なぜエルメート・パスコアールは、今度は八戸に行くのか?/〈FRUE AOMORI〉担当者に聞く その3

 なぜエルメート・パスコアールは、今度は八戸に行くのか? その問いに答えるためには、やっぱりこれくらい(約2万字)の思いが必要だった。〈FRUE AOMORI〉の中心スタッフにして、FRUEとブラジルとのつながりに欠かせない存在であるミハルさんの半世は、ある意味で、FESTIVAL de FRUEの人間臭い陰影とも重なり合う。

 ミハルさんが前回のエルメート来日時にツイートした、この一節をずっと覚えていた。


預言者のような風格を持つエルメートだけに、自分の死期を予見していたとしてもおかしくない。しかし、その予言ははずれた(子供になって戻ってきた?ともいえるかも)。そして、念願の青森公演が実現する。

 「不思議と思えるけど実は必然」ということが起こりうるのは、別に奇跡を信じるスピリチュアルとかじゃなく、その人がいかに好きなものを信じて生きてきたか、でしかないと実感する。では、ミハルさんの話を最後までお届けします。

──ミハルさんがFRUEに本格的に参加したことは、実は2019年の〈FESTIVAL de FRUE〉(2019年11月2日、3日)で実現した、ブラジルの伝説的鬼才トン・ゼーの招聘につながるわけですよね。

ミハル そうそう。

FESTIVAL de FRUE 2019

吉井大二郎(FRUE) フェスに誰を次に呼ぼうという話になったとき、「トン・ゼーいけるかなあ」って話になったんです。実は2018年にも声をかけていたんですけど、全然返事がなかった。それでミハルちゃんに「トン・ゼーの連絡先知らない?」って聞いて。

ミハル そんなの、知るわけねえじゃん!って話ですよ(笑)。(FRUEは)すごい振り方してくるからね。でも、わたしは本当にトン・ゼーが大好きだったんです。わたしの最初のブラジル滞在後半の時期に知り合った人たちのひとりで、リオ在住でフリーのカメラマンをやっているナオちゃんという友人がいるんですけど、もともと彼女がトン・ゼーの音楽を教えてくれたんです。音楽がわりと独特で、ひとつのストーリーを持っている。

 そのナオちゃんに「FRUEでトン・ゼー呼びたいと思ってるんだけど」って相談したんです。そしたら彼女もすごく盛り上がって、いろいろ連絡先を問い合わせてくれました。だけど、やっぱりわからない状態だったんですね。そんな時期に、わたしが仕事でアマゾン出張することになり、そのときに現地の人にいろいろ聞きまくったら、メールアドレスをゲットできたんです。

吉井 船のなかで聞いたら、「おれ、知ってるよ」って人がいたんですよね。

ミハル そうなの。ピアノやってる人が知ってるって言ってくれて。教わったのは、マネージャーさんのアドレスかな。でも、その人にも「確かに、トン・ゼーはなかなかつかまらないよ。ブッキングは大変だと思う」とは言われましたね。

トン・ゼー

──とはいえ、本当にトン・ゼーとつながっちゃったからすごい。

ミハル 交渉の途中もいろいろ先方とやりとりするんだけど、なかなかうまくいかなかったんですよ。

吉井 条件はOK。日程もOK。でも最終的なYESが出てこない状況が続いていましたね。

ミハル いけそうなのになかなかはっきり決まらない。このままじゃダメなやつだと思ったんで、ナオちゃんに相談したんです。「時間もないし、どうしよう?」って。そしたら、「バカね。スーツ着て家に行くのよ。それで、“わたしたちはちゃんとした者です”って名刺を出して、ちゃんと名乗らなくちゃダメ」って。

──へえ!

ミハル だけど、わたしは日本にいてブラジルまでは行けない。だから、ナオちゃんにお願いしたら、逆に「わたし、行ってもいいの?」って喜んでくれて(笑)。その段取りをして、先方に「FRUEの者を行かせて、ちゃんと契約の話をします」と伝えたら、「ぜひお願いします」と話が進み、ナオちゃんにサンパウロに飛んでもらったの。

 実際にナオちゃんが会ってみたら、トン・ゼーはもう「ナオコ最高!」みたいな感じ(笑)。ナオちゃんも感激してワーって泣いちゃって。それで「ナオコと一緒に行けるなら行く」となったので、彼女をアテンドとしてブッキングしたんです。

吉井 それでようやく実現しました。

ミハル 来日したナオちゃんと品川で再会したときのわたしの号泣っぷりったらね(笑)。ナオちゃんとはわたしがブラジルから帰ってからも連絡は取り合ってたけど、こうして一緒に仕事をするようになるなんて、わたしからすれば鼻血が出ることだよね。だから、わたしはそういうことでいろいろ自分の闇を回収してるんですよ。少しずつ自分のなかのヘドロの色がFRUEにつけてもらってカラフルになってきた。100回くらい死んできた自分がようやく人間になれそうなんです。

──そして、ついにエルメート・パスコアール公演を八戸で実現する中心スタッフになり。

デーリー東北記事より

ミハル そうですね。わたしは青森がいやでいやで仕方なくて、リオデジャネイロまで行かなくちゃ自分を見つけられなかった。でも、リオまで行ったけど、わたしの暗い部分が付いてきて、戻ってきたわけです。だから、わたしが青森でエルメートをやるというのは、やっぱりすごくこわい。実現するのは感動とかうれしいとかとはまったく違う、自分のストーリーも重なっていて言葉にできない感覚なんです。

──ぼくはミハルさんほどではないけど、やっぱり若い頃は地元の八代がきらいで、ここから出るにはどうしたらいいかばかり考えて東京の大学を目指したんです。それしか方法がなかった。留年したり無職になったりして迷惑かけたし、大人になってからもそんなに里帰りしたい場所じゃなかった。でもそれが、「エルメートが八代に行く」ということを知り、それを仕掛けている一家が八代にいると知り、しかも家業はお寺でという面白さで。

吉井 エルメートたちもブラジルに帰って「お寺の庭でバーベキューした」とみんなに話したら、「うそだろ?」と言われたそうですよ(笑)

ミハル メンバーみんな、そのときの写真を常に持ってるもんね。

──さらに山口一家とのつながりができて、地元のキャバレー、ニュー白馬での坂本慎太郎公演にもつながり。そういうことがどんどん起きてきて、地元の見え方が変わってきて、この街が憎からず愛おしく思えてきてるというか。両親も2回目のエルメートは見てもらいましたしね。ライブ前に広場でやってたマルシェで、ディジュリドゥの演奏をじっと両親が見ている姿は、不思議だけどとてもジーンとするもので。

ミハル 最高だよね。

──自分のストーリーでしかないんですけどね。学生だった頃には、絶対に想像できない図でしたね。それが恩返しといえるかはわからないけど。

ミハル いや、でも恩返しっていうか、今の自分を両親にどう見せるか、それって自分ではわからないじゃない? でも、自分のやってる何かを同じ時間で両親と共有できることって、そんなに起こらないから。今回は、父親にもライブのポスター貼りをお願いしたんです。そしたら「もちろん」って言ってくれて。

吉井 ミハルさんのお父さんは、今はライブとかされてますよね。

──へえ!

ミハル 退職して、父親はライブや作曲をしているんですよ。もともと仕事をしていた頃から音楽をやっていて、ある時期「仕事を辞めて三味線奏者になる!」って言い出して、母親に「そんなことしたら別れる」って言われて、結局、仕事を全うした人なんです。

──そうか、お父さんにもやっぱりミハルさんの血筋がある気がします。

ミハル だから、父親に青森でエルメートを見てもらえるって、すごいことなんです。エルメートはブラジルで最高の音楽だから。本当にこういう日が来るんだなって思う。わたしはもう次の日に死んでもいい(笑)。それくらいのこと。

 もともとわたし、三人姉弟の真ん中で、できのいいふたりに挟まれて劣等感があったんです。高校受験も失敗して第一志望に行けなかったしね。しかも青森にいるということじたいにも劣等感があった。いろいろ音楽も好きで、外の世界を見たいのに、「なんで青森なんだ! 青森じゃなかったらライブも行けるのに!」って思ってた。

 中高生の頃、わたしはお笑いのナインティナインが好きだったんです。テレビを見てると同じくらいの年頃の女の子たちがスタジオで彼らと一緒に出てたりするじゃないですか。それに対しても「なんで会えるの?」って憎んでた(笑)。目が2個、鼻が1個ついてる同じ人間なのに、わたしは遠くに住んでて、東京まで行くお金もない。

 あるとき父親に「わたしはこんなところで生まれて不公平だ! お父さんたちのせいだ!」って泣きながら言ったことがあるんです。そしたら、今でもよく覚えてるんだけど、父親はこう言ったんです。「幸せは全部平等だ。幸せが100あるとしたら、あの子たちは毎日ナインティナインに会ってるけど、毎日1づつそれを使ってる。つまり、1しか幸せじゃねえんだよ。おまえは、お金をかけて、学校を休んで、岡村さんに一瞬でも会えたらそれが100なんだ! だから平等なんだ!」って(笑)

──すごい理論だけど、わかる気がする(笑)

ミハル わたしもそれを聞いて「そうか、あいつら1しか感動してねえんだ。いつかわたしは岡村さんに会って、100の感動で気絶するんだ」って思った。まだ一回も会えてないけどね(笑)。

吉井 でも、小学生の頃に大好きだった(奥田)民生さんには会えましたよね。

ミハル そう! ユニコーンが好きだったお姉ちゃんの影響で、周りのみんなは光GENJIが好きだったのに、わたしは民生が好きだった。民生さんとは〈FUJI & SUN '22〉(2022年5月14日、15日)の楽屋で会えました。

吉井 あのとき、小学生からの思いを全部伝えてましたね(笑)

ミハル ブルブルしてね。今でも思い出すだけで泣きそうになっちゃう。多感だね。すぐ昔に戻っちゃう。

──さっきの感動理論でいえば、すぐに100を出せちゃうってことですよ。その100が今回のエルメートの青森公演でも出ちゃうでしょう!

ミハル だから、青森でエルメートをやるって、みんな「なんで?」とか「不思議!」って思うだろうけど、わたしにとっては不思議じゃないんですよ! わたしのなかでは、やるに決まってることだったんだから。

吉井 必然だったんですよね。

ミハル でも、それを許してくれるのが、この素晴らしいFRUEだよね。「青森でやるか!」ってよく言うなと思った。お金は無いけど心は石油王だよ!(笑)

吉井 何回か考えて挫折してたんですよ。八代も地方だったけど九州のなかでのアクセスはいいじゃないですか。八戸はGoogle map見ながらずっと考えてたけど、八戸は青森市からも弘前市からも岩手からもわりと遠い(笑)。だからアクセスの不利はある。だけど、今回のキャパならなんとかなるんじゃないかと思って賭けてみたんです。

ミハル 不安しかないけどね。わたし、青森に友達そんなにいないし。とはいえ、今回は高校時代の友達や先輩に何十年ぶりくらいに連絡したりした。

──ミハルさんが地元の人気者で「わたしが声かけたら何百人集まる」みたいな感じじゃないことも大事な気がする。だって、縁故とか義理じゃなく、見てもらうなら音楽を本当に好きになってもらいたいじゃないですか。

ミハル 仙台に住んでた時期もあるので、その頃の知り合いにもポスター貼りとか助けてもらったりしたし、地元でヤスくんみたいな頼れる人が現れてくれたのも大きかった。

──そういうのも巡り合わせですよね。ぼくにとっても、ミハルさんにとっても、八代と八戸っていうピンスポットで起きた。それって本当にないこと!

ミハル ないない!

──だから、青森公演が発表されたとき、誰かがSNSでエルメートが八戸に行くことを「ダーツの旅」みたいに言ってたけど、実は全然そうじゃない(笑)

ミハル そう。わたしは、その的をずーっと狙ってたの(笑)

(おわり)

エルメート・パスコアール&グループとミハルさん


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Hermeto Pascoal e Grupo

エルメート・パスコアール&グループ


Hermeto Pascoal e Grupo来日メンバー

Hermeto Pascoal (keyboard, accordion, teapot, bass flute, his skeleton, cup of water...)

Itibere Zwarg (electric bass and percussion)

Andre Marques (piano, flute and percussion)

Jota P. (saxes and flutes)

Fabio Pascoal (percussion)

Rodrigo Digão Braz (drums and percussion)



11月11日(土) 16:00 青森・八戸市南郷文化ホール / with 折坂悠太


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