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10時19分の珈琲の中で。

金曜日、午前10時19分。

ふぅ〜と息を吐く。


綺麗すぎるカフェで、春の珈琲を飲みながら、
大切な時間を摂る。
姉の書いたモノを読むと、胸の奥から何かが溢れてくる。
右頬を伝ってゆくこの塩辛い粒は、一体何を表しているのだろうか。私に何を気づいてもらいたがっているのだろうか。

ずっとずっと、見て見ぬふりをしていたこと。
予定を詰め込めば知らぬふりをし続けられると思っていたこと。



他人を羨ましいと思うのは、
自分にも出来ることを、自分が選べていない時だ。
片っ端から言い訳を集め、綺麗な言葉で己を騙している時だ。



 私は何をしているのか。


与えるために学んできた言葉は、そのうち自分を刺すものにもなっていて、世界をより良くするために磨いてきた心は、自分を騙すためのものになっていた。

何も無い私。
世界を圧倒するような壮大な夢も、
人生規模の失敗も後悔も、
命尽き果てるまで追い続けたいと思える使命も。
目の前の人を救える言葉も、
言葉すらいらなくなるほどの愛も、
本質的な解決策を提示できる技量も、
本質を見極める目も頭も心も。

足りない足りない。
生き続けていれば、足る日はそのうち来るのだろうか。

どこに行けば見つかるのか。
私に優しい町は。
優しい空と風と匂いと、
優しくしてくれる人たちは。
そのままの私に価値があると、
そんな私が魅力的なんだと、
どんな時も伝えてくれる人は。
自分のことを真っ直ぐに、大切にできる自分は。
どこに行けば見つかるのか。

教えてほしい。教科書にも本にもインスタにも書いていないことだけを、教えてほしい。


そうやって、気づけばいつも答えを求めている。
何が善くて、何が正しいのかと。

目を開いていても答えは見つからないと、
何度も気づいてきたはずなのに。
正解はどこにもなくて、だからこそ不正解がないことだって、知ってるはずなのに。


自分で創るんだ。一から、少しづつ。
時にはほつれたり、ぐちゃぐちゃになったり、壊れたりもしながら。
毎日少しづつ、色んな布と、色と、素材を、縫い合わせながら。
そのうち息が芽吹いていくまで。


私は真面目だと思う。それゆえ、面白味に欠ける。
だが、真面目を突き詰めていったら愉快になることを最近知った。
なので最近の私は、真面目に愉快をしている。

ところで星乃珈琲のゆで卵は固めだけれど、
それがレトロでなんだか可愛らしい。

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