書くこと |To write

心の奥底に書きたいという希求を感じる。そしてそうすることの恐怖を同時に感じる。いやがっている。観察する。

どのような言葉で他者と理解しあえるのかが分からなくなるほどに、自分の身に起こっているできごとを伝えることが20代後半から難しくなっていった。現在は30代後半なので10年近く。2007年21歳から断続的に住んだアメリカから地元の関西へ29歳の時に完全帰国し、その時点でもはや新しく会う方々から価値観は随分遠のいていた。それまで居させてもらった世界や価値観について理解されることへの諦めが次第に募っていき、自然と言わないことが最善の策となった。

幸運なことに31歳の時に瞑想に出会った。確かな招待を受けた感じだった。それは ‘物事をあるがままに見る’ という意のブッダが再発見したとされる瞑想法で自己観察によって心の浄化を行うプラクティスである。2017年に初めてコースを受けてから、これまで6年間程、自分なりに集中して修練を行い、今ではロングコースを受けさせてもらうようになった。すばらしい指導者や先輩に恵まれて、いいコースを走らせてもらったという感じで、全てが自然な流れだった。思い返すと6年は長かったのか、それとも短かかったのかは判断がつかない。どちらかというとちょっと駆け抜けた感はあります。

いうまでもなく周りとの価値観の乖離にさらに拍車がかかったけど、この教えに出会うために色々な出来事があったように思うほど必然に思える。今ではそう全肯定できるけど、始めたばかりの時は心もとなかった。思い返してみて思うのは、若いときの自分が「あなたと私は違うのだ」という言葉を他者に素直に言うことができたなら、少しは楽だったかもしれない。これは同調圧力に弱い繊細さんやHSPの方に自分を守る言葉としてお守り的に持ってもらえるといいのかもしれない。

それから田舎の山間部へ引っ越した。繊細になっていく心にとってその方が良かった。ずいぶん様変わりしたものの人間関係も良好で、コミュニケーション能力は帰国直後と比べたら、ずっと良くなってきた。ただどこかこの世界にいないというような感覚が帰国してから何年たっても常にあった。古くからの心優しい友人たちは、いろいろな変化に対してあれこれ深掘りしたり反対することもなく、そっとしていてくれた。後から気づいたことは、変容していくことに反対していたのはわたしをコントロールしたい人だった。見極めはとてもむずかしい。

理解というのは、個人の積極的な努力によってのみ得られる。それをしてこなかった。心身ともにきついと感じる状況下では、理解を得ることよりも静かにいることの方が優先すべきことと感じられたし、そうする意味もよく分からなかった。そのツケが30代後半この書くことへの希求という衝動の形で廻ってきた気がする。どこまでも素直に書きたいと思う。


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