見出し画像

使い捨ての友達

仲の良い友人が定期的に変わる人がいる。
きっと本人にはその自覚はないのだろうが、仲良しと呼ばれていた友人だった人達を使い捨てしているように私は思ってしまう。

別におかしなことではないし、関係のない私が勝手にそんなことを思おうがどうでもいいのだけれど。私はどうしてもその使い捨てられた友人たちのことが気になって仕方がない。

日々の生活の中でできた友人の中でも、趣味嗜好、仕事、年齢、住んでる場所、出身地、性別、容姿…あらゆる点で無意識にランクを付けていて、関係性もそれぞれ変わってくる、と思っている。
総合得点が高い人はどんどん順位を上げていき、ずっとトップに立っていた人でもより得点の高い人が出てきたり、関わる頻度が減ったり、慣れからくる安心感=興味や好奇心がなくなったり、他に熱が向くものができたり…気づけばそんな要因によってランキングは変動してしまう。

趣味嗜好や考え方はどんどん変化していくものなので、ずっと同じ関係で同じ熱量を持ち続けることは難しく仕方のないことなのは理解している。
その時々で関わる人が変わって、くっついたり離れたりを繰り返していく。

ずっと同じ話で笑い続けることも、同じ悩みで愚痴をこぼし続けることもほとんど無理なことだと思うけど、過去にそうやって過ごした時間は確かにあって、それに楽しんだり救われたりしたことだってあるはずで。
関係は変わってしまっても何かしらどこかしらで繋がっていればいいのに、そういうのも全部ひっくるめて使い捨ててしまっているのか。それともそういった時間が元々なかったのか。

当人達の間でしか何があったか何を思ったか分からないけれど、それとなく疎遠になったわけではなく、いきなり関係性を切られた友人たちはきっと戸惑いもあっただろうし何より悲しかったのではと勝手に心配してしまう。考えすぎだよな。

「人間関係リセット症候群」という言葉が流行って、そういうのをわざわざ引用した上で私コレだわーとか分かるーとか言う人を見かける度にそんなことを思っている。
共感するのは別にいいけど、いつかリセットできるくらいではない関係性になれたらいいね。

仲良くしてくれる人たちが、他の誰でもないみんなで良かった。変な人たち、サンキュー!
(道重さゆみを思い浮かべた人はぜひ仲良しになりましょう)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?