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457.絶不調なので、楽しいことを書く その2 【こどもたち ~むすこ編~】

さて、むすこ。
 
11月11日(日)午後3時ごろ、むすめのインスタグラムのDMに、「ユニバーサルスタジオジャパンのスパイダーマンのアトラクション前の写真」を、唐突に送ってきたことに驚いたのは、現在のむすこの居住地が「広島」だからというだけではない。
 
ここ1週間の彼の行動が、すべて突然で、驚くことばかりだからだ。
まず、一週間前の11月5日(日)の朝8時すぎ。
家族ラインに夫から
 
「T(むすこの名前)が大阪に帰ってきてるよ」
 
とメッセージが入り、
 
(えっ。それなら、家族でごはんやん!)
 
とワクワクしたら、次の瞬間、
 
「今日は日本シリーズ見に行って、明日から4日間大阪勤務らしい。職場は堺筋本町で、ホテルは新大阪なので、もう家には来ないらしいが、まあ元気そうでした」
 
とびっくりするようなメッセージが入る。
 
(えっ 日本シリーズ? 大阪勤務? 4日間? なんで、ホテル? なんで、もっと前に知らせてくれないの!?) 
 
私:「きのう言ってくれたらよかったのにー」
夫:「昨日は飲みに行ってたそうです」
 
ということで、11月4日(土)の夜遅く、いきなり、玄関の鍵が開いて、帰ってきたとのこと。
 
むすこの部屋は、昨年の3月、広島に転居したときのままで、ベッドの布団もそのままだから、すぐに寝られる。
お風呂も自由に入れるし、下着も着替えもぜんぶある。
 
広島に引っ越ししたことなどなかったように、一緒に住んでいるときのように、ふらりと帰ってきて、詳しい説明もせず、夫もあまり詮索せず、干渉もせず、むすこは、のびのび、リラックスして、いつまでもグースカ寝ている、という状況のよう。
 
私は、子どもたちラブなので、顔がみたいし、いまからでも、飛んでいきたい気分だけど、11月に入ってから体調がよくなくて、3日(祝)の予定を、5日(日)の午前中に変更してもらったため、この日は、すぐに家を出なければならず、せっかく大阪に帰ってきたむすこに、(しかも、どうやら6日間も大阪にいるというのに!)、一瞬でも会えないなんて、悲しすぎるーーー! と思いながら、もっと早く予定を知らせてくれれば、なんとかできたのにと、夫にブツブツ文句を言ったのだけど、考えてみれば、24歳にもなって、親にあれこれ自分の状況を説明するはずもなく、気ままに独り暮らしをしているのに、家族にとりたてて会いたいと思うはずもなく、正しく親離れできていて、喜ばしい限りだと、思い直す。
 
その後のリサーチで、家は昼過ぎに出ること、観戦チケットは、大学の友達が取ってくれたことがわかる。
 
この日の試合は、日本シリーズの第7戦で、球場は京セラドーム。
優勝の瞬間に立ち会える可能性が高い、すごい試合だ。
 
私は、父が野球にあまり関心がない人だったので、野球を見るという習慣がなく、大人になってからも、ニュースで状況を把握している程度で、選手のこともよく知らない。
 
夫も、大阪人だから阪神を気にかけているけれど、球場に観戦に行くほど熱烈なファンではなく、そもそも野球をしないので、むすこは夫とキャッチボールをしたことがない。むすめも、野球には関心がない。
 
そんな環境で、なぜか、むすこは野球観戦が好きな子に育っている。
テレビの試合は、必ず観ていた。
 
夫が、
 
「あいつがいなくなって、そういえば、野球の試合をぜんぜん観なくなったな、と思って。Tがいるときは、いつもテレビがついていたから観てたけど」
 
と言っていたことを思い出し、ちょっと胸キュン。
 
リビングに流れるテレビ番組で、家族を思い出したり、不在を感じることって、「あるある」。
 
父は、相撲が好きだし、亡くなった母はスケートが好きだった。NHKの朝の連続ドラマも必ず観ていた。
むすこは、陸上をしていたので、お正月の箱根駅伝はずっと観ている。
むすめは、ずっとコナンくんが好きで、大人になった今でも、毎年映画を観に行っている。
 
アニメの長寿番組を見ると、子どもたちが小さかったころの情景が、絵巻物のように連なり、あどけない顔や声が浮かんでくる。
 
テレビ番組は、その前にいる人のたたずまいを連れてくる。
 
話がそれたけど、いつもは絶対に観ない野球の試合を、〈むすこが球場で観戦している〉というだけで、なんと、この私が、リアルタイムに最初から最後まで、かぶりつきで観てしまった。
 
しかも、家族ラインでチャットしながら!
 
まず、むすこに、どのあたりに座っているのかを教えてもらい(3塁側の上の方の席とのこと)、見えるはずがないけれど、テレビでそのあたりが映れば、探してみたり。
 
点が入れば、その感動を、すかさずチャット。
気になる選手がいれば、夫に質問。
家族はそれぞれ、別々の場所にいるのだけど、一緒に観戦している気分を味わっている。
 
夫は自宅のテレビで。私は実家のテレビで。むすこは、球場で。(むすめは、バイトで不在)
 
テレビで観ていても、連打連打で、次々に点が入ってすごかったので、球場は、どれほど盛り上がったことだろう。
しかも、日本シリーズ優勝!
その瞬間に、同じ場所にいる!
 
「球場で自撮りして写真を送って」と頼んだけど、試合中に家族ラインなど見るはずもなく、試合が終わってから、送ってくれた画像を見て、びっくり。
 
(沸き立つスタンド。観衆の波。〈阪神タイガースのユニフォーム〉で、満面の笑顔)
(え? ユニフォーム?)
 
ユニフォームを持っているほどのファンとは知らなかった! と思って尋ねたら、友達が借してくれたとのこと。
 
(いいねぇぇ~)
 
で、その日、むすこは新大阪のホテルに宿泊。翌日からは大阪支社で4日間勤務。
家から通えばいいのに、と思うけど、まったく、里心なし。ホームシックなし。
 
小さいころから、あれこれと心配なところが多々あったむすこで、どちらかというと、小学校までは、かまいすぎてしまった感があり、中学校からは、その反動で野放しにしてしまい、高校に入ったら(公立高校が不合格で、滑り止めに受けた私学のスパルタ進学校に進んだこともあり)、いろいろ出てきて、やっぱり野放しはダメだったかと気づくこともありつつ、もう母親としてではなく、人間として関わる年齢になっており、介護で離れて暮らすようになっていたこともあり、結果的に距離が置かれてよかったのか悪かったのか。大学生活を送ったむすこは、卒業して、就職して、その前後にいろいろあったので(→後述)、いきなり広島での社会人生活は、どうなることかと思うスタートだったけれど、会社での仕事ぶりはともかく、一人で生活ができ、楽しんでいるようなので、よかった。
 
研修なのか、応援なのか、なぜ大阪で4日間だけ勤務するのかについて、まったく情報がないままだけど、11月10日(金)は、広島支社に出勤したむすこ。
 
会社の人へのお土産をちゃんと買ったのかが気になり、尋ねたところ、「たこパティエにした~」と返信があったので(すぐに商品を検索した)、広島に戻ったはず。
 
それなのに、翌11日(土)に、ユニバーサルスタジオジャパンに出没とは!?
 
(1週間のうちに、大阪~広島を何往復しているの?)
(もしかして、10日(金)は有給で、大阪にずっといたの?)

 
ラインで質問しても、スルー。
返信があっても、単語。
私は、10個くらい知りたいことがあるのに、1個ずつしか答えてくれず、なんで、こんなやりとりになるのか? 3歳児でも3語文を話すだろう、と思いながら、根気よく幾つも繰り返した質問の回答を、つなぎあわせて、さらに確認した結果、むすこの行動は次のとおり。
 
・9日(木)の夜、広島に戻り、10日(金)は広島支社で勤務。
・11日(土)に、再びユニバーサルジャパンにやってきた。
・11日(土)は、ホテルに宿泊。
・このことは、突然ではなく、前から決まっていた。

 
(ところで、誰と?)
 
*****
 
なかなか返事が来ないので、さらに質問を繰り返すと、
 
「詳細は、N(むすめの名)に聴いてください(笑)」
 
というライン。
 
(えっ、Nに?)
(文末の(笑)ってなに?)

 
むすこの、にやけてほどけた表情が浮かぶ。
むすことむすめは、仲がいいのか悪いのかよくわからない関係で、親のわたしたちから見ると、どうみても二人は仲良しだと思うけど、それを言うと、むすめは嫌がる。
 
むすこは、そもそも、家族に対して、というより、人に対して、好きとかきらいとかのものさしは持っていない気がする。
人の悪口を言うのを聴いたことがない。
 
Nに聴いてということは、Nには話したということ。
 
むすめに訊いてもいいなら、最初から家族ラインで共有してくれればいいのに、と思いながら、さっそくむすめのラインにメッセージする。
 
すぐに返信があり、
 
「最近できた彼女さんやって。写真はこちら」
 
とのことで、なんと、写真まで。
 
(何が、むすこに起こっているのーーー!?)
 
大学の時の彼女の写真は、ついに見せてもらえなかったので、心境の変化に驚きつつ、むすめが転送してくれた、「彼女さん」の写真を拝見。
 
(かわいーーーっ)
 
というのが第一印象。
洋服もかわいくて、おしゃれしている感じがかわいくて、でも、次の瞬間、
 
 
(大柄な感じ、肩がいかつい、顔が大きめ、あごが気になる……)などなど、いったい何と比較しているのか、それがなにか?っていうようなことを、瞬時にチェックしている自分にびっくり。なんだこれ。
 
(長男の母親って、こういうものかもしれないから、ゆるしてね)
 
年齢も、学生なのか社会人なのかも不明だけど、広島の子だということ。
 
(来年の1月下旬には、東京に転勤することが決まっているのに、なんで、この時期に、広島の彼女つくるかな?)
 
と思うけど、そういう枠がはずれないから、私は、冒険のない半生を送っているのだろうな、と思う。
 
なにより、広島~大阪間を、何往復もしている、むすこのパワーに感涙。
 
というのも、赴任先が広島に決まったときは、前年の夏ごろからの原因不明の体調不良が治らず、入院検査をしても原因がわからず、胃の調子がよくなくて、食欲もなく、体重が8キロくらい減ってしまっていて、心配な状態だったうえ、3月には気胸が再発して、下旬に手術をしたので、広島での住居を決めるのも現地に行けず、4月上旬の東京での新入社員研修も受講できず、リモート参加で、とにかく、満身創痍でへろへろな感じだった。
 
やせてしまって、座るとおしりが痛いらしく、どこに行くのも携帯クッション(座布団?)を持っていて、電車の中でもそれを使っていたし、長時間の外出は無理という状況で、体力も筋力もなく、誰よりも早く動かなければいけない新入社員なのに、書類の箱ひとつ持てず、力仕事もできず、そもそも8時間、職場の椅子に座っていられるかどうかも、危ぶまれていて、夫とは、
 
(こんなので、仕事が務まるのだろうか?)
 
という状況だった。
 
胃の具合が改善せず、食事も、ほとんど取れなくて、スープやスムージーみたいなものを作って飲んだりしていた。
人生は、これからのほうが長いし、身体のほうが大事なので、どうしても辛かったら、無理せず辞めて養生したらいいと、夫と話していた。
30分間、電車に乗っているのもやっと……、という状態だったのだ。
 
ところが、いつのまにか、広島~大阪間を何往復もし、野球観戦したり、ユニバで遊んだりできる身体になっているのだから、すごい。
 
今年の夏、青春18切符で旅行したという話を聴いたとき、何時間でも電車に乗って楽しんでいること(身体の快復)に驚き、いったい、いつから、マイクッションなしで出歩けるようになったのか、長時間座っていても大丈夫になったのかを尋ね、
 
「去年の3月ごろは、おしりの骨が痛くてすわれなくて、30分乗るのもやっとだったのに、すごいね!」
 
と言うと、本人は、まったくその自覚も、感慨もなく、
 
「あ、ほんまや」
 
と、けろりとしている。
 
自覚がないくらい、すでに元気なので、よしよし。
ひとりの暮らしを、楽しんでいるようなので、よしよし。

広島の地には、脈々とあふれ続ける再生と復興のエネルギーが確かにあり、むすこの身心にも作用して、土地の力に助けられのだと感じる。
 
会社の方針で、最初の2年は日本各地のどこか(第4希望まで書けて、息子は第3希望の中国地方で広島)、次の2年は東京、その後は、おそらく能力に応じて、日本各地を退職するまで点々……という予定。
 
そんな生活、結婚や、家族が一緒に暮らすことを前提にすると、選択肢からはずれると思うのだけど、むすこは、何も考えていない感じ。
 
最初は否定の気持ちしかなかったけれど、むすこの人生だし、日本各地で住む機会があることは、彼にとってはいいのかもしれないし、むすこが飛んでいってくれることで、夫や私も、その地にご縁が生れ、訪れるきっかけになると思うと、生まれてから大阪から出たことがなく、何十年も同じところに住んでいる私たちの代わりに、むすこが羽ばたいてくれるのは、ご先祖様の願いかもしれないし、ありがたく、嬉しく、楽しみな気持ちになってくる。
 
数か月後に転勤が決まっているのに、恋愛を始めることも、私なら、きっと、セーブすると思うけど、そんなことにまったく頓弱のないむすこは、どうなるかわからない未来にしばられることなく、今を生きている。
 
いいか悪いかは別として、私は、いつも、先のことばかり考えて、今を選択していたと、ふりかえって思う。
 
今、やりたいことではなく、起こるかどうかもわからない遠い将来のために、やっておいたほうがよいと思われることばかり、やってきた。
子どもたちにも、それをあてはめてきたと思う。
 
(私にとって、何よりも大事なのは、安心と安全を平安だったから)
(私にとって、何よりも排除したいのは、それを阻むものだったから)

 
でも、突然、予想もつかないことが起きることを、私の人生に、毎日のように投げかけてくれた子どもたち。
子どもたちが持つ本質のエネルギーは、たくましくて、むすこにも、むすめにも、夫と私に似ているところを見出すことができない。
 
(この性格はどこから?)
 
と思うようなことばかり。
それが、やや心配でもあり、たのもしくもある。
 
ふりかえると、私が進んできた道の脇に、「選ばなかった、やりたいこと」が、きらきらしているのが見える。
それを、拾い集めに行こうと思う。
 
家族は、応援隊
 
浜田えみな


画像は、むすこが5年生の時に、社会科の授業で沖縄の勉強をして、図工の授業で作ったシーサー。体育館に設営された全校生徒の作品展で、たくさんのシーサーの中から、むすこのシーサーを見つけたとき。おもわず、しゃがみこんで、ひざまづいて、抱きしめそうになった。
 
(こんな笑顔のシーサーを創れる子は、きっと、しあわせにちがいない)。
(こんな笑顔で笑える子は、きっと、しあわせにちがいない)
(ありがとう。ふつつかな母親ですが)
(いつだって、わたしを許してくれるのは、子どもたちだ)
(いつだって、わたしの背中をおしてくれるのは、子どもたちだ)
 
と、思ったのだ。(当時のブログに書いてある)
 
この子の名前は、ぽっぷくん
命名はむすめで、今も、玄関でみんなを守ってくれている。
 
せっかくなので、【夫編】も書きますね。つづく。

その1


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