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幼少期のわたし。初めての夢は・・


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外国とクラシックと一人遊びが好きだった、病気がちな女の子

子供の頃から、外国が好きでたまらなかった。

この記憶は、今も鮮明に覚えている。とにかくクラシックを聴いたり、雑誌の切り抜きを日記帳に貼ったりすることしか、外国を感じる術がなかった。

***

幼少期より、すぐに原因不明の発熱がでたり、蕁麻疹になったり・・とにかく身体が弱くて病気がちだった私は、病院ばかり通っている子供であった。

その頃から、いつしかなりたい職業は「看護師」さん。

小学生の時、心の中で「看護師さんになる」と決心してからは、どうやったら早く看護師さんになれるのか・・・と自分で情報を探す日々。今のように、ネットなどは無い時代だから、図書館などで病院関係の本などを探しては読んでいた。

その後、高校は看護科に入学、その後2年の専門学校を卒業して国家試験に一発合格。最短21歳でナースとなる。

子供の頃、一番最初に心に決めた夢を手に入れた瞬間だった。


看護師現役時代を振り返る

就職して一年目のとき。

最初に所属された部署は「外科病棟」。

73床のベット数は、いつも満床で目の回る忙しさだった。

そして、癌を患う患者さんが多く、手術目的の患者さんがメインだった。

今では問題になるだろうけど、あの当時、この病床数を二人で夜勤を回していた。本当に座る時間もなく、過酷な勤務だった。


でも、そのおかげで、いろんな緊急症例に当たることが多く、沢山学ばせてもらった。2年目にしてリーダーになったり、救急外来での担当ナース、緊急を要する薬剤を扱ったり、輸液、導尿、挿管(補助)・・・入社して2年目とは思えないスピードで、いろんな経験ができていた。

73人分の患者さんの名前、病名、術式、術後何日か・・・など、これらのことをすべて、すぐに記憶することができていたのも、やる気がそうさせたのか・・・。私の学生時代の成績を知っている人からすれば、びっくりだと思う。

成績なんて、関係ない。やる気があれば働ける世界だ。そんなことを、この現場で働いて改めて思った。大切なのは、どう動くか。座学は、全く役に立たない。

準夜勤の出勤は、15時すぎから院内に入り、0時すぎまで。この時間内は、カルテを書くとき以外、座った記憶がない。

深夜は23時すぎ~朝10時すぎまで。しかし、深夜勤務時(明け方)に急変することが多く、亡くなるケースが多いので、結局その時間には帰れないことが多かった。


学生時代では得られなかった、充実した社会人生活

大変な仕事なのに、毎日が充実していて、仕事が楽しくて仕方ない。常に沸き上がるこの想い。

学生時代は、自分の意志で何もできなかったことが多かった。

でも、社会人は違う。自分で考えていいし、行動ができるのだ。


「この仕事は、天職だ!!」と、何度も何度も思う。

そんな、看護師時代を永遠に続けると思っていた私。


しかし、ちょっとしたきっかけで

新たな夢を見つけることとなっていった。

            (カフェ開業計画へ。つづく)



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