でも「チャネリングすることのできる能力」があるということだ。

それは直感という言葉で言い表せられることもある。虫の知らせといういうこともある。要するに「見えないところからやってくる情報に繋がる能力」というのがそれだ。

スピリチュアルという言葉が市民権を得て、チャネラーとかサイキックという言葉がポピュラーになり、それが何か特別なことのように思われるようになってから久しい。

江原さんがオーラの泉で色々と見えない情報を伝えてくれていたのは、唯物的な社会に、見えないものの存在を広めるためのお役目のようなものだった。

そしてそれは、何かすごく特別な人にしかできないもののように思われていたのだけれど、最近では「犬も歩けばチャネラーにあたる(本当か?笑)」のように、あちこちにそういうことのできる人が増えている。

でも、繰り返す。人は誰でもチャネルを持っている。それに気づいているか、いないかの違いだけだ。

これからの地球においては、この「気づいている」か「気づいていない(気づかないふりをしている)」かが、ゆく道を分けていくのだと思う。

以前、こういう話を聞いたことがある。

東日本大震災の時に、津波がくるという情報で、非難する車で道が大渋滞になったそうだ。

その大渋滞に巻き込まれ、車が動かなくなってしまったある人の頭に声が響いたそうだ。「反対車線をもどれ!海沿いの道を通って、逆方向から山に向かうのだ!」と。

その道は、海のすぐそばを通る道だ。もし津波がやってきたら、一発アウトだ。でもその人は、思考がNOというのに逆らって、頭に響いた声の通りに海のそばの道へと戻り、反対方向から山へと向かった。

その人は、間一髪で津波が来る前に海沿いの道を通り抜け、山のほうに向かうことができ、津波に飲み込まれることはなかったのだ。

しかし後で知ったのだが、大渋滞で全く動かなかった道にいた車は皆、津波に飲まれてしまったのだそうだ。もしその時に、その人が頭の声に従わず、思考で行動を選んでいたら、そのまま助かることはなかったのだ。

こういうことは、誰にでも起こりうる。起こっていても、見逃して気づかないことも多い。

例えば、私が今夫と幸せに暮らしているのも、随分前になるが頭の中で響いた声に素直に従ったお陰かもしれない。(その時に聞こえた声は「携帯見ろ!」だった。夫と私との危機一髪の出来事が、その時に私が彼の携帯を見ることで回避されたのだった。笑)

危機的な時のみではなく、これからは常に私たちは自分のチャネルと繋がり、見えない高次の世界と繋がり続ける続けることが必要になってきている。

これは技能というより、信頼だ。自分にやってくるインスピレーションとよばれるものが、そういう類のエッセンスなのだと、自分で信頼することでしかない。

内なる声を聴くこと。それが自分のチャネルを活性化し、常に肉体を持った自分を超えて生きることになる。

流れるように委ねる。思考は、その委ねた感覚をサポートするために使えばよい。

自分の感覚を大切にすることは、自分のチャネルをオープンにすることと同じだ。声が聞こえるとかそういうダイレクトなことでなくても、私たちは常に見えない世界と繋がっている。

一人一人がチャネラーと呼ばれる時代が、もうすぐそこにやってきているのだ。