宇宙日記①

2024年はコロナが終息して海外へ行く人が増えた。私もインドのブッダガヤでブッダ巡礼と一か月半の瞑想コースへ参加させてもらった。私が参加させていただいたコースには日本人は一人もいなかったけれど、同時期、申し合わせたわけではないのに、ざっと数えて15名ほどの友人知人が広いインド各地に点在するセンターで瞑想の長期コースに参加していたという、インドイヤーでした。年齢層も幅広く30代から80代まで。

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円形の建物の入口を入るとすぐに地下へと続く階段がある。それを下りる。外はまだ肌寒い。玄関口も少しだけひんやりしている。地下に降りると少し暖かくなる。暖かさ故か身体が緩み場所への親しみが湧く。多くの人がここで瞑想してこられたのだろうそんなバイブレーションも相まって、ここで瞑想できそうだというささやかな確信のようなものが生まれる。ずっと高い位置にあいているまん丸の小窓から微かに光が差し込む。円形状につづく廊下に扉が左右にずらっと並んでいる。そのうちの一つ小さな個室をあてがわれた。これがいわゆるセル棟と呼ばれる瞑想個室。

個室の中央に青い布で覆われたクッションが一つある。ここで(あるいはホールで)一日12時間ほど瞑想をすることが45日間の日課となる。他の伝統では一日20時間瞑想する人たちもいるというから、さほど多いわけではないというようなことをコース後に話したロシア人が言っていた。全ては相対的なものみたいです。外からこの建物を眺めると中央に太い宮殿のような塔と周囲に8つの細い塔があり、夜になるとぴかぴかと光った。まるで地上に半分埋められている宇宙船のようだった。

今回、このコースを受けている我々多国籍のグループは、男女合わせて計50人ほど。インド人とは別の建物で日中瞑想し、夜はiPodを使い様々な言語で講話を聴く。初めて出会う多国籍の人々と毎日顔を合わすがコースが始まると先生とマネージャー以外とは一切話さず、無言でレッスンを受ける。考えみたら不思議な光景である。

時間について

長い瞑想コース中、毎日毎日同じ景色を見ていると、時間とは何かということに自然と思い至る。朝起きる、瞑想し、食堂へ行き、水を汲み、部屋に戻り、少し掃除や洗濯をする。ホールに戻り瞑想する。その繰り返し。

時間は存在するのか。今の答えは、おそらく普段我々が信じ捉えているようには存在しない…?そんな気がする。1, 2, 3数字はただの概念。そういった概念の世界(あるいは俗世の価値観)をするりと抜けて、精神の向上に優先順位を置く世界に移行すると、繊細な現実が見えてくる。戒律を守り欲や渇望に駆られて過ちを繰り返さないこと、盲目的にならないこと、一つのことに囚われないことを徹底することで、本当の意味で自分の生を前に進めることができるように思う。結局のところ、人は盲目的に欲や渇望に負けてしまっては同じ場所を延々と回ってるようだ。

ブッダの出家者への教えではProductionとReproduction(労働と生殖)を否定する。要するに無生産を徹底する。瞑想以外何もせず、毎日のルーティーンを徹底することで自分にとって真実の現実を浮き彫りにし、輪廻からの出口を慎重に見つける。そのような体験に思えた。コースを終えてみると、アコーディオンブックをぱたんと閉じるみたいに、それらの時間はどこか見えないところにいってしまったように感じた。


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