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国際金融制度改革の必要性9 ー 戦後経済体制 プラザ合意、同時多発テロ、経済戦争

第二次大戦後の戦争周期

さて、歴史的に言えば、ケネディの時代も含めて、第二次世界大戦後ずっと平和が続いていたかと言えばそんなことはなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン紛争、湾岸戦争、そしてアフガン・イラク戦争というアメリカやソ連が直接介入したものも、ほぼ十年間隔位で起こり続けていたし、一方で中東でも48年を皮切りに73年の第四次まで十年に満たない間隔で戦争が起こり続けた。中東戦争の方はニクソンショックとそれに引き続くオイルショックで一区切りが付き、その後主戦場はニクソンショックによってできあがった変動相場とオイルショックによって新たなもうけの可能性が出てきた原油をはじめとした商品市場という経済戦争に移ってきたのだと言える。つまり、中東で戦争が起こるにしても、産油地帯に近いペルシャ湾岸地域で定期的に戦争を起こせば、そのたびに石油市場が不安定化し、相場で利益が得られる、という事実が明らかになったのだ。だから、第四次中東戦争の後は、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、と湾岸イラクを中心としてほぼ10年周期で戦争が起きるようになっていったのだと言える。しかし、その帰結はすでに上で書いたとおりである。

プラザ合意のインパクト

そこで経済に目を移すと、第二次オイルショック後には、原油相場自体戦争は次第に織り込み済みとなり、なかなか動きづらくなってきた。そこで次に注目が集まるようになったのが為替であり、そのきっかけとなったのが85年のプラザ合意なのだと言える。上で述べたとおり、これ自体はオイルショックによってドルにペッグした原油価格が急上昇し、それが高いドルに引きずられて世界的な物価水準の上昇につながったと言うことで、政治的には避けられないことだったと言えるのかも知れない。しかしながら、本質的には、原油取引がドルベースで行われていた、と言うこと自体が問題であり、実需に基づいて各国通貨で個別に取引がなされていれば、そのようなグローバルインフレはそもそも起きなかったのである。いずれにしても、これによって実需ではなく政策合意によって相場が動くという前例ができ、政治、あるいは中央銀行の相場に対する影響力が大きく増すことになった。それは、国際経済体制が政治的思惑に従属するようになったと言う意味で非常に大きなことだった。貿易依存度の高いグローバル企業にとって為替変動は利益水準に直結する。それが政治的思惑によって定まるとなると、いやが上にも政治動向に関わらざるを得なくなる。それに対して民間ヘッジファンドがレバレッジを掛けたデリバティブ、特に先物による取引によって、現実に先行して相場を動かし、それで儲けるという新たな手法が、金融・IT技術の進化によって有効性を増してきた。つまり、政治的思惑を更に先物が主導することで、実需に基づく市場を完全に有名無実化することになったのだ。その実地のテストとなったのが東アジア通貨危機だったと言える。そんな政治的思惑、それに対する金融技術の発達で、一般の人には完全に手の届かないところでのマネーゲームによって日々の生活が直接影響を受けるという体制ができあがった、ということが同時多発テロにつながったのだと考えることもできそうだ。

同時多発テロ後の経済戦争

その後もテロとの戦いは継続中とはいえ、一応大規模な国家間紛争というのはイラク戦争を最後に影を潜め、代わりにポンド危機からアジア通貨危機に至り、最終的にはリーマンショックに象徴される経済戦争が主戦場になった画期としてこの同時多発テロを考えるべきなのかも知れない。見てきたように、経済戦争ははるかに不均衡なルールに基づいて、目に見える血は流れなくても、明らかに相対的貧困層を食い物にして金融資本が利益をむさぼるという、新奴隷制度の様相を帯びてきている。その経済的な抑圧感が2機が衝突した世界貿易センタービルに象徴されているといえる。

アメリカ政権交代の度に起こる大変動

実は、世界貿易センタービルに対するテロは今回が初めてではなく、1993年、その地下駐車場にて爆弾テロが発生している。これは、その二年前に起こった湾岸戦争に対するものだとも言われるが、実際にはクリントン政権誕生直後に起きている。それはケネディ政権誕生直後のピッグス湾事件に符合するようなものであり、その挑発に乗らなかったクリントンに対して、2001年の連続テロ事件に対してはCIA長官を務めたブッシュの息子であるブッシュジュニアは即座に反応して、テロとの戦いという全く新しい戦争のあり方を定義してしまったのだ。そのブッシュジュニア後に大統領となったオバマ就任に合わせるかのようにサブプライムローンが顕在化したことになる。このアメリカの政権交代に伴う事件の発生というのが、まさに為替相場が政治化したことで政治と経済が密着するようになった帰結の象徴的なものであると言える。プラザ合意後初の大統領選挙で勝ったブッシュ(父)は、就任初年度に冷戦終結という大きなギフトを得たのだが、結局それを使って新たな時代を開くことができず、91年の湾岸戦争という、従来通りの戦争による景気拡大という道を取ることしかできなかった。そこから、元々はケネディの時のピッグス湾事件に由来すると言える、大統領が替わった年に大きな変化が起きるということが慣例化してきたのだとも言える。オバマ後の2017年トランプ政権初年度は、大きな動きにはならなかったとは言え、世界各地で様々な混乱の萌芽が見られた年だった。それは、ブッシュ(父)の積み残した冷戦後の処理がまだ終わっていないことを意味しており、その点で、同じようにアメリカで政権交代が起こったこの2021年の夏というのは、良いにしろ悪いにしろ何か大きな画期となる可能性が高い。

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