【アルスター物語群】Luaineへの求婚とAthirneの死【和訳】

 ディアドラにおけるマナナン要素


 アイルランドの三大悲話(物語の三つの悲しみ)の一つ『ウシュネの子らの最期』は、ヒロイン・ディアドラ(デアドラ)とその思い人ノイシュ(ナイシ、ネーシ)の悲恋を描いた物語である。

 これは「ディアドラ」伝承の一形態であり、この二人の物語には様々なバリエーションが存在する。
 佐野哲郎氏の『デアドラの物語 : アイルランド伝説の一側面』(1977)いわく、「ディアドラ」の物語としては『ウシュネの子らの放浪((Longas mac nUislenn)』が八~九世紀頃、『ウシュネの子らの最期』は十五世紀頃のものらしい。(p.3)
 それぞれの物語におけるノイシュの最期は『~放浪』が「槍で身体を貫かれる」、『~最期』が「捕らえられて兄弟と共に首を刎ねられる」となっている。前者はあまりにも無情な死であり、後者はそこがクライマックスというのもあってか言及も充実している。
 
 さて、『ウシュネの子らの最期』の、ノイシュを含めたウシュネの三兄弟が処刑される場面において、唐突に登場するマナナンの剣がある。

 そこにはConchobarと共に、ノルウェー王の子、赤手のMaineという若者がいた。(1) 彼は、Naisiが彼の父と二人の兄を殺したので、その復讐として、みずからUsnachの子らの首を刎ねる用意はできている、と言った。
「ならば」とArdanが言った。「(兄弟が死ぬのを見ずにすむよう)兄弟の中で一番若い私を最初に死なせてください」
「いいえ」とAinleは言った、「私を最初に殺してください」
「そうはさせない」とNaisiは言った「見よ、マナン・マク・リールの剣を。彼みずから私に与えたものだ。これは斬撃や打撃の痕跡を残さない。我ら三人、その剣で一撃されよう。そうすれば、誰も兄弟の首が飛ぶのを見ることはない」 すると、この三人の高貴な者は、一つの台の上に首を伸ばした。そしてMaineは彼らに剣を振り下ろして、その場で三人の首を一撃で刎ねたのである。
 
※1 他の説では、Usnachの子供たちを殺したのはDurthachtの息子Eoganであるという。

The Cuchullin Saga in Irish Literature: being a collection of stories relating to the Hero Cuchullin
by Eleanor HULL
1898

「マナナンみずからノイシュに与えた切れ味抜群の剣」らしい。
 この剣がいつ、どうやってノイシュに与えられたかの説明はない。というかマナナンの名前が出てくるのもここが最初で最後のようである。
 もっとも、マナナンはドラえもんのごとく、物語に必要な魔法ひみつ道具を提供してくれるデウスエクスマキナ(=ご都合主義)的な扱われ方をされる時もあるので、単なる「すごい剣」に箔をつけるためだけのマナナン形容詞的な働きをしているだけかもしれないが。
 
 とはいえ、ノイシュとマナナンに「みずから渡した」と言えるだけの関係性が本当にあったのかどうかは気になるところ。しかしディアドラ本編にそのような記述は見当たらない。
 近代の作家による作品には入手場面を描いたものもあるが、中には「ある夜、ノイシュが目覚めると天幕の外の草地に月光のごとく輝く剣が突き刺さっていた(※要約)」(Robert Dwyer Joyceの『Deirdré』(1876)p.107)という、雑にも程があるし、手渡しですらない作品もある(ただしこの作中では手渡し言及がないので一応整合性はとれている)
 
 できれば一次資料でノイシュとマナナンの関係性について言及した資料が欲しい・・・。と思っていたところ、O’Curryが『the Atlantis』第三巻で『ウシュネの子らの最期』を取り扱った際に、その後日譚にあたる物語について言及しており、そこにマナナンの名が出てくることがわかった。
 ようやく本題に入ろう。今回掲載する和訳は、このディアドラ後日譚とされる『THE WOOING OF LUAINE AND DEATH OF ATHIRNE(Luaineへの求婚とAthirneの死)』である。

■概要

 この話の前に、『ディアドラ』のあらすじも書いたほうが良いだろう。
 
 アルスターの王コンホヴァルの妻となるべく育てられたディアドラであったが、ウシュネの息子ノイシュを思い人として選び、ノイシュとその兄弟二人(と家臣ら)と共にアイルランドを出奔し、アルバ(スコットランド)へ逃亡する。
 やがて家臣から諫められたコンホヴァル王はディアドラとノイシュら三兄弟を許し、帰国をすすめるが、これは罠であった。
 帰還したノイシュら三兄弟は死に、ディアドラはその哀しみのうちに亡くなる。
(ちなみに、彼らを故郷まで護送するも、同じく罠にはめられて護衛を完遂できなかったフェルグスが、このことでアルスターを見限りコナハト側について、後日『クアルンゲの牛追い』でクーフーリンらと敵対することになる)
 
 以上が「ディアドラ」のあらましである。バージョンによって細部は異なるが、だいたいこんな流れになる。
 
 その後日談となるのが「Luaineへの求婚とAthirneの死」なのだが、こちらのあらすじは以下。
 
 コンホヴァル王はディアドラの死によって悲しみに沈んでしまった。
 これをみたアルスターの英傑たちは、新たな妻を娶ることを勧める。
 そこで白羽の矢が立ったのがLuaineという娘であった。
 娘の父親も承諾し、王と彼女は婚約する。
 しかし王の詩人Athirneとその息子たちが彼女に横恋慕し、Luaineから拒絶されると風刺によって彼女を辱め、その不名誉と恥辱のあまり彼女は死んでしまった。
 Luaineの死により、コンホヴァル王とアルスターの英傑たちはAthirneへの報復を決め、詩人とその一族を滅ぼした。
 
 話の本筋はこのような流れだが、肝心のマナナンについては余談パートにて登場している。

■出典

 今回の和訳に使用したテクストは、1903年の『Revue celtique 24』に掲載された、Whitley Stokesによる英訳である。
 さらにその底本については、「14世紀頃に書かれた『Lecanの黄書』と『Ballymoteの書』から引用している」(p.270)とされている。
 
 なおStokesは物語中に挿入される詩を大胆に省略しているため、その部分については和訳できていない。(「96行ぶん省きました」とかしれっと書いているし、そのうち省略した行数や省略したこと自体についてもだんだん書かなくなっていく)
 

■和訳

Revue celtique』 vol.24(1903)pp.270–287
Whitley Stokesによる英訳からの重訳。

Conchobar :アルスター王
Luaine:Conchobar王の新たな妻として見出された娘
 
Athirne:宮廷詩人
 
Domanchen:Luaineの父親
Bé-guba:Luaineの母親
 
Derdriu:Conchobar王の妻となるべく育てられた娘。故人
Náisi:Derdriuの思い人。故人
AnnliArdan:Náisiの弟二人。故人
 
Manannán:マン島と島々の王
Gaiar:NáisiとDerdriuの息子
 

THE WOOING OF LUAINE AND THE DEATH OF ATHIRNE
Luaineへの求婚とAthirneの死」 

1.
 Derdriuの死後、Conchobar mac Nessaは哀しみ嘆き、この上もなく打ちひしがれていた。音楽も、光明も、美も、喜びも、彼の魂を慰めるものはこの世になく、絶えず悲嘆に暮れていた。
 アルスターの英傑たちは、彼からDerdriuの哀しみを取り除いてくれる、王や領主の娘が見つかるかもしれぬと、彼にエリン各地を探すよう進言した。
 彼はそれに同意した。

2.
 二人の使者が彼のもとへ連れてこられた。AeとAdarcの娘Labarchamと、Uangamainの娘Lebarcham Rannachである。
 その使者の姿は実に恐ろしく身の毛もよだつものだった・・・。
 
※ここでは96行の頭韻的十一音節詩を省略する。各行は語末第三音節にアクセントがつく三音節で終わり、Conchobarの二人の女使者について描写している。

3.
 それから二人の使者はエリンの砦や大きな町を探したが、Conchobarの哀しみを癒すことのできる未婚の女性は見つからなかった。
 さて、AeとAdarcの娘Lebarchamは、当のアルスター地方でDegaの子Domanchenの邸宅に偶然訪れ、そこで愛らしく、巻き毛で、色白く、その時代の世の女性たちに優る乙女、Domanchennの娘Luaineを目にした。
 Lebarchamはその娘が誰なのか尋ねた。
 彼らは「Degaの子息Domanchennの娘です」と答えた。
 Lebarchamは、Luaineを見つけるべく自分を送り出したのはConchobarであると言った。彼女は、見目も分別も器用さも、Derdriuの立ち居振る舞いを身に着けたアイルランド唯一の女性であったからである。
 父親は「それは良きかな」と言い、彼女にふさわしき結納金を支払うことを条件に承諾した。

4.
 伝令はConchobarの待つところへ戻り、その娘の報せを彼に告げた。彼女曰く「私はそこで乙女を見て・・・」
 
「気品ある美しさ、婚姻にふさわしい、黄色い髪の、などなど(※)」
 
※1:ここでは、修辞的な約15行(ほとんどが三音節で終わる十一音節詩)を省略する。そこではLuaineが伝説の美女と結び付けられ、Clothru、AilillとMedbの娘Sadb、Emer、Medb、Mugaineと比較されている。

(※和訳注
Clothru:Medbの姉妹
Sadb:『ブリクリウの饗宴』でコナル・ケルナッハの傍にいった王女
Emer:クーフーリンの妻
Medb:ご存知コナハト女王
Mugaine:コンホヴァルの妃ムーアンだと思われる。この物語において彼女がどうなっているのかは不明だが、ディアドラの後日譚にあたることから、かなり前から不在なのだろうか)

5.
 彼の脳(?)は少女への愛で満ち溢れ、自ら赴いて、その目で彼女をはっきりと見ずにはいられなかった。
 そして乙女を見てからは、少女への永の愛に満たされぬ骨は彼の中に一寸たりともなかった。
 その後、彼女は彼と婚約し、乙女への結納金は彼に縛り付けられて、再びEmainへと彼は戻っていった。

6.
 マン島と異国人の島の王、Athgnoの子Manannánが大艦隊を率いて襲来し、アルスターに被害をもたらしてUisnechの子らの復讐をせんとしたのはこの時である。このMnannánは彼らの友であり、NáisiとDerdriuの子ら、すなわち息子Gaiarと娘Áib-gréneの養父だったからである。

7.
(※和訳注:歴史上に)Manannánは四人いたが、同時期にはいなかった。
 
 Allotの子Manannánはトゥアハ・デ・ダナンの素晴らしき魔術師であり、トゥアハ・デ・ダナンの時代には彼がそうであった。
 現在ではOrbsenが彼の正式な名前である。
 これはArran(彼に由来してEmain Ablachはそう呼ばれている)に居を構えていたManannánであり、コナハトの王権を争っていた銀腕のNuadaの子Caitherの子である赤眉のUillennに、Cuillennの戦いで殺されたのが彼である。
 そして彼の墓が掘られた際、Loch n-Oirbsen(※2)が地下から湧き出したので、最初のManannánたる彼にちなんでLoch n-Oirbsenと名付けられたのである(※3)
 
※2:現在のゴールウェイ県のコリブ湖。
 ※3:『dindsenchas(Rev. Celt., XVI, 276)』、およびこのManannánについては『Rev. Celt. XVI(143)』を参照。

8.
 Cerpの子Manannánは、マン島と島々の王である。
 彼はEtirscélの子Conaire(※4)の御代に、Conall Collamair(Conaireの養子)の娘Tuagと婚約し、彼女にちなんでTuag Inberと名付けられた(※1)
 
 ※4:『Bruden Dá Derga』(Rev. Celt., XXII, pp. 20以下)参照。
 ※1:『dindsenchas』(Rev. Celt., XVI, 150)参照。

9.
≪海の子≫Manannan、すなわちエリンとアルバとマン島の間で交易を行った有名な商人である。
 彼は魔術師でもあり、アイルランドを頻繁に行き来する最高の水先案内人であった。
 彼はまた、天の科学(すなわち大気を観察すること)によって好天や嵐の来るタイミングを知ることができ、Manannanは『dea en(?)』と名付けられ、et ideo 等・・・。
 
※ここのラテン語は非常に不正確であり、修正することができない。『Cormacの用語集』(s.v. Manannan)を参照。

※和訳注:ゲール文字原文にはラテン語文部分があるのだが英訳されていない。
 英文の末尾のあたりからラテン語訳を諦めているのかもしれず、dea en以降の和訳は不可能の可能性がある。
 また、ゲール文字原文では≪son of the sea≫の部分は「mac lir」である。

10.
 Athgnoの子Manannánは四人目のManannánである。
 Uishnechの子らの仇を討つべく大艦隊を率いて到来したのは彼であり、彼らをアルバで支えたのも彼である。
 アルバにUishnechの子らがいたのは16年であり、彼らはSlamannan(※2)からアルバの北部まで征服した。そしてMorgannの子Gnathalの三人の子ら(Iatach、Triatach、硬き手のMani)をその領地から放逐したのは彼らである。その地を治めていたのが彼らの父であり、それを殺したのがUisnechの子らであったからだ。
 ゆえに三人はConchobarのもとへ亡命し、Durthachtの子Eoganの代理としてUisnechの三人の子らを殺したのは彼らである」
 
 ※2:『Celt., XXIV(p. 42, note 1)』参照。Slamannan(Sliab Manann)は「Stirlingshireの南東にある」小教区である(Reeves)
 ※3:『Ir. Texte I(76)』参照。ここではEoganによる殺害となっている。『 Ir. Texte II2 (143, 170)』では殺害者は赤手のMaineと呼ばれている。

11.
 ゆえにManannánはアルスターを大いに略奪することになった。
 アルスターの男たちはManannánに戦いを挑むべく集結した。
 彼らは、ConchobarがNáisiの子らと対決するという試練は良くないと言った。
 彼ら(アルスターの男たち)とManannánとの間に和平の動きがあり、Náisiの子Gaiarの養育者である詩人Bobaránが、和平と返答のために送り込まれた。
 そこでBobaránは言った。
 
「高名なるNáisiの息Gaiarは、偉大にして正統なるManannanの養子であり、それゆえこの国を襲うべく来たれり、等々・・・」

(和訳注:ここで省略されている詩は、O’Curryが『the Atlantis』第三巻で転写と英訳を掲載している。後述の解説を参照)

12.
 そして(Conchobarと)Manannánとの間に和平が結ばれ、Conchobarと友好を結んだ。アルスター領主たちの望みにより、Gaiarに父の代償が与えられ、あとの二人(AnnliとArdan)についてはConchobarの名誉に反するものとして残された。
 Liathmaine(※1)のカントレッド(小県)がGaiarの土地として与えられたが、それはこの地がDubthach Chafertongueのものであり、彼は(当時)Fergusと共にアルスターと抗争状態にあったからである。
 そして彼らは平和裏に別れ、以後は友となった。
 
※1:Liathmuine i n-Ultaib(『赤牛の書』39b)、これはネイ湖の湖底となったようである。『dindsenchas』(Rev. Celt., XVI, 153)と『Tigernach』(同 413)を参照。

※和訳注:
 Gaiarの父ノイシュの代償は支払われたが、その弟二人の死については和訳に不安がある。
 英訳の「 and the two others, Annli and Ardan, were left against Conchobar's honour.」をそのまま訳せば「後の二人、AnnliとArdanは、Conchobarの名誉に反して残された」となり、ノイシュの死の代償エリックは支払われたが、その弟二人の死については王の不名誉としてそのままになった、といった感じになるか?
「left」の解釈に迷いがあり、これが「名誉に反して残された(不名誉になった)」なのか「名誉に対して解放された(不名誉ではなくなった)」なのかで意味が180度変わってくる。
 状況的に、弟二人分の代償を支払っていないのであれば、不名誉な状態はそのままとなるのが自然に思える。
 しかし省略された詩と比較すると、それでもなお判断に迷う。後述の解説を参照。

13.
 一方、Luaineの行いについては、ここで聞くことになる。

14.
 執拗なるAthirne(※2)とその息子二人(CuindgedachとApartach)は、Conchobarと乙女の婚約を聞くと、彼女の恩恵を賜うべく懇願しに行った。
 そして彼らが令嬢を目にすると、三人は彼女への恋慕を抱き、彼女への欲望に満ち溢れ、彼女と交われぬ生など望まぬほどであった。
 彼らは代わるがわる令嬢に懇願し、彼女が彼らと臥所を共にしないのであれば、彼らは生きることをやめ、各人が彼女にglám dicinnを成すと宣言した。
 
※2:Athirneについては『Talland Etair』(『Rev. Celt., VIII』p.48以下)および『Leinsterの書』p.117を参照。『Lectures on Ms. Materials』p.383、『Rev. Celt., XVI』p.328において、O'Curryは彼をその父親であるFerchertneと混同している。

※和訳注:「glám dicinn」とは風刺による呪いのようなものと思われるのだが、いまいちどういったものか調べきれていないため、詳細は不明。
 eDILによれば「glám」が風刺の意。「dicinn(dícenn)」は終わりや最終的といった意。「glám dicinn(dícenn)」で「即興の風刺」の意になるらしい。また「韻律の呪い(悪口)の一種。風刺された者の顔に傷や水ぶくれができると信じられていた」とある。

15.
 令嬢は言った。「あなた方がそのような事をおっしゃるのは理に適わぬこと。私はConchobarの妻となります」
「我らは生きていられない」彼らは言った。「あなたのもとへ行かぬかぎり」
 令嬢は彼らと床を共にすることを拒んだ。
 ゆえに彼らは彼女に三つの風刺をし、すると彼女の頬には三つの出来物、すなわち「恥」「瑕」「不名誉」の黒と赤と白が残った。
 その後、令嬢は不名誉と恥辱で死んでしまった。

16.
そこでAthirneは息子たちと共にBoyne上流のBenn Athirniへと逃げた。自らの行いによってConchobarとアルスターの男たちから復讐されることを恐れたからである。

17.
 ここでConchobarについて語る。
 彼は、長いこと妻と一緒に寝ていないと思っていた。
 ゆえに、彼はアルスターの英傑たち、すなわちConall Cernach、Cuchulainn、Celtchair、Blai Brugaid、Durthachtの子Eogan、Cathbad、そしてSencha(※1)を引き連れて、Degaの子Domanchenn(トゥアハ・デは彼の親族であり(※2)、そこは彼の領地だった)の砦へとやって来た。
 そしてそこで彼らは令嬢が死んでいるのを見つけ、砦の人々は嘆き悲しんだ。
 そのことで大いなる沈黙がConchobarに降り、その哀しみはDerdriuへの哀しみに(のみ)次ぐものであった。
 
 ※1:これらの英雄たちについては『Rev. Celt., XXIII』(303及び以降の項目)を参照。
 ※2:このため、おそらく彼の住居はsid(正しくはsith) Domanchinnと呼ばれたのだろう。

※和訳注:
 コナル・ケルナッハ:いわゆる勝利のコナル
 クーフーリン:ご存知アルスターの大英雄
 ケルトハル:槍ルインの持ち主
 ブライ・ブルガイド:ブライ・ブリウグ(Blaí Briugu)と思われる。ホステルの持ち主であり、ゲッシュの関係でケルトハルに殺害される。
 ドゥルタハトの子イーガン:ノイシュ兄弟にとどめを刺したやつ
 カスバド:ドルイド僧。ディアドラの誕生に関わった人。
 センハ:裁判官かつ詩人? ドルイド?

18.
 Conchobarは言った。「どのような復讐がふさわしいか?」
 アルスターの英傑たちは、Athirneとその息子、その家族を殺めることが、ふさわしき罰であると答えた。「そして何度も」と彼らは言った。「アルスターは彼によって戦いの恥辱を受けてきました」

19.
 その後、令嬢の母Bé-gubaまでもが来て、Conchobarとアルスターの英傑たちの前で哀しみと悲痛に慟哭した。
「王よ」と彼女は言った。「そちらで起きた事の顛末は一人の死だけにとどまらず、私もこの娘の父も哀悼のうちに死ぬでしょう。魔術師の預言によって、この死が私たちを連れ去ることは運命であり約束されていました。彼はこう言いました」
 
「女衆は、Athirneの言葉によって男たちが破滅することを悼む、等々・・・」

20.
 するとCathbadが言った。
「猛獣を」と彼は言いけり。「Athirneはあなたへ送り込むだろう。その名は『風刺』と『幻滅』と『恥辱』、『呪い』と『火』と『苦言』なり。彼は不名誉の六つの子ら、すなわち『吝嗇』と『拒絶』と『否定』、『無情』と『強情』と『強欲』を有している。それらはあなたへ向けて放たれるだろう」彼は言いけり。「ゆえに彼らはあなたと戦うことになる」

21.
そしてDomanchennもまた、アルスターの男たちを煽り立て非難した。

22.
「問おう」とConchobarは言った。「汝らはどうするつもりか、アルスターの男たちよ」
 酷薄なるAthirneの破滅を進言したのはCúchulainnであった。
 静観したのは高潔なる闘士Conallであった。
 謀ったのは害する者Celtchairであった。
 計画したのは高名なるMunremarであった。
 決定したのは守護者(?)Cumscraid(※1)であった。
 Athirneの住居を破壊しに行くという進言を採決したのは、アルスターの英雄的で高慢で厳格なる諸刃の若者たちであった。
 
※1:すなわち『Causcraid Mend Macha』、LL.(『Leinsterの書』) 97b 28. 参照

※和訳注:Causcraidは、「Corpus of Electronic Texts Edition」の「The Long Warning of Sultaim(Táin Bó Cúalnge from the Book of Leinster)」によるとコンホヴァルの息子のようである。
 ゲール文字原文では「Cumscraig costadach」となっているが、「costadach(costudach?)」は管理人や近衛などの意らしい。(英訳のcustodianは「管理人、守衛、保護者」) 王子であるからには何らかの役職に関するものだろうか? 判然としないためここでは広く意味がとれる「守護者」とした。

23.
 そこで(DomanchennがLuaineの母に)言った。
 
「本当に悲しいのは、Bé-gubaよ、哀しみが汝を殺す全てであることだ。Luaineの墓の上の汝を見るのはとても痛ましいことだ、等々・・・」

24.
 そこで令嬢のための大いなる哀歌が起こり、彼女の死の唱歌と葬送の競技が行われ、墓碑が建てられた。
 真に悲哀なるは彼女の父と母であり、彼らの立てる慟哭を目の当たりにするのは悲しかった。

25.
 そこでConchobarは言った。
 
「平原には赤きDomanchennの娘Luaineの墓がある。(※和訳注:彼女より)望み難き女性が、黄色きBanba(※2)へ来たことはない」
 
Celtchair「王者よ、Conchobarよ、それはいかなるものか教えてくれぬか。LuaineとDerdriu、どちらがより美しき交際であったのか?」
 
Conchobar「汝に教えよう、Uthecharの子Celtcharよ。より良きはLuaineであり、彼女は決して偽りを口にせず、二人の間に対立はなかった。
 
 悲しきは彼女を連れ去る予言なり、そこから彼女は死に向かい、そこから彼女の墓が掘られ、そこから彼女の墓標は目立つことになるのだ。
 
 Bé-gubaと、Degaの息子、そしてLuaine──私を遮るのは死だ──同じ日に彼らは旅立ち、ゆえに彼らの墓は一つしかない。
 
 四人の子のAthirine、彼が成した事は彼にとっての凶兆なり。この墓の復讐において、男も、息子らも、妻も、彼らは全て斃れるであろう」
 
※2:アイルランドの呼称の一つ

26.
 そしてConchobarは令嬢に強く悲嘆し、その後で、アルスターの男たちをAthirneへ急き立てた。
 そしてアルスターの男たちはAthirneを追ってBenn Athirniに行き、彼をその息子たちとその家族全員と共に(城壁の中へ)閉じこめ、彼の二人の娘であるMórとMidsengを殺し、彼の上にある要塞を焼き払った。

27.
 このような所業を行うことはアルスターの詩人にとっては邪悪に思え、それゆえAmargen(※2)はのちに言った。
 
「大いなる悼み、大いなる憐れみ、大いに名だたるAthirneの破滅、等々・・・。これなるAthirneの墓を、詩人たちよ、汝らに掘らせてはならない、等々・・・。
 災いなるかな、この者を滅ぼせし(者よ)、災いなるかな、彼を惨殺せし者よ!
 彼は、風刺詩人Cridenbél(※2)が作りし硬き投槍─その輝きは永遠なり─を有していた。
 彼は王を殺せるような槍を持っていた、等々・・・。
 私はここに彼の死の唱歌を作り、彼の哀歌を作り、彼の墓を建て、彼の見事なる塚を建てよう」
 
※1:アルスターの主席詩人、Athirneの養子であり弟子、LL. 118a 5.を参照。
 ※2:『Revue Celtique XII』(p125)を参照。


 

■要約

コンホヴァル王「ディアドラが死んで悲しい」
アルスターの英雄たち「新しい奥さん探しましょうよ」
コンホヴァル王「そうする」
 
女使者「ぴったりの娘さんが見つかりました」
父親の承諾も得て、二人は婚約する。
 
マナナン「こんな時になんだが、ノイシュとディアドラの仇討ちに来ました。自分、彼らの子どもらの養父なもので」
アルスターは大艦隊に略奪されるが、なんやかんやあって和平。
 
一方その頃、王の詩人が娘に横恋慕する。
詩人とその息子たち「一緒になってくれなければ風刺の呪いをかける!」
娘「私は王の妻となるのです。お断りします」
詩人が風刺で娘の顔に三つの出来物をつくり、その恥辱のあまり娘は亡くなる。
 
娘の死を知るコンホヴァル王とアルスターの英雄たち。
コンホヴァル王「どうする」
アルスターの英雄たち「処しましょう」
詩人は一族もろとも滅ぼされる。

■解説(と感想と覚え書き)

 英訳にはたびたび「magnates of Ulster」(アルスターの大物たち)という表記が登場するが、途中で列挙される名前を見ると、「magnate」は貴族(諸侯)的な意味というより、有名な戦士や英雄たちを指しているようである。そのため、ここでは「アルスターの英傑たち」と訳した。
 
 この物語では、ノイシュとディアドラの間に息子と娘がいたことになっている。彼らの逃避行のうちアルバ(スコットランド)滞在が16年とされているので、さして不自然な設定ではない?
 
「ディアドラ」では完全に悪役だったコンホヴァル王が、この話では開幕早々ディアドラの死で哀しみに沈んでいるのだが、どう見ても「だいたいおまえのせいやろが!!」という感が否めない。
 ただまあ、王にしてみれば「不吉な予言のせいで殺されそうな赤子(ディアドラ)を、自分の妻にするという名目で助けたのに、若武者と駆け落ちされた」という面目丸つぶれ案件なので、その点は哀れである。
 というかコンホヴァル王、王妃ムーアンもディアドラも、そしてこの話のLuaineも、いずれも間男のせいで失うというエピソードが付きまとっている。しかもLuaineの場合、彼女本人は王を裏切っていないのに、である。三度もこのような目に遭うコンホヴァル王、マジで女運(と間男運?)が無さすぎでは。
 
 この物語には他のエピソードでも活躍する英雄たちが多数登場するが、その中でフェルグスとドゥブタハは登場せず、アルスターと敵対中であることが語られている。彼らがアルスターから去る経緯となった「ディアドラ」の後日譚というだけあって、そこの時系列がしっかりしているのが興味深い。
 
「葬送の競技」とは、故人を偲んで行われる競い合いのこと。死者に捧げる運動競技といったところであろうか。しかし具体的にどのようなことを行ったのかは本文中に言及がないので不明瞭である。逆に言えばわざわざ書くほどでもない、よく知られた風習だったのかもしれない。
 
 宮廷詩人Athirneは他の物語(『The Siege of Howth』など)にも登場する人物であり、いろいろと悪名高かったようである。そうした話では彼の要求がどんなに無茶苦茶でも大抵は受け入れられており、アイルランドにおける詩人の力(と畏怖)がどれだけ強かったか、垣間見えるようである。そんな彼も今回ばかりは遂に一族郎党もろとも滅びるわけだが。
 それでもその(完全に自業自得な)死を悼む詩が最後に挿入されるあたりにもまた、詩人という存在と地位の大きさが感じられる。

●ノイシュの弟たちの死について

 マナナンとの和平に出てきた「父ノイシュの代償」というのはエリック(eric)のこと。これは殺人に対する賠償で、加害者が被害者遺族に金銭等を支払うというものである。
 
 前述のように、ノイシュの弟たちの死については「王の不名誉として残された」と解釈した。彼らのエリックを支払っていないなら、その不名誉は据え置きと考えるのが自然であるからだ。
 が、省略された詩の中での言及部分を見ると、少し迷いをおぼえる。

(ゲール文字原文)
Tabair eric a athar
Do gaiar animathlam
Lor anic thenigsiu tran,
Aindli garb ocus Ardan.

(O'Curryによる英訳)
" Pay the eric [ commutation ] of his father
To Gaiar, the noble, and readily ;
Sufficient payment for your dishonour indeed,
Ainlé the Rough and Ardan.

(自分の和訳)
「彼の父のエリック(代償)を支払いたまえ
 高貴なるGaiarへ、そしてすみやかに;
 そなたの不名誉に対する、実に十分な贖いなり、
 荒くれのAinléと、Ardanは」

the Atlantis vol. III
1862
p.419

 これはO'Curryが『the Atlantis』第三巻(1862年)に掲載した(今回の翻訳元でStokesが省略している)詩の、エリックに関する言及部分の原文と英訳である。

 ここで迷うのは詩の四行目、弟である『AinléとArdan』が、三行目の『不名誉に対する十分な償い』の「不名誉」と「償い」のどちらにかかっているかである。

「弟二人の死という不名誉に対する、十分な償いとなる」
(ノイシュのエリックを支払えば、その弟二人の死に対しても十分な償いになる)

「不名誉に対する、実に十分な償いが弟二人の死である」
(ノイシュのエリックとは別に、弟二人の死は、あなたの不名誉に対する報いとなる)
とでは、正反対の意になってしまう。

 詩と文の整合性を取ろうとすると


(詩)「父の死のエリックを支払うことは、『弟二人の死という不名誉』に対する十分な贖いでもある」
(文)「二人の死は王の名誉に反して解放された(不名誉ではなくなった)」


(詩)「父の死のエリックを支払いたまえ。弟二人の死は、不名誉に対する十分な報いとなろう」
(文)「二人の死は王の名誉に反して残された(不名誉となった)」

 のいずれかの解釈となる。

 恐らく正しくはであろう。
 実はこのO'Curryの英訳には少し意訳気味と思われる部分があり、英文の「dishonour(不名誉)」は原文では「honour」の意ではないかと、自分には思えるのである。

 英訳の「dishonour」にゲール文字原文で相当するのが「thenigsiu」だが、この件で助言をいただいたケルト神話翻訳マン氏いわく、

 原文のthenigsiuは「th-enig-siu」と複合語になっており

  th-はtú(強調)
  enigはenech(honour)
  -siuもtú(強調)

 ではないか。

(文頭のth-は同音異義語(二人称単数・所有格形容詞「do」の代名詞形th-)があるため、文末に同じく強調の-siuを加えることで、判別しやすくしている?)

 つまり「 honour」を強調した語と考えられ、「dishonour」の意ではない。ゆえにO'Curryの英訳は、原文では「名誉」だったのを「不名誉」とした意訳ではないか、と考える次第である。

(O'Curryは、今回で言えば12節目の「Conchobarの名誉(honour)」という部分についても「Conchobarの不名誉(dishonour)」と英訳しているのだが、ここのゲール文字原文は「enigh Concobair」であり、どう見ても「enigh(名誉)」と書かれている。このためO'Curry教授の英訳は逐語訳ではなく意訳気味に見える)

 すると詩の三行目は「あなたの名誉に対する実に十分な報い」となり、そうなるとその「報い」とは四行目の「AinléとArdan(の死)」のことである、と推測される。
(「二人の死」という凶事が「名誉」にかかるのは不自然だろう。よっての解釈はふさわしくない)

 まとめると
「ノイシュの死に対するエリックは息子Gaiarに支払われた。弟二人(の死)は王の名誉に対する十分な報い(報復)となった」
 という解釈が妥当のように思われる。
 しかし上記の考察が本当に正しいのかは、所詮素人判断による推測のため、いまだ確証を得られていない。

(自分にこういった詩のルールに関する知識や根本的な英語・ゲール語能力が欠けているため、こんなグダグダ長ったらしい考察を必要としたが、そのへん詳しい人がいたらご助言くだされば幸いです)

■マナナンについて

 この物語では、マナナンは神格ではなく人間の王として登場している。
 ノイシュとディアドラの支援者であり、二人の子どもたちの養父でもある。
 この関係だけを見れば「ノイシュが持っていたマナナンの剣とは、彼から贈られたものだろうか」と思うかもしれない。
 
 しかしそう単純な話ではない。いくつか問題がある。
 まず、この物語はディアドラ伝承の後日譚ではあるが、マナナン剣が登場する「ウシュネの子らの最期」の成立はこのあと(十五世紀頃)とされている。そこに至るまでにマナナン剣がどの段階で物語に登場するようになったのか、そこが判然としない。
 では、この物語の影響でマナナン剣が追加されたのか? という仮説にしても疑問はある。この物語がディアドラから影響を受けているのは確かだが、この物語からディアドラのほうに設定が逆輸入された可能性については何の根拠も資料もなく、思いつきの域を出ない。
 また「マナナンの剣」というアイテム自体、特に根拠も理由もなくポっと出てきてもおかしくない存在である。切れ味抜群の名剣、だから魔法の力がある、それこそマナナンあたりの持ち物だったかもしれない、といった無から生じた伝言ゲームの産物の可能性だってあるのだ。
 
 結局のところ「ウシュネの子らの最期」にも、この物語にも、マナナンがいつどうやってノイシュに剣を渡したか言及がない以上、「四番目のマナナン」と、マナナン剣との間を線で繋ぐことはできない。
 繋げたくなる誘惑にかられるほど、この物語に登場する四番目のマナナンの設定はマナナン剣の背景としてぴったりなのだが、伝承過程が不明瞭である以上、両者の因果関係は証明できないのだ。
 
 ところで、この物語中ではマナナンは人間となっているが、資料(※)によってはノイシュとディアドラの子らの養父はマナナン・マクリールであるとするものもある。これがこの物語以外の一次資料に基づくのか、それとも孫引きによる誤記なのかは定かではない。
 マナナンを神格ではなく人間とするのはエウへメリズム(神格の原型は人間とする説)のようでもあり、そこから逆に「原文では人間扱いでも神格と見なす」といった判断を編者がしているのかもしれない。が、そのあたりまで考慮しだすとキリがないので憶測を述べるのはここいらで止めておこう。
 
(※)「Deirdre and the Sons of Uisneach; a Scoto-Irish romance of the first century A.D」(1908)
 該当記述の出典が書いてないので養父をマナナン・マクリールだとする根拠を検証することができない。またこのパターンかよ。
 本書冒頭に「Celtic Review」の記述があるので、この「Luaineへの求婚」から引用している可能性があるが、その場合は明らかに四番目のマナナンという設定を無視してマナナン・マクリールと書いていることになる。
 ちなみに、この本では上述のエリックの場面に関して、弟二人の死のエリックは王の不名誉に対して「remaining(残った)」と記述しており、自分が上で述べたのと同じ解釈となっている。

■結論

 この「Luaineへの求婚」には四番目のマナナンという、ノイシュとディアドラの支援者で、両者の息子と娘の養父でもある人物は登場するが、それが「ウシュネの子らの最期」に登場するマナナン剣の持ち主であるかどうかは、直接の根拠となる記述がどちらの物語にもないので、今のところ関連性はゼロに近い。と言うべき。
(少なくとも新資料が見つかるまで判断は保留しておいたほうが良いだろう)

■おわり

 以上。
 今回は、マナナン剣の由来を求める調査の一環で和訳したものを記事として公開しました。結論はなんとも中途半端なものでしたが、まあ欲しい情報がダイレクトに書いてあるほうが稀です。いつものこと。
 
そうした目的はどうあれ、この物語にも色々と見どころがあります。
「ディアドラ」では悪役だったコンホヴァル王のなんともナイーブな描写。
 悲劇に斃れたノイシュとディアドラの物語に反旗をひるがえすかのような、大艦隊による報復と、二人の息子とアルスターとの和平というディアドラ伝承の新たな結末のかたち。
 欲深きAthirneの恐るべき詩人の風刺の力と、それを拒絶し命を落とすLuaineの哀しくも気高き姿。
 アルスター英雄オールスターでゆく詩人一族焼き討ちエンド。
 短い物語ながら、そこに見えてくる人間模様はなんとも興味深いものです。
 
 本記事の紹介で、マナナンがどうとかは別として、この物語を自分以外の人にもお読みいただければ幸いでございます。

※2023/4/27 ノイシュの弟二人のエリックに関する誤訳と誤解釈を修正・追記。
 2023/4/29 同上を追記・修正


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