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華を磨く

最近、にわか金田ファンとしてYouTubeを見まくる中で
“華”について考える機会を得た。

あっちゃんの話の説得力なのか、
納得感がすごい。
金田には華がある。わかる。
今ハマってるからよくわかる(笑)

華とは、あっちゃんいわく、
造形の美しさだけじゃなくて
内面の明るさとか健やかさも関わってくる、とのこと。
そして、華は努力では手に入れられないけれど、
努力しないと枯れる、らしい。
心が濁っていったり、生活が荒んだりすると枯れる、らしい。

私にも、華がある。
私なりの華。たぶん。
そう思うのは、前に営業の仕事をしてた時、
私はどうやら印象的なタイプなんだなと思うことが度々あったから。
前に担当していたお客さんが私のことを良く言ってたよとか、
また担当して欲しいとか、
ずいぶん前に少しの間しか担当してないのに覚えてるとか
間接的に聞いたり、直接言われたこともあった。
いろんな要素があるから一概に言えないけれど、
身振り手振りが多いし、
声が通るし、
話好きで口数多いし、
なんか妙に一生懸命だし、
そういう所などが印象的なのかなぁと、あくまで自己判断。
それは私としてはちょっと苦々しい部分でもあるけれど。。
なんか恥ずかしいというか、、スマートじゃないし
そんな風に見せたくないけど、
そのようにしかできなくて、あーあ、、みたいな。

あれから時間が経ち、
その後の人生での似た事例も含めて改めて考えると
何か、人を惹きつける何かが、
きっと私にもある、、のだろうと思う。
そう信じたいだけっていうエゴは脇に置いての話💦
たぶん誰しもが、何かを持ってるはず。
その何かが“華のようなもの”だろうと。
金田のような“スター性”っていう意味だけじゃなくて、
人それぞれの華、私だけの華。
SMAPの曲みたいな話になっちゃいましたが。。

さらにあっちゃんは、
持つものは神に感謝しなくちゃいけないとも言っていた。
持って生まれて、磨いてきて、評価されるんだったら
走らなきゃいけない、と。
それが自分の定めってことなんだろうね。
私も、感謝して、私なりの華を磨き続けなくてはいけない。


“心が濁ると華は枯れる”と言ったあっちゃんの言葉に思い当たる節がある。

私の華は、この10年、不安定だった。
心が濁ったことをきっかけに、枯れかけていたように思う。
ようやくこの数年で回復してきた。
言葉にするのは難しい。
自分と社会の適応の中で、渦に巻き込まれていったような感じ。
違和感を感じながらも、抜け出せなくて、もがいていた。
なぜ渦に巻き込まれたのかを今考えてもわからない。
あの時は必然だった。
結局は、いろんなもの、、特に自尊心を失った。
それからは、なかなか調子が戻らなかった。
人付き合いになるべく壁を作り、やたら保守的になった。
保守的なこと自体はおかしくない。
だけど、私としては、それは自分を守るためのことで、
内にこもる意識でそう行動していた。
端的に言えば、私らしくないこと。
私らしくないことをしている私の華は、不安定だった。

きっと私はあの頃、心が濁っていた。
心が濁ると自尊心が弱くなり、
自分が自分じゃないみたいに心ここにあらずになったことで、
華が不安定になったのかもしれない。

とにかく、“心が濁る”という言葉にハッとした。
思い当たるなぁと受け入れながらも、
全面的に受け入れるには
まだ過去を素直に捉えられてないからか、戸惑いはある。
でも、約10年の紆余曲折を経て、
確実にクリーニングされてきたとも思えてる。
睡眠や食事に気をつけて、
何事も無理はせず生活を正して、
自分に心に忠実に、真面目に、粛々と。
周りからはそれほど気付かれてないかもしれないけど、
私としては一回身を潜めて、
華を引っ込めて、力をためる。
そういう時期だった。
私に必要な時期だった。
そうして最近、心の落ち着きとともに
エネルギーが湧いてきたことにふと気付いた。
本来の私の華が自然に光を取り戻してきた。
そう思ってる。

あともう少しかな。

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