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つれづれ!『光る君へ』第17回

先日の『光る君へ』のあとの時間、『古典対話』をいたしまして、大変面白かったです!
清少納言と『枕草子』の人気がすごかったです。
清少納言は草葉の陰で喜んでいることでしょう。なぜって、「ここに素晴らしいものがあったの!!」ということを全身全霊で書いたものが『枕草子』だと私は思っているので。

さて、今回の『光る君へ』の感想行きましょう。

道隆さま熱演でした!!伊周に、関白を!!!!と言っていましたが、ほんと、お父さん長生きしないと息子に政権を移譲できないのよ…(そこでいうと兼家は長生きだったし、出世が遅いとはいえ息子もじゅうぶん成人していたし、なにせ孫が入内していたし。一条天皇に入内したのは定子だけだったし(定子強力すぎて、他の貴族は入内させなかった。)いろんな意味で安泰でしたよね)
そんなこんなで道隆さんは自分の基盤がぜい弱だから、(妻実家)高階さんち一家を出世させましたけれど、それも反発を受けていましたね。
高階さんちは受領階級(中流貴族→為時さんちよりちょっと上)でしたから、高階に官位を与えるとあぶれる人がいるわけで・・・いつの時代も人事は恨みを買いやすい、というやつか。
道長はその点でも「金があってうざくない婚家」があってよかったよね…。
それにしても、あんな妄執(道長はまっとう)みたいな対比は『枕草子』ファンとしては悲しいよね。
ていうか、自分(道長)もそうなるじゃんね!!(ちょっとぷんぷん)
因果は巡る糸車ってやつが描かれるんかな。
そして、このあとの中関白家の悲惨な行く末を決める伊周の恋。その恋は伊周を滅ぼすのだなあ。
ここからの中関白家の落ちぶれ具合は当時の貴族の中でも大変有名すぎるし、一条天皇と定子の恋愛とその結末も知っていて、それは『源氏物語』にも十二分に生かされていますよね。
だからこそ、紫式部日記の清少納言評も「こんなふうに書くなんて(どうなんだろう)」ともなるのでしょう。『枕草子』はすでに流布されていました。それはもう真剣に流行らせたでしょうからね。清少納言は。
その狙いも知っていて紫式部は苦虫をかみつぶしたみたいな評論をしていたんだと思います。
清少納言も当然のこととして『源氏物語』は読んでいたのでしょうが、それについてどこかに残したり、日記なども残っていないので、どういう感想を持っていたのだろうか、と思います。
紫式部はあとから宮中に入ったものとして、「以前こんな知識人がいた」と話題になったでしょうし、それこそ比較対象されていたことでしょう。
比べられる方はたまったもんじゃないよね。

というか、なんでもめちゃくちゃ噂になるせまいせまい社会ですから、知らないわけないですよね。

来週には花山院再登場かしら。

それにしても、娘が子を授かることで権力が維持されるって、ほんと脆弱なシステムですよね。
実際、道長(史実)のように
本人は官位が高く→位の高い妻が娘を産み→娘を入内させ→その娘が男児を産み→その子が天皇になり→じぶんが摂政(全権委任)というサイクルがきちんと確立できたのは、道長とあともうひとりしかいない。摂関政治ってやつは、です。

まひろパートではさわさんが仲直りに来ていました。庶民の子に字をおしえていたまひろですが、疫病でなくなってしまったので…代わりにさわさんが登場ってこと?
いやまさかそのために登場したわけではあるまい…
さわさんが字の練習をしていたということですが、もしさわさんが紫式部が歌を贈りあっている紫式部集でおなじみの友だちだとしたら、字は書けたし、教養もそこそこあったであろうと思われます。
この体験を経て、文字や歌、文章に対する概念が変わるのかな。(もともとなみなみならぬ思い入れはありましたけれどね)
この頃、和漢朗詠集なんかも書かれて、和様の書がとてももてはやされていました。
『枕草子』の中に、行成の書を求めてすごくお願いした話なんかもあるほど。紫式部は『源氏物語』に自分の美学?と思われるものを数多く入れていて、そのなかに「手」(文字)についてもあれこれ論評しています。
「末摘花」から見てみましょう。なかなか訪ねてこない源氏を末摘花が女房達に言われてせっつくお手紙ですが、それにはこんなふうに書いてあります。
「紫の紙の、年経にければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下ひとしく 書いたまへり。」

紫色の紙なんだけど、経年劣化で色あせて古くなった紙に、強めにぐいぐい「中さだ」つまり、昔風の字を上下そろえて書いていた。と。
紫式部は「昔風の字」が嫌いなところがあります。
このちょっと前は上下をきっちりそろえて書いていたのですが、行成の書を見ると柔らかい遊びがあるんで、そういうのがいいよね、と言っています。
「梅枝」の巻では、もっと厚かましく(ちがった!)女性の文字についてあれこれ注文を付けています。
長いので、ざっくりいうと、昔より今はすべてのものが劣るけれど、かな文字だけは急激に発展している。古い時代の字はきちんとしているが、遊びがない。変化をつけることがセンスであると。藤壺、六条御息所、朧月夜、朝顔、そして紫の上を絶賛しています。(紫の上に字をおしえたのは自分)
お手本があって、それをまねることで字を練習をするのですが、その字が「今風であればあるほどいい」といった感じです。
字についてはほかにも「帚木」の雨夜の品定めの段でもあれこれ言っていますが、「才気走って見栄をはった書き方はダメ。漢字が多いのは教養があっても妻としての資質に欠ける」と。

どうも、漢字を使いすぎるのはダメみたいです。
紫式部の文字論的には
散らし書きがイイ感じである、かな文字多め。筆跡が強すぎも弱すぎもダメ。ようはバランス。あ、墨の継ぎ方、墨の濃淡にもセンスがあるから思いが伝わるところでよろしくね!あと、TPOをイイ感じに守り、紙の質、色、様式にもこだわれ、見栄っ張りはよくないが、才気は必要。
注文多すぎであります。

あれれ?おかしいぞ~??
まひろは道長に漢詩の一節を送っていましたねえ。


それはそれでおもしろいと思うのだけど。彰子に教える前に最初にさわさんに教えてそのおかげで人生が変わったりしたら、面白いですね!!


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