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HUMAN / CODE ENSEMBLEの演奏会に行ったはなし

行ってきましたこんな演奏会(?)

HUMAN / CODE ENSEMBLE ヒューマン・コード・アンサンブル
Re-membering the Past, Re-imagining the Future再編成される過去と再投影される未来
出演:落合陽一(メディアアーティスト)、小川加恵(フォルテピアニスト)、Stelarc(パフォーマンスアーティスト)
コラボレーター:藤倉大(作曲家)
日時:2022年11月3日 (祝、木)15:00 開演(14:30開場)、11月4日 (金)17:00 開演(16:30開場)
会場:神奈川県立音楽堂
イベント公式Webサイト: https://human-code-ensemble.com

PRTIMESより

▼なぜ行くことにしたのでしょう?
落合陽一さんが好き
古楽が好き
好き×好きだから行くしかないですよね。
まさか古楽と落合さんがコラボするとは思わなかったです。

▼結論は?
新しいものは刺激的です。

▼徒然と
内容で万が一不快に思う方がいらしたらすみません。あくまで私個人のことですので多めに見て頂けると嬉しいです。

ひさーしぶりの横浜。せっかくなので中華街に寄ってから会場に向かいました。二駅歩いてたら(最後は走りました)ホールに2分前に到着。危なかった、野毛坂、きつかったです。
さて肝心の演奏会。プログラムは前後半に分かれます。

  • 前半

俗にいうクラシック曲のみで構成されています。出演は小川氏と落合氏。
この2人のコラボレーションでしたが、私は2つの立場で鑑賞しました。

〇音楽聴きたい派
こちらがベースです。何せなかなか聴きにいかないフォルテピアノとチェンバロですから。 音楽を聴いていると寝落ちすることもしばしばな私。そのため好きとか言えない、と悩んでいましたが、まぁそれもそれ、と最近では開き直っています。しかし今回はそれほど眠くはなりませんでした。なぜなら視覚情報も満載だったからです。落合氏はVJ/DJということで3枚のスクリーンにはAIで生成したという動的映像が流れ続けていました。面白い反面、ここが私の中で賛否分かれるところです。というのも、音楽と合わせて脳内に映像や感情が生まれるのは人それぞれで楽しませて欲しい。この感覚は小説読んだ時と同様な感じです。そこで映像が流れていると、そちらに引き寄せられてしまいます。総合芸術と考えれば何一つとして問題はないのですが、「音楽を聴きに来た」側からすると楽しみの減少ではありました。

〇映像見たい派
落合さんの作品をいくつか見ている私としては、映像も楽しみたいところです。おそらく解説にあるような歴史や人物、曲のイメージを踏襲して生成した映像なのでしょう、マッチしていたと思います。フラクタルのような、合わせ鏡のような模様の世界が印象的でした。なぜなら音楽でもモチーフやテーマの繰り返しや展開、変奏は重要な要素だからです。映像でそれが行われると没入感がありますね。また演奏側がライブのため、タイミング等も合わせて映像も調整していたのだろうと思います。アンサンブルを楽しませてもらいました。

  • 後半

小川氏・落合氏に、ステラーク氏も加わった後半。音楽は藤倉氏作曲、つまり現代音楽です。古楽器での現代音楽はあまりないのではないでしょうか。ちなみに私は現代音楽も好きです。家で聴く気には全くなりませんが、生で聴くと、何が起こるかわからない緊張感がありワクワクさせられます。 今回はまさにワクワクの連続でした。
まずステラーク氏の演奏はそもそも楽器じゃないでしょう、機械の駆動音ではないでしょうか。何が起きるのか想像もできません。
フォルテピアノは現代ピアノに比べて音量が小さいです。聞いていても音量の天井を感じます。そのためか打楽器としての側面を強く感じます。ハンマーが弦を叩く、その音が聞こえてくると言いますか。今回の演奏を聴き始めた時はフォルテピアノが埋もれているようにも思い、現代ピアノの方が良いのでは?とも思いました。ただしばらく聴いていると、ハンマーが弦を打つ打弦感が届いてきました。現代ピアノだったらどうなるのかは比べていないのでわかりません。憶測ですが、もっと響いくために打弦音よりも全体を包み込みやすいのでは?とも考えられます。今回のフォルテピアノでは、この打弦音がステラーク氏の駆動音と合わさって、打楽器的な複雑なリズムの組み合わせとして聴こえてきました。 さらにそれらをサンプリングして、即興で新しいフレーズを作り出す落合氏とAIのコンビネーション。と同時に映像も即興でした。
自分の理解を超えたすごい世界を垣間見た気がします。もちろんクラシックも理解を超えているのですが、クラシックではより突き詰めて聴く深い理解が必要に思います。深さ以上に存在そのものが理解を超えた感じがします。 ちなみに映像は私にはまぶしすぎました。光量がきつかったです。そのため目をつぶりました。まぶたの外では明滅する白い光と同時に、フォルテピアノの音が浮き上がりスッと入ってきました。視覚を奪われた私の聴覚が強くなったようです。なるほど、こういう楽しみ方にさせるための光量か(多分違います。)と、一人したり顔で聴いていました。

▼それっぽくまとめます。
フォルテピアノは現代ピアノの前身というか、メインストリームの進化の過渡期の楽器です。現代では淘汰されたいわば化石です。一方ステラーク氏や落合氏は現代技術を駆使しています。この技術を将来から見た時に、果たしてただの変異の一つとして失われていくのか、それともフォルテピアノのようにメインストリームの過渡期の一つとして化石化するのかわかりません。ただ古いものは(現代では)知らないためかえって新しく、新しいものはすぐに知られて古くなる。そんな古いものと現代の技術がミックスされて、先端になって突き進んでいく。そんな先端で実験的な世界をリアルタイムに感じられる刺激的な時間だったと振り返ります。おかげさまでテンションが高まりました。ありがとうございました

現在アーカイブで見られるっぽいです。ご興味があるかたはご覧ください。

ホールで落合陽一さんを初めて近くで見ました。ちゃんとホンモノがいるんだな、と認識。話しかけたりする根性もなく、外に出ると欠けたお月様が出迎えてくれました。

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