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こころの観察

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宇宙日記①

2024年はコロナが終息して海外へ行く人が増えた。私もインドのブッダガヤでブッダ巡礼と一か月半の瞑想コースへ参加させてもらった。私が参加させていただいたコースには日本人は一人もいなかったけれど、同時期、申し合わせたわけではないのに、ざっと数えて15名ほどの友人知人が広いインド各地に点在するセンターで瞑想の長期コースに参加していたという、インドイヤーでした。年齢層も幅広く30代から80代まで。 * 円形の建物の入口を入るとすぐに地下へと続く階段がある。それを下りる。外はまだ肌

    • 海をみながら| 瞑想のこと 書けるだけ② Observing ocean| As mush as I could write about meditation ②

      (続き) このような気持ちのよい景色の場所なのにふと、ここにいたいわけではないという観念が生じる。次に、どこにも存在したいなんていう場所はないと思うに至る。そう思ってなんだか拠り所のなさ、あるいは絶望感のような普段では気づかないくらいの繊細な苦しみを心に感じる。 このことを瞑想の友人に話すと、このような回答を得た。「その絶望感は無知がどこかにあるからじゃないですか?」つまりは無常、無我、苦に対する無知がある、ということだ。 ブッダの教えの実践では、これら無常・無我・苦の

      • 海をみながら| 瞑想のこと 書けるだけ① Observing ocean| As mush as I could write about meditation①

        (2023年12月) つまるところ日々私たちがしていることは自身の欲と向き合うことだと、ふと冬海沿いの道を運転しながら思った。瞑想センター長期滞在が終わり日常に戻りつつある日のこと。 環境、人、全てに恵まれたことに、その瞑想センターでは何も求める必要のないとても高い幸福感を感じていた。それは本当の意味で心に平穏を育ませてくれるものだった。その状態から、物や情報であふれかえ、渇望と嫌悪をかきたてられ、右往左往に選択を迫られる世界に再び舞い戻ってきた。 何をしたい?何を食べ

        • インド滞在後の変化など |Some changes after visiting India

          (2023年 夏) 初めてのインド滞在で瞑想の長めのコースを受けて戻ってきてからも、しばらく繊細な日々が続いていた。 昨年、越してきたばかりの熊野の古民家で静かに過ごした。山に囲まれ澄んだ川が流れている。人と話すとすぐに疲れてしまうので、ほとんど家で過ごした。本を読み、瞑想をし、疲れたら横になった。庭には出発前に植えた夏野菜や薬味(大葉やエゴマやパクチー)がなっており、一度スーパーに行くと2週間ほどは外出しなくても食べ物に困らないこの環境はとてもありがたかった。ベーグルや

        宇宙日記①

        • 海をみながら| 瞑想のこと 書けるだけ② Observing ocean| As mush as I could write about meditation ②

        • 海をみながら| 瞑想のこと 書けるだけ① Observing ocean| As mush as I could write about meditation①

        • インド滞在後の変化など |Some changes after visiting India

          書くこと |To write

          心の奥底に書きたいという希求を感じる。そしてそうすることの恐怖を同時に感じる。いやがっている。観察する。 どのような言葉で他者と理解しあえるのかが分からなくなるほどに、自分の身に起こっているできごとを伝えることが20代後半から難しくなっていった。現在は30代後半なので10年近く。2007年21歳から断続的に住んだアメリカから地元の関西へ29歳の時に完全帰国し、その時点でもはや地元の方々から価値観は随分遠のいていた。それまで居させてもらった世界や価値観について理解されることへ

          書くこと |To write