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体育会系調理補助ーひとりで、もう闘わないでいいです!ー

チーフが、このH病院の厨房に来てから、丸2年が過ぎていた。

このH病院の厨房は、あるフードサービス会社の一事業所で、他にも学校や会社の食堂、老人ホーム等の厨房を担当している事業所が各地にあり、H病院の厨房は、その事業所のうちの一つだった。

チーフは、元々はこのH病院の厨房の調理師だった。そして、一旦、関東地区のスーパーバイザー(部長クラス)にまで出世したが、2年前、奥さんの介護のため 時間が充分とれる ここの調理師にまた降りてきた。そして、この事業所の様々な改善の使命も背負っていた。

私は、そのH病院の厨房の調理補助パートとして働いていたが、私は5年前からここに来て、チーフとメンバーとして働くのは始めてだった。

私とそう変わらない年齢なのに、中学を出てからすぐ資格を取るために、調理師の勉強をしながら働き、そして通信制高校を出たチーフ。

私が「うちの父も、中卒で丁稚奉公に出た」と話すと、少し、共感を覚えてくださったのか、チーフは、自分が中卒で調理師の資格を目指した理由を話してくれた。

私は、その先見の明にびっくりした。

「『食』関係の資格なら、将来ぜったい食いっぱぐれないだろう。食べることは、人間に必要不可欠だから」


その中学卒業の頃は、私も大体同年代で、皆、高校へ進学する人が大概のところ。
資格のために、そして、人生全体を見渡しての英断。

(この人は、大物だな)と、思った。

学歴にとらわれない。そして、世の中どう転んでも、食に関する資格は強いだろう。

しかし、……

チーフは、ストレスが溜まっているときは、かなり辛辣なことも言う。

そして、早番で組んで、手の遅い私は遅さで怒られ、栄養士兼事務のサクラさんは、食品の注文ミスが多くて怒られた。
最初のうちは、私も結構、辛辣なもの言いに、感情的に複雑に、敵意も持った。が、それだけではなく、尊敬するところもあった。

尊敬するところーー
チーフは、長く言葉を繋げて怒るわりには、次の日などに怒りを引かないーー根に持たない。次の日は、実にアッサリ忘れている。そこが、尊敬できる。

だが、メンバーの改善点を次々注意していくのだが、次第にメンバーとの溝ができ始めていた。

あるとき、チーフが、周りの敵意をそこはかとなく感じ始めて、もう一人の調理師のシズさんにこう言った。

「シズ君、君からも注意してくれよ。僕は、もう嫌われるの嫌だよ」

シズ調理師は、チーフが育てて、古くからかわいがっている調理師だ。ここに改めて調理師として降りてきたチーフの、少し前からここを担当していて、メンバーからは、チーフより馴染まれている。

「………」

複雑な顔をして、取り敢えず笑顔を作り、何も答えないシズさん。(仕事が、忙しいのもある)。
私は、心のなかで
(M坂さん(一番の調理補助ベテランパート)は、嫌われる覚悟で新米パートに注意し続けてるのに)
と、思ったが、それは、チーフに伝わってしまった。(狭い調理場で、作業していると黙ってても素振りで伝わってしまうことがある)。
それから、チーフは、何も言わず、なにかあったら、メンバーに厳しい注意と、指導を続けていた。そして、メンバーと溝も深まった。


私は、一年が過ぎた頃、チーフのお人柄が段々分かり始めてきた。もちろん、全部が分かる訳では無かったけど。
時々、ぶっきらぼうだが、人への礼儀を大事にしたい、というのが伝わり、そして、なにより仕事に忠実な人だった。

こちらがちゃんと、仕事ができる分には 黙って多少のことは、見守ってくれる。冗談も言ってくれる。

チーフは、他の事業所にも、休日に応援に行っているので、週6日間働くときもある。それでも、奥さんの介護は笑顔でしたい、という。つらくても、明るく気持ちを保ってる。

一年間、周りが敵視してるような環境で、ひとりで頑張り続けるのはどんな気持ちだろう……


私も、この事業所に5年位いるが、いろんな時期があった。

仕事が、なかなか覚えられない時期。
主人の看病をしながらの時期。
同僚が次々と病気や怪我をして欠員が増えたが、私が周りの足を引っ張った時期。
初めて組む人には、なかなか馴れないで仕事にも影響が出る時期。
私の実家の家族がいきなり離散してしまい、それでも仕事を続けなければならなかった時期……。

職場でも私は調子が出なくて周りは冷たく思えた。
そういう周りの目が冷たかった時期、私はたしかに辛かった。
けれどチーフは、強く指導をするが故にずっと孤立している………

この一年、つらくはなかったのか……?

私は、自分の家の台所で、皿を洗う手を止めていろいろ考えた。

(つらくないはずがないじゃない……)

次の日、チーフと、また早朝から組むパートだった。やがて、中番の時間になると次々にメンバーがやってくる。
私は、それとなく、また雰囲気で語ってみた。
(ひとりで皆に注意し続けるのがどんなに大変かわかってる?チーフ、ひとりで一年間も頑張ったんだよ?チーフが言ってることは正しい。それが証拠に、私、大分 上達したでしょ?)私は、一応5年もいるので、今ではみんな、話(様子)は、聞いてくれる。

その厨房にはMAXで一ときに6人メンバーが入るのだが、みんなは、ちゃんとわかってくれた様子。

狭い厨房、チーフにも……
(やっと、味方ができた。味方が……)
と、チーフは、心のなかで言っているようだった。

しばらく、チーフは、ホッとしたように気が抜けていて、私は少し不安になったが、今日は少しまたいつもように元気に皆にゲキを飛ばす。

チーフ、もう、ひとりで頑張らないでいいです。なにかあったら 及ばずながら 援護射撃致しますから。




トップ画像は、メイプル楓さんの
   「みんなのフォトギャラリー」です
   いつも有難う御座います🙂🙂🙂




©2023.6.1.山田えみこ

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