『アザー・ミュージック』の日本上映実現がなぜ快挙なのか


 2022年9月10日から渋谷のシアター・イメージフォーラムでロードショーが始まった映画『アザー・ミュージック』。配給はインディペンデント映画の独自配給で近年注目されるグッチーズ・フリー・スクール。

 マンハッタンのイーストヴィレッジの一角で、1995年から2016年まで営業を続けたインディペンデント・レコード・ストアの歴史と成り立ち、そして閉店を迎えるまでの数日を追ったドキュメンタリー映画だ。

 何度か書いたりしゃべったりしているが、ぼくは自分の仕事のひとつがレコード買付だったこともあってニューヨークに行く機会が多く、アザー・ミュージックに何度も行くことができた。最後に訪れたのは閉店の2ヶ月前。店内の様子やぼくの映画に対する実感については、映画のオフィシャル・サイトに文章を掲載させてもらったので、それを読んでいただけたらと思う。

 それにしても、映画『アザー・ミュージック』の日本でのロードショー上映実現は快挙だ。より多くの人に見てほしいし、地方上映などでも見るチャンスができる限り増えてほしいと思う。

 そもそも映画『アザー・ミュージック』は2019年に完成したが、アメリカ本国では映画館でのロードショーが実現していない。2020年春からのコロナ禍でのロックダウンがそれを難しくしたというのが大きな理由。

 そしてもうひとつ理由を挙げるなら、音楽ドキュメンタリー映画を製作して、上映まで漕ぎ着けることのハードルがとても高いということがある。こういう映画が結果を残すことが、次に続く作品への勇気になってほしい。

 それにしても、音楽映画にとっていつだっていちばんの障害は(あえて障害と書くが)、映画のなかで使用する楽曲の使用許諾を得ることの難しさだ。本人や権利保持者の許諾はもちろんだが、そこにはさらに金銭的な問題(使用料)も発生する。核心はむしろそこだ。ミュージシャンやバンドの伝記/ドキュメンタリー映画なのに彼らの楽曲がいっさい流れない作品を見たことがある人も少なくないだろう。大手の製作ならともかく、資金面で厳しいインディペンデント映画だと楽曲使用料についてのハードルは一気に上がり、作品のなかで自由に音楽を流すことは夢物語になってしまう。

 10年ほど前、60年代ロサンゼルスの職人セッション・ミュージシャンたちを追ったドキュメンタリーが製作されたという話をアメリカの友人に聞いた。しかし、映画は完成したのに一般上映や配信、ソフト化は当分先になりそうだという話だった。莫大な楽曲使用料がまかなえないからだった。だから各地のインディペンデントな映画祭/音楽フェスで無料上映し、スポンサーを募っているんだと友人は教えてくれた。

 結局、その後に一般化したクラウドファンディングなどの助けもあり、映画は2014年にアメリカ公開まで漕ぎ着けた。のちに『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』のタイトルで2016年には日本公開も実現した、あの映画の話だった。


 伝説的なレコード屋を舞台とし、21世紀に作られた「レコード屋映画」を、ぼくは4本知っている。そのうち無事に世界上映まで漕ぎ着けたのは2本。あとの2本は資金を集められず頓挫した(今後の上映の可能性が皆無とは言わないが)。

 その頓挫したほうの2本に、ぼくは出演している。運が悪い。

 1本はサンフランシスコ郊外の山間にある瀟洒な街、ミル・ヴァレーで半世紀以上にわたって営業していた「ヴィレッジ・ミュージック」。2007年に閉店が告知され、全品セールをしていると聞き、駆けつけた。そのとき、ドキュメンタリーの撮影をしていたクルーが「日本から来た客」としてぼくをつかまえ、インタビューを受けた。映像使用許可の誓約書もその場で書いた。同じ日にやはり取材を受けるために現れたのがボニー・レイットで、めちゃめちゃびっくりした。

 この映画はぼくの知る限り、完成していない(製作チームのfacebookアカウントのみ現存)。

 もう1本は、レコード店というよりレコード・レーベルとして今では有名な「ライノ・レコード」。ウェストLAにあった実店舗はずいぶん前に閉店していたのだが(店名のみ権利を移譲したライノ・レコードがカリフォルニアのモントクレアに現在も営業中だが、別の店)、2010年、かつてのスタッフが一堂に集まって、ゆかりのあるアーティストのパフォーマンスなどを行なった数日間のイベントが行われた。この連日のイベントの模様も、ドキュメンタリーにすべく撮影が行われていた。連日、夜のイベントに通っていたぼくは、またしても「日本から来た客」としてインタビューを受けた。最初は英語でしゃべり、次に同じ内容を日本語でしゃべった。

 2年ほどして完成した映画『Rhino Resurrected』は、2011年にウェスト・ハリウッドの無声映画専門シアターでプレミア上映が行われた。


 だが、後にも先にも公開はそれ一回きり。2012年には、この映画を広くオフィシャルに公開すべく、クラウドファンディングが始まった。

 あの世界的に有名な再発レーベル、ライノの源流を追った映画だもの、あっさり目標なんて達成するだろうと思っていた。ぼくは出演者なので、編集版もストリーミングで見せてもらった。しっかりぼくも映っていた、日本語のほうで。映画のなかには「このシーンは権利交渉中」とテロップが流れる場面がいくつもあった。


 残酷なことに、このクラウドファンディングは目標に達しなかった。親会社はワーナー・ブラザーズでしょ? なんとかできなかったのか。

 だが、ワーナーに買収されて以降のライノ・レコードは、同社のカタログ部門に商標として使用される1ブランドでしかなくなった。映画はワーナーの軍門に降る以前の純インディペンデントな時代を思い通りに生きた連中を中心に作られていた。ワーナーからしたらそんな映画に資金を出す理由は何もなかったのだろう。

 しかし、一度だけ上映が実現した場所が「無声映画専門館」だったなんて、音楽業界に対する皮肉というしかないよね(無声上映ではなかっただろうが)。
 
 無事に一般公開まで漕ぎ着けたほうのレコード屋映画では、アメリカのタワー・レコードの盛衰を記録したドキュメンタリー『オール・シングス・マスト・パス』(2015年)がある。この映画は2015年にLAで限定上映された際に見ることができた。エルトン・ジョンやデイヴ・グロールといった超大物が出演していたし、ジョージ・ハリスンの名曲で映画のタイトルにも使われた「オール・シングス・マスト・パス」が流れたことにも驚いた。普通に交渉したら音源使用料は高額なはずなので。もしかしたら、いろんな善意や良心が作用していたのかな。

 とはいえ、このタワー・レコードの映画も話題にこそなったがアメリカで大ヒットしたわけではない。そもそも日本ではタワーレコード限定販売のDVDスルーだった。額面通りの「世界上映」とは言いにくい。字幕付きで見られるだけありがたいことだったけど、やっぱり「上映」してほしかった。

 大規模チェーン化した日本のタワー・レコードしか知らない世代には、創業者であるラッセル・ソロモンが、本来インディペンデント気質の個性的なおじさんだったことは意外であり、最終的に店を失うとしても彼の成功譚は頼もしくも映っただろうに。


 そして、そのタワー・レコードのマンハッタン、イースト・ヴィレッジ店の向かいで1995年に営業を開始したのが、アザー・ミュージック。2016年の閉店はせつない出来事だったが、かつてお店のスタッフとお客であった監督コンビにより映画が完成して、今では世界的なビッグネームとなったミュージシャンや常連客が気兼ねなく出演し、多くの製作資金がクラウドファンディングによってまかなわれ(もちろん楽曲使用料の問題もクリアして)、こうして無事に日本で世界初のロードショー公開ができた。

 この事実は、過去の「レコード屋映画」が味わってきた苦渋からすれば、相当に上出来なのだ。というか、あらためていうけど、本当に世界的快挙なんですよ。


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