クリエイティブの敵とは?

こんにちは、とぼです。皆さんは、クリエイティブしていますでしょうか。変な表現になってしまいましたが、要は日々の生活で、創造的な発想ができたりとか、自分の思うままに思索にふけれるような時間を持てていますでしょうか。
絵を描いたり音楽やったりしていなくても、人間は誰しもクリエイティブであるメリットは大きいと言えるでしょう。
僕自身、人に言えるほどクリエイティブできていませんけど、少なくとも硬直的な考えには陥っていない自信はあります。
人間は子供の頃は皆クリエイティブだと思いますが、大人になるにつれ硬直していってしまいます。
それはなぜなのでしょうか?僕が思うに、その原因の大部分は「クリエイティブの敵」による価値観、考えに触れてしまっていることにあります。


クリエイティブの敵リスト

1 . 普通であることを求める一般人

普通とは一体なんでしょうか?たまに考えることがありますが、普通という曖昧な概念を追いかけて、それ以外の可能性を自ら閉じることは、百害あって一理くらいしかないといえます。
世の中には、普通を求める人がたくさんいます。仕事に限らず、プライベートでも普通の圧力は凄まじいです。
「普通の人なら、身だしなみは⚪︎⚪︎であるべき。それができない奴は常識がない」「いい大人なら、分別のある行動をするべき」
あまり良い例えが思い浮かびませんでしたが、これでなんとなくイメージはできると思います。日本でこれだけ発想力や独自性の必要性が騒がれている昨今でも、こういう考えをしている人はたくさんいますし、なんなら若い人にもいます。
普段から”普通”ばかり心がけていると、何も思いつかなくなります。クリエイティブのかけらもなくなるでしょう。発想というものは普通の枠から飛び出した時に生まれるものなので、クリエイティブと普通を両立するのは不可能です。

2.  完璧なものを作ることを求める評論家

僕は今はnoteでブログ活動をしていますが、昔は別の媒体で活動しておりました。高校生の頃からブログをやっていたので、もう趣味ブロガーとしてだいぶ長くなります。
お世辞にも高校生の頃の僕は、ブロガーとして不器用で、読者に反発されることもありました。今も不器用なのは変わらないし、時々口が悪いのも変わらないし、反発されてもおかしくはないのですが、今は反発コメントや、中傷コメントが届くことはほぼなくなりました。Noteの治安がいいのもあるでしょうが、それ以上に、僕の中のある能力が鍛えられたことが理由だと思います。
それは、自分の考えを正確に捉える能力です。人間の考えというのは、とても複雑です。だからこそ、複雑に表現することができればできるほど、より多くの人に共感してもらうことができますし、多少口が悪くても反発を生むことは少ないです。
高校生の頃の僕は、口だけ悪い割に、対して自分の中を表現できていない、薄っぺらい記事を量産していたので、たまに中傷コメントが届いていました。大体来るコメントは嬉しくないコメントが多かったですね。今考えると仕方のないことだったと思えますが、当時は本当に傷つきました。
例えばこんなことがありましたね。技術系の解説記事を書いたら、「情報が一部違いますよ。不正確な記事を発信しない方がいいですね」というちょっと上から目線みのあるコメントが届きました。僕はムカっときて、返信せずに記事ごと削除し、新しい記事で愚痴りました(これはこれで問題のある行動だったと思います)。
すると、そのコメントをした人がブログを監視していたのか、愚痴記事に僕を馬鹿にするようなコメントをしていきました。
コメント欄を閉鎖したら来なくなりましたが、本当に腹が立ちましたね。あれは一体どういう出来事だったのでしょうか。最近になって、ようやく考えがまとまりました。
それは、あの時コメントをした人が”評論家体質”だったということです。イラストであれ、音楽であれ、ブログであれ、作り手がいて初めて需要と供給が成り立ちます。
しかし、作り手というのは初めから完璧なのではありません。失敗して、試行錯誤して、それを長い期間繰り返して、ようやく読み手に不自由なく見せられるレベルになれます。
僕自身、高校生の頃の駄文の量産があったからこそ、こうしてnoteである程度は形になる長文が書けています。
あの評論家には、そのような発想がなかったのでしょう。とにかく、「自分が読んでて不快になったから」「情報が100%正確ではないから」などという理由で、色々なブログでケチをつけて回っているのかもしれません。
このような発想をする人は、自分が何かしらの作り手になった経験に乏しい人に多いです。作り手の気持ちがわからないからです。

3. パクリ警察

自分の作ったものを世に出した時、「これは⚪︎⚪︎のパクリだ!」と批判してくる人がいます。
幸い僕は、パクリ警察の被害に遭ったことはほぼありませんが、パクリを過剰に気にすることはクリエイティブに有害です。
一応パクリ警察のフォローもしておくと、パクリ警察は単純な悪い奴ということではありません。彼らは「パクリを許してしまったら、誰も独自性のあるものを作りたくなくなる」という信念で動いています。彼らには彼らなりの正義感があるようです。
しかし、彼らの行動は、多くの場合クリエイティブに有害です。確かに、オリジナルの作者が自分の作ったものをパクられて、やる気を失ってしまうこともあるかもしれません。しかし、それ以上に大事な事実が見落とされています。
それは、「パクリなくして上達はない」ということです。これは作り手になった経験に乏しい人に、意外なほど知られていません。イラストであれば、上手い人の絵を模写すると上達の近道ができると言われています。模写は言い換えればパクリです。僕は模写はそんなにしたことがないのですが、人の絵を参考にし、良いと思った部分を自分の絵に取り込むことはあります。これだけでも、パクリ警察のターゲットになることもあります。「⚪︎⚪︎の描き方が⚪︎⚪︎に似ている!これはパクリだ!」という風に。
音楽に関しても、同じような話があるようです。僕はDTMなどはほぼやったことがないのですが、昔興味があって調べた時に、「初心者はまず耳コピをしろ」という話があるのを知りました。耳コピとはその名の通り、プロなどの曲を聴いて、自分の手で再現してみることです。これも言い換えればパクリそのものです。DTMの世界の事情はよく知らないのですが、おそらくパクリ警察はいるんだろうと思います。

クリエイティブの敵への対処法

対処法は1つです。「関わらないこと」これに尽きます。社会的な動物である人間は、自分の周囲から大きな影響を受けるので、関わっているだけで彼らの考えを無意識に取り込んでしまっています。
彼らと向き合って、彼らの価値観を咀嚼することが重要なのではありません。咀嚼している時点で、彼らの価値観が自分の中にジワジワと浸透していくからです。そもそもシャットアウトするしかありません。
悩ましいのは、インターネットの場合、完全にシャットアウトするのが難しいということです。インターネットの仕組み上、どうしても色々な人の意見が目に入ってくる仕組みになっているからです。
僕は、インターネットをあまり長時間見ないという方法を取りました。具体的には、一日に最大4時間程度にとどめています。少ない日は2時間程度で終わります。「4時間って多いじゃん」と思われる方もいるかもしれませんが、数年前の時点で「20代は平均で5時間以上デジタルデバイスのスクリーンを見ている」という記事(それか本?)を見たことがあります(ソースが見つからないので、話半分に聞いてもらっても構わないです)。当然20代の中には、ネットがなくても生きていけるようなガチ陽キャも含まれているでしょうから、僕のような陰キャ20代で2〜4時間というのはだいぶ少ないのではないでしょうか。
インターネットを減らす以外には、ネットの中の環境を整理するという方法もあるでしょう。例えば、見たくない情報を見なくて済むようにフォローを整理したり、そもそも利用するサービスを変えてしまうとか。PCであれば広告ブロッカーを入れて、広告ブロッカーの「Webページから特定の見たくない項目を非表示にする」機能を使うという方法もあります。

今回の記事は以上となります。皆さんの生活により良い発想がありますように。

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