ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック 2

1990年、「サラリーマンのうた」長見順

1989年の暮れ、ぼくは彼女とよりを戻した。半同棲状態になり、春には彼女が暮らす阿佐ヶ谷に近い高円寺に引越しもした。それはおめでたいことだったが、同学年の編集長と気まずくなっていて、サークルの出店にはあまり行かなくなった。自分としては、やめたつもりだった。サークルに行かなくなっただけでなく、大学にもほとんど行かなくなった。年が明けて1月に行われた後期試験は1科目も受けていない。つまり、ゼロ単位。

そのかわり、この時期はディスクユニオンでフルタイムで働いていた。仕事は中古レコードの査定。ぼくの前に長くバイトしていた先輩スタッフがいたのだが、そのひとが新宿に新規開店する大きな外資系ショップに転職したこともあり、ぼくが中古フロアの事実上の買取メイン担当となっていた。ユニオンでのバイトも3年目に入り、レコードにさわるのも聴くのも好きだった。そもそも「どうしたらお金をかけずにたくさんレコードを聴けるのか?」という命題に対する最大の答えが、レコード屋で働くことだった。お金がかからないだけじゃない。お金(給料)をくれるのだ。なんとなく「これは一生の仕事かもしれない」と感じはじめた時期だった。

当時、バイトが終わるとよく飲みに連れていってくれていた先輩がいた。先輩と行ったのは、まだ再開発前の新宿駅南口にあった「台北飯店」、阿佐ヶ谷のブルースバー「ギャングスター」の2軒が多かった。

この年の春、先輩、ジャズ・フロア担当の社員さん、店長さんなどと連れ立って台北飯店で飲んだことがあった。その社員さんも店長さんも酒癖がわるく、店長は酔ってカバンや私物をなくすことで有名だった。この日もかなりのピッチでみんな飲んでいたのだが、話の流れで「このまま大学をやめてユニオンに就職するのもいいと思う。もっと音楽を知って、いつかはライターになりたい気持ちもある」とぼくが口にしたら、烈火のごとく集中攻撃を浴びる羽目になった。「おまえはこのなかで唯一(大企業に就職して)芸者をあげるチャンスがあるんだぞ!」とちゃかすような意見もあったが、なかでも社員さんの剣幕はすごいものがあった。「おまえは絶対におれに勝てない!」と一方的に罵倒され、耐えきれなくなったぼくは外に出て、酔っていたせいもあって裏手の階段でひとりさめざめと泣いた。

そのうち飲み会はおひらきになった。店長がぼくのところに近寄ってきて「いいか、ぜったいに大学は卒業しろ。ぜったいに役に立つから」と小声で言った。そのときの店長はよっぱらいの顔はしていなかった。社員さんとはそのあともしばらくぎこちなく接していたが、そのうち別の店舗に移勤されることになった。のちにそのひとはユニオンを退社して物書きとして自立し、著書も出されている。たぶん、あのときのぼくの甘すぎる了見がどうしても許せなかったんだろう。いつかお礼を言いたい。

夏がくる前に、仲の良かった先輩がユニオンをやめて実家のある北海道に帰ることになった。別れ際に先輩にも「大学は卒業しろ。そして芸者をあげるときはおれを呼べ」と言われた。それから少しして、ぼくはユニオンをやめた。

その年の秋、引越し先だった高円寺でよく通っていた喫茶店に「アルバイト募集」の貼り紙が出ていた。飲食店で働いた経験は皆無だったけど、その店の雰囲気も、流れている音楽も好きだったので、思い切って申し込んだ。面接に指定された日、朝から都内は台風の影響による暴風雨で、ずぶ濡れになりながら店を訪ねた。二、三日して電話があり、結果は「採用」だった。

あとになって、あの日、本当は女性の面接もほかにふたり予定されていたのに、暴風雨のなか店まで来たのがぼくひとりだったと聞いた。そして、ぼくは「珈琲亭 七つ森」で働くことになる。

ユニオン時代の先輩とは、その後のやりとりはない。東京に戻ってきてまた別の仕事をされていたといううわさを聞いた気もするけど、記憶違いかもしれない。先輩とよく通った阿佐ヶ谷のギャングスターにも、ひとりでは行かなかった(そのうちマスターが店を知人に譲られて、別の名義になったと聞いた)。

その「ギャングスター」に「たつまきのジュン」っていうすごいギターを弾く女の子がいると先輩から聞いていた。そんなにすごいのならいつか目撃してみたいものだと思っていたが、それはかなわなかった。しかし、十数年後、ぼくは「たつまきのジュン」と別のかたちで出会うことになる。長見順という名前で「サラリーマンのうた」という曲で「サラリーマンに なったのね」と歌いかけるシンガー・ソングライターになった彼女と。

だから、その曲を聴くと、サラリーマンになるのかならないのかを青臭い頭で考えていたころの自分を、いまでも思い出す。

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この連載が書籍化されます。2019年12月17日、晶文社より発売。


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