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空っぽだった私の人生が満ちはじめるまで


私には理想の女性像があった。


自分にはコレがある!
と自信を持って言える仕事をしてて


会社勤めではなくて
自分でお金を生み出す経営者で
活躍していてたくさん稼いでいて



趣味に遊びに充実した日々を送ってて
たくさんの人に囲まれて、愛されて


色んな経験をしていて
面白くて、魅力的で、素敵な女性。


前向きで明るくて
いつも元気でハツラツしていて
女性にも男性にも人気があって


みんなから憧れられるような
なんか分からんけどとにかくスゴイ女。笑


子供の頃から、引っ込み思案で劣等感も強く
自分は惨めで恥ずべき存在だと思ってきた私は


素敵な自分になるには…
素敵な人生を歩むには…
と色んなことに挑戦してきた。


だけど、本当は気づいていた…


自分の人生はスッカラカンだってことに。


私には何かが欠けてることに。


海外で働こうが
バックパッカーだろうが
セラピスト歴12年だろうが
経営者だろうが



転職回数が多かろうが
友達が何人いようが
ピアノが弾けようが
踊りが踊れようが


英語が話せようが
仕事で評価されようが
人から褒められようが
年齢より若く見られようが


だから何!?って感じで
そこには中身がない気がしてならなった。


私は〇〇なタイプの人間です!
私は〇〇な事をしてきたスゴイ人間です!
と言いたいだけの外向きのパフォーマンス。


そこには何か大事なものが欠けていた。


私は嫌いな自分から逃げたくて
素敵な自分を追いかけていた。


自分という存在を
外側の何かしらに紐づけて大きく見せ
自分では素敵な私になったつもりでいた。


私にはコレがある!という
アイデンティティーにしがみつき
自分という存在を強化していた。


自分なんか価値のない人間だと思ってたから
何かにしがみつかないと生きていけなかった。


色んなことをやってみたけど
何をしても「コレじゃないな…」感があり
次々と彷徨うも何も見つからなかった。


素敵な毎日を過ごしてる風にうんざりし
何となく上手くいってる風に吐き気がし



ある時
私は本当は全然幸せではないと気づいた。


その時は心の底から絶望したけど
ようやく自分の不幸を認められた瞬間だった。


私は全然素敵じゃなかったんだ… !



私は全然幸せじゃなかったんだ… !


本当はもう随分と前から不幸だったんだ… !


素晴らしい気づきだった。


人生が充実してて、楽しそうで
幸せそうな、素敵な私を演じてたんだ…


心の中は苦しみでいっぱいだったのに
明るい顔して素敵な私をやっていたのだ。


素敵じゃない私を否定して
暗くて惨めな私を否定して
カッコ悪い私を否定して


私は世間的に…
いや、私が思う「素敵な女性」
という型にハマろうハマろうとしていたんだ。


素敵じゃなくてもいいや
暗くても惨めでもいいや
カッコ悪くてもいいや


素敵じゃない自分を否定しすぎて
素敵じゃない自分と対面せざるを得なくなり
私はようやく半分 × をしていた私を認めた。


そんなダサい自分を少しずつ受け入れると
素敵な自分になるためではなく
ただただ純粋な動機が湧いてきた。


何の価値もないかもしれないけど
なんかやってみたいかも… 
そんなトキメキ感のようなもの。


もう私は素敵な人間にならなくてもいい…
もう私はカッコイイ私にならなくてもいい…
もう私は上を目指さなくてもいい…


そう思えたら、心が優しい気持ちになり
私は私を愛することを知った気がした。


自分の半分に × を付け続けた人生から
自分の全てに◎をつける人生へ進み始めた。


私に何のアイデンティティがなくとも
私が私を愛してくれたなら
もう他に何もいらないと思えた。


スッカラカンの心が
ようやく満ちはじめたのだ。


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