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フリーター、家を買う。

二宮和也主演のドラマ「フリーター、家を買う。」の再放送が始まった。

二宮演じる誠治は、大卒後入社した会社や世の中の理不尽さに馴染めず、3ヵ月で仕事を辞めてしまう。バイトを転々とするもうまくいかない中、「つなぎ」で始めた日給一万円の土木の仕事や仕事に携わる人々との関わりを通して、少しずつ成長していく社会派ドラマになっている。うつ病を発症した母親、何かと決めつけ怒鳴り散らす父親、子供の教育方針で姑や夫と意見が合わずストレスを抱える姉。家庭の状況は我が家とは全然違うが、仕事を辞めて、自分を見つめ直し新たな道を進むこと、そして「うつ」という精神的な病に関わること、この2点において、今の私と大きくシンクロするものがある。

第一話では、誠治が会社を辞め、バイトを転々し社会の中で漂流していく一方で、浅野温子演じる母親が、突然、自宅のキッチンで重度のうつ病を発症してしまう。

「ごめんなさい、ごめんなさい、今日も死ねませんでした」

身体を前後に揺らしながら、ずっとこの言葉を呪文のように呟く母…これを見て、ショックを受けない人などいないと思う。母を精神科へ連れて行くと、医者からは入院を勧められる。しかし、母自身は「家のこともあるので、入院だけは…」とか細い声で訴える。まともにやれる状態でないのは明らかなのに、母の中で強い責任感だけが生きている。

症状は違えど、構造的には身に覚えがあるので、自然と涙が滲んでしまう。すこし呼吸が荒くなり、ティッシュを取り出して涙を拭く自分にショックを受けた。

誠治と一緒に病院に付き添った姉はすでに結婚しており、埼玉で暮らしている。母のこともあり連日東京へやってくる姉を見た隣人は、「何かあったの?」と問いかけるが、姉は母を思ってか「何もありませんよ」と答える。

当の母は、隣人が視界に入った途端に足がすくみ、こわごわと下を向いてしまった。(この隣人がのちにストレスの大きな原因と分かるのだが、、、)

このシーンに至っては、同様の経験が頭をよぎり、胸が詰まるような思いと共に、ぼろぼろと涙が止まらなくなった。
ただし、悲しいとか、辛いとか、そういう言葉は出てこない。現にその相手とは、退職の時、普通に言葉を交わすことができたし、その時はこれで前に進めるとほっとしていた。
だから、なぜこのシーンでこうなってしまうのかは、よく分からない。


ともあれ、ドラマを見て、私が強く感じた事。

「あぁ、まだ私はストレスの原因の一つを自ら取り除いただけで、何も乗り越えていないのだな」

ガッカリはしない。でも、苦しければ、観ない方が良いのだと思う。
ただ、何かに気づかせてくれるような気がして、心が欲しているような気もして、とりあえず次回も録画予約をしておいた。


実は、このマガジンのタイトルは主題歌「果てない空」の一節をもじっている。

泥だらけの毎日だけど 今さら悩んだりはしない
(嵐/果てない空、2010年、J-Storm)

とにかくぱーっといこうぜ!というのはあまり好きではない。
かといって、聴けば聴くほど落ちていく音楽も、今は求めていない。

陰の部分を認め、受け入れて、前へ進もう。

今の私が欲しているもの、本当に必要なものを、彼らは発信し続けているから、追いかけているんだと思う。

このドラマが終わるまでに、次の道へ進めるだろうか。

明日ようやく、離職票が届く。
今度こそ、国保と年金の手続きをして、ハローワークに登録しなければ。

不器用な毎日だけど、今さら悩んだりはしない。

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